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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(7) 「神」なる言葉の波動と影響力

2012-04-24 17:44:55 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第三巻 ~第十五章 神の波動と蘇りの原理~ P218~225

≪注≫当然ですが、毎度ながら本文内「I AM」の訳語「吾=真我」は、あくまで翻訳者の解釈です。参考にしても絶対視しないのがよいでしょう。(ハイアーセルフ33)

(著者の状況説明)
田舎を歩き廻ったり、多くの興味ある場所を訪れたりして非常に愉快な一日を過ごしたあとで、夕方の八時に宿舎に帰ってみると、大師がたが庭に集まっておられた。少しの間、よもやま話がつづいてから、イエスが「ウェルドンが神秘に打たれた様子が皆んなにも分かったね」と切り出してから語り出された。

●イエスの法話
「これからあなたたちにお話しをするが、よくそれを自分自身に言い聞かせて欲しい。もしあなたたちがこれからいうことを自分でもその通りに言うか、又はそれを自分自身の一部とするならば、もうそのほかのものは何も要らないのである。しかし、これからいうことを「公式」にしてしまってはいけない。学習者が自分の思念を神性原理に一致させるために、或いはよくいわれるように、『思念を一点に集中するように訓練するため』なら使ってもよろしい。

わたしたちは神という言葉を出来るだけ度々、いや、幾度でも使用する。あなたたちが、神を自分の内に住み、自分の内を貫流する最高の原理であると知った上で、神ということばを度々使えば使うほど、大いなる利益をそれから受けるであろう。繰り返して申せば、わたしたちの考えは、『神ということばは、幾ら言ったり使ったりしても、過ぎるということはない』ということである。

神を、自分を貫流する創造原理と観じ、それに一心を集中し、これにエネルギーを与えて送り出し、もっと強力な影響力をこれに与えることである。それが常にあなたたちの中を貫流しているのは事実なのであるから、あなたたちの実存の全力でこれを外に押し出し送り出すことによってより大きな推進力を与えることができる。

人間の体は、もっと大きな業をなし、この力をもっと大きな形で送り出すために、この力を変圧して推進力を増加させる媒体なのである。そうすれば数百万もの人達がその放射を増幅して送り出すようになり、この創造原理に更に遙かに大きな力が加わるのである。しかし一人の人間でも、完全に支配力をもって立ち現れたならば世界を支配できるのであるから、これらの数百万人もの人なら一体どのようなことが成し遂げられるか、お分かりになるであろう。

神とは自分の中にあったのだと、今あなたたちは悟得しつつある、その内在の原理であることを知って、神の名を使用すれば使用する程、あなたたちの体のヴァイブレイションはそれだけ高くなる。すると、これらのヴァイブレイションはお互いに関係し合い、神聖なるヴァイブレイション(この神聖なるヴァイブレイションを神ともいい、又、神はこの神聖なるヴァイブレイションを放射しているのである)に感心する。

一度だけでも意識しながら神と称えれば、あなたたちの体はその前までに出していたヴァイブレイションには決して戻らないであろう。このことを念頭において、わたしの言うことを自分のものにして貰いたい。よければ、それをあなたたち自身のことばで言い表して欲しい。そうすれば、それはあなたたちから出たのであって、外部から出たものではないのである。

暫く試しにその通りやってみて、どういうことになるか見てみるがよい。神のことを考える度毎に、あなたたちじしんが神の聖なる計画の中心であることを思い出すがよい。しかし、これはわたしの言うことばではなく、神のキリスト(神我)たるあなたたちのことばなのである。イエスなる人間は光即ち純粋の生命、即ちまた神を現したるが故にキリストとなったことを、よく肝に銘ずるがよい。

われを貫きて流れる吾が父なる神、聖なる原理はすべてのすべてである。神であるすべては、また真我(われ・I AM)である。われは神のキリスト、神人である。吾が父なる神のすべては、これ神人の使役に共するためにある。かくて吾=真我(IAM)は、すべての質料を使役する資格を与えられているのである。事実、吾が父なる神は一切の質料を、神人に無限の枡を以て押しつけているのである。

神原理こそ吾が父、吾=真我(I AM)は神のキリスト、神とわれとは完全に一体である。神のもち給うものは又、神のキリストのものである。神ということばを取り上げてみよう。このことばがかくも大きな力を持つのは何故であるか。それはこのことばが発せられる時に放出されるヴァイブレイション(波動、以下同じ)のためである。

それは文字通り最高であり、大宇宙そのものであり、最も効力高きヴァイブレイションである。それらは宇宙船に乗って来て、最高の放射線の場を構成する。この場はすべてを包容し、すべてを貫通し、すべてに存在し、すべての質料を支配する。それはすべてのエネルギーの支配元素であり、このヴァイブレイションが光と生命とを運ぶ機関である。

この放射線の背後にあって支配している英智がわれわれの神というもので、その放射線を通じて英智はすべてのものに遍満する。この放射線の場より光と生命とが発生する。人間がこれを受けると、この二つが体の中で結合されて一つとなる。すると、彼の体は直ちに光のヴァイブレイションに感応し、かくて彼は神のヴァイブレイションとなり、彼の体は光を放射する。

神としての悟りを得た人は、低い波動の場で働いている人の目には映じないことがしばしばある。以上が神という言葉の強大なる理由である。この神という生命を支えることばのおかげで、あなたたちの聖書はあのような影響力と長命とを維持しているのである。この偉大なる書物の中で、このことばが書かれ語られている頻度について考えてみるがよい。

