◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第二巻 第十章 パンの奇跡 P156~159
・・・。その時、誰かがパンを所望した。しかし給仕盆代りの箱蓋の上に只一切れのパンが残っているだけであった。美婦人がつと両手を差し伸べると、殆どその瞬間、大きな一塊のパンが両手の中に現れた。
それをホステスに廻すと、ホステスは皆んなに分けるために切り出した。それを見てまたリーダーが起ち上がり、失礼だけれどもそのパンをそのままで見せて頂けないだろうかと頼んだ。そこで塊のままのパンが廻されて来たので、暫く探るように調べ廻してから返した。彼は非常に昂奮している。数歩離れたかと思うと、又戻って来てその婦人に話しかけた。
「どうも不作法とは思われたくないんですが、頭の中がこんがらかってしまったので、質問をすまいと思っても、せずにはおれなくなりました」。彼女は一礼して、「どうぞ、何なりと御自由にお訊ね下さい」と答える。「あなたはすべての既知の法則、少なくともわれわれの知っている法則を事もなげに払いのけて、何かしら目に見えない不可視の給源からパンを取り出せるとおっしゃるのですか」「わたくし達には不可視の給源と言うことはありません。何時でも見えているんですよ」
すると驚くべし、ホステスがパンを切り分けて渡しても、パンの塊は一向に減らないではないか(1)。リーダーが少し落ち着きを取り戻して着席すると婦人は話を続けた。「イエスの悲劇の生涯は磔形(はりつけ)と共に終わり、キリストの生涯の悦びが復活と共に始まったこと、すべての人々の生涯の行先は磔形ではなくて甦りであることを、あなたがお分かりにさえなれたらと思います。
こういう風にしてすべてイエスに従って、内在のキリストの豊かなる生命に至るのです。この『大いなる力』、この『内在のキリストの力』と一つになること以上の悦ばしい豊かな生命を考えることが出来るでしょうか。人は一切の形あるもの、思い、言葉や状況を支配するために創られたのであることを、ここでわたしたちは知ることが出来ます。この生命を生きた時、求めるものはすべて満たされ、そこで始めてこの行き方こそが間違いのない、科学的な生き方であったことが分かるのです。
イエスはあの若者が持っていた五、六片のパンと僅かばかりの魚を殖やして、群衆に豊に喰べさせることが出来給うたのであります。あなた方はイエスが法則を満たすことによって殖えて出て来る食物をすぐにも戴けるように、期待しながら秩序を守って坐っているようにと御命じになったことにお気づきでしょう。もしあなた方がイエスの生涯に歓びと満足とを見るというのであれば、イエスの理想に合うように行動して、イエスの生命の法則を満たさねばならないのです。
ただ突っ立ったまま一体どうすれば食物が得られるだろうか等と、思い煩う愚かを冒してはなりません。もしイエスが群衆にそういう行き方をさせたなら、群衆は決して飽くことは出来なかったでしょう。ところがイエスは、今持てるものを静かに祝福し感謝し、かくて喰べ物は豊に殖え、すべての人々の欲求を満たし給うたのです。人間に生きて行くことが難事となったのは、内なる声に耳を傾けず、却ってこれを斥(しりぞ)けるようになってからです。
人が再び良心に立ち還り内なる声に耳を傾けるようになった時、人は生活の資を得るのに額に汗せずとも済むようになり、創造の悦びを味わうために働くことが、これにとって代わるようになるでしょう。彼は創造の悦びに入り、主の法則即ち神の言葉のもとに創造するでしょう。神の言葉を通し、人は神の全愛、全包容的質量に働きかけ、彼の包蔵する理念を具象化しうるようになるでしょう。
イエスが至高所に昇り、この世的限定観念に対して内在のキリストの優越を証ししたのも、かくの如くにして一歩一歩進んで行ったからです。これが分かると、もはや神の道を歩むことが、その人の全存在の歓ばしき本質になります。イエスは本当の霊的生活が唯一の悦びの生活であることを実証したのです。イエスはその勝利の故に権威と栄光とを着る者となりました。
同時に又その勝利によって彼は小児の如くに自由になったのです。世界はまだ真の希求(のぞみ)に目覚めてはいないが、実はこの悦びと大いなる祝福という希求をこそ求めているのです。己れのみの慾得を求める者は反ってこれを失う。という法則に気づかずして、人は利己の追求に満足を求めるかも分からないが、失うことによって個我の崩壊が霊の高揚のしるしであることに気づくのです。
人間が極度の困難に逢着した時が、神の機会であることを悟ります。人は神のあらゆる善きもの、完全なる賜物を受ける資格のあることを知らなければなりません。あなた方の実相である神についての智識を通じて、これらの賜物を受ける準備をしなければなりません。もしもあなた方が心の中で自分を神から切り離してしまえば、神の現れからも切り離されてしまうでしょう。
生命の歓びに完全に入るためには、生命と悦びと、その生命が全人類に与える豊かさと歓びとを求めなければならない。イエスが教え給うた地上天国建設の法則(非常に小規模ながらその適用を先程あなた方は見たわけです)は正確であって、科学的であります。人は神の子にして神の似像(にすがた)であるから、自分の裡に父なる神の真の霊を持っています。人は意志しさえすれば創造的父の法則をよく弁えてこれを活用し、自分の身辺の事柄にこれを完全に適用することが出来るのです」。
そう語り終わると、彼女はどんな質問にも喜んで答えたいと言った。・・・・・。
訳者註
(1) 福岡市在の某キリスト教会の牧師宅に於いても、同様の食糧(米)の無限供給が、去った大東亜戦争時の食糧窮乏以来現在まで連綿として続いている由。その供給を受けた人々の証明書も多数保管されているという。