文字にせよ、言葉にせよ、神という一つ一つのことばより出る種々さまざまの光の放射線を、その故にまた生命とエネルギーとの放射線をみるがよい。一つ一つの神ということばが、それを語り、聞き、または見るすべての人々の魂そのものに、神のヴァイブレイションをもたらす。魂はこの波動に感応する故に、その高揚に相応してその書もまた高められ揚げられる。

かくしてその書は、生命と力と不滅とを与えられるのである。もとはといえば、神という言葉のおかげである。かくて、書物とは霊的意味においては神の言葉であって、書物の字義(訳者註=字の書かれたもの)の通りではないことがいえる。聖書の真の霊的価値には注意を払わないで、文字通りに解釈する人が余りにも多すぎる。

しかし前者のような自覚がなくても、左程問題ではない。何故ならば、霊的ヴァイブレイションはそういう無自覚な考え方の惹き起こすヴァイブレイションを消してしまうからである。そういう人でも、ひとたび神と口に出して言えば、そのヴァイブレイションは彼らの理解の欠除を補っても尚余りある程に、遙かに高いのである。これは聖書の甦りである。

しかし、それは聖書を嘲笑し悪評する者にとっては躓(つまず)きの石となった。神という言葉が悪という言葉に取って替わればそれを完全に征服する理由を、無神論者は今以て説明出来ずにいる。暫くの間、注意深く神ということばを繰り返してから、悪ということばを出してみて、それぞれどんなヴァイブレイションが体内に起こるか、反省してみるがよい。

まだこの実験をしたことがなければ、改めてそれを実験すれば、あなたたちにとってそれは一つの啓示となろう。多くの科学者は有神論の仮説を立てることは不可能だといっているが、彼らに構う必要はない。彼らが昨日、不可能と言明したものも、今では成就されつつあるのである。今や自分の家(心-訳者註)の中に入り、中を整理して、神なる語が自分のために何をしてくれるか、それを知る好機である。

しばし注意を深め、試みにこの神なる語を発し、すべての差別や小競り合いがおのずからにして放下されてゆくのを体認するがよい。全霊をもって神なる言葉を出すがよい。そしておのずからにして同胞たちをもっと親切に遇し、もっと公正に扱わずにはおれない法悦を実感するがよい。神を吾が前に置けば、忘却の彼方より続ける世々の迷妄の霧も、一条の煙のごとくに消え去るであろう。

こう言えば、知性は肩をしかめもしようが、知性に構う必要はない。それは幾度も誤ちを犯してきたからである。神なる語によって自分の中を支配し、敢然として起ち上がれ、然らば全世界の争いも混乱も、あなたたちに一指だに触れることはできるのである。神即ち最高のヴァイブレイションが実存し、それが至高の力であることを進んで知るとき、それを用いることによって一切を支配することができるのである。

それによって自分の体を方々に移すこともできる。あなたたちが今或る場所にいて同時に他の物所にもいる必要がある場合、あなたたちを現在の場所に留めているのは、我(が)であって神ではないことを思い起こして欲しい。今いる場所に留まったままとすれば、それは神の力を制約した使い方をしているに過ぎない。故に我を放棄せよ、制約を捨てよ、吾は神のキリスト、神のヴァイブレイションと力と一体なりと宣言せよ。自己が神のヴァイブレイションそのものであることを決定的に自覚した瞬間、あなたたちは目的地に来ているのである。

或るものを考えるというだけではそのものは成就しない。そのことについて知り且つ為さなければならない。その次にそれを為さざるを得なくなるまでに、根源者(神)を愛し崇めなければならない。なるほど信念は正しい想念を起こさせ、正しい『道』を示す。信念である以上は、神のキリスト(神)我としての命令、即ち『吾こそがかのヴァイブレイションなり』との命令を実際に下すのである。そのヴァイブレイションに主権を握らせた瞬間、あなたたちは起ち上がって断行するようになる。愛と崇拝を伴う認識こそが成就をもたらす。

神のヴァイブレイションが意識されないからといって、それが実在しないということにはならない。それが実在するということを信じ、次にはその実在を認めることによって、その実在を意識するようになり、遂にはそれを使役出来るようになるのである。或るヴァイブレイションを起こし、そのヴァイブレイションの場と波長が合っていると、それ以下のヴァイブレイションの場で自己を表現する者達の目には、あなたたちの姿は見えなくなる。

もしあなたたちの体が光速度で振動するならば、あなたたちの姿はいよいよ見えなくなる。光は生命である。全面的に光振動の中に生きるなら、あなたたちの体はすでに純粋の生命となっている。光と生命が神である。故に、神のヴァイブレイションの中に住むとき、すべては神なのである。

『太陽も日中は汝の光とならず、月も汝に光を与えざるべし。主のみ永遠の光、汝の神、汝の栄光とならん。』〔イザヤ書、六〇章十九節〕主なる神のキリスト(神我)の体が神のヴァイブレイションと一致しているときは、もはや彼には光の必要はなくなる。すでに彼の体自体が真昼間の太陽の光よりも純粋なる光となっているのである。イエス、言いかえれば人間を通じて純粋な生命光を現す主(ロード)、即ち神〔即ち神の法則(ロー)〕は、地上においてキリスト(神我)となる。主(法則)即ち神の法則を理解してそれを実際に生きれば、各人がキリストとなる。・・・・・・。

(関連)
ヒマラヤ聖者(2)純白霊光の偉力とその原理
ヒマラヤ聖者(3)人間即神
ヒマラヤ聖者(4)神意識を受容し神となる
ヒマラヤ聖者(6)神の白光線と発現方法


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