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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(11) イエスの出現と説法

2012-04-25 17:31:34 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第二巻 ~第一章 イエスの出現と説法~ P25~30

・・・・。大師は話を止めた。いあわした一同は数分間、深い沈黙に浸った。すると今までに見たこともない輝きが部屋中を照らし、それと共に或る声が聞こえた。それは遙か遠くの定かならぬ声のようであった。わたしたちがそれに注意を引きつけられ、想いがそれに向けられると、声は非常に明瞭になり、やがて澄んだ鐘の音のようにひびき出した。

「お声のなさるのは誰方でしょうか」、一行の誰かが尋ねると、隊長が、「静かに、わたしたちの敬愛措く能わざる大師、イエス様だ」と答えた。大師がたの一人が、「その通り、イエスです」と裏書した。声の主は語り続けた。

「わたしは、『吾は道なり、真理なり、生命なり』と申したが、それは何もわたしだけが唯一の真の光だと世界に広言する積りではなかったのである。『神の霊によって導かるる者はすべて神の子なり』『吾は全き子、父なる神の悦び給う神の一人子なり』と申したが、それは神の子らの一人(即ちイエス――訳者註)が自らの神性を見、把握し、且つそのことを宣言し、ありとしあらゆるものの偉大なる父性にして、又母性原理である神の中に生き、動き、且つその本質を持つことを悟ったこと、それを悟ると、自分自らが神の一人子なるキリストであると語り出し、真実の心と不動の目的を以て生涯を貫き通し、遂に自ら然りと主張する通りの者となったこと――このことをわたしは、全人類に伝える積りだったのである。

眼を理想に据え、全身を理想を以て満たし、かくして求める目的が貫徹されたのである。これまで多くの人がわたしを見ずにしまったのは、わたしを聖壇の上に祭り上げ、近づきがたい所に押し籠めてしまったからである。彼らはわたしを奇蹟と神秘とで取り囲み、その上、わたしが愛してやまない庶民よりわたしを遠ざけてしまった。わたしはこれらの庶民を言葉では言い表せないほどに愛しているのである。

彼らはわたしから離れたが、わたしは彼らから身を退いたことはない。彼らは幕や壁や仕切や仲介者を立て、又、わたしやわたしの愛する近親者の像まで造って押し立ててしまった。そしてわたしたちの廻りを神話と神秘とで取り囲んでしまい、あげくにはこれらの愛しい人達はわれわれから遠く引き離され、わたしたちに近づくすべを見失ってしまったのである。彼らはわたしの愛する母や周囲の人達に祈りを捧げ、懇願をし、結局わたしたちを彼らの卑俗な考えの中に押しこめてしまったのである。

彼らが本当にあるがままのわたしたちを知るなら、きっとわたしたちと握手したくなるだろうし、又、することができるのである。もしも一切の迷信や信条をすてて、あるがままのわたしたちを知るならば、あなた達のようにわれわれと話をすることもできよう。わたしたちはいつでもごらんの通りであって、どんなにか世界の人々にこのことを知って貰いたいことか。このことを人々が知った暁の悟り、再会、宴は何と素晴らしいことであろう。あなた達はわたしたちを長い間神秘で取り囲んできた。

だから疑惑と不信とが支配するようになったのも無理はない。あなた達が肖像や偶像を多く造れば造る程、そうしてわたしたちを死で取り囲み、わたしたち自身以外の誰かを通さなければわたしたちには近づけない仕組みにすればする程、疑惑と陰影とはいよいよ深く、迷信という裂け目はいよいよ超えがたいものとなろう。もしあなた達が大胆にわたしたちと握手して、『わたしはあなたを知っていますよ』とでも言えば、すべての人々があるが儘のわたしたちを見、且つ知るであろう。

わたしたちは全世界を愛するが故に、わたしたちには何の神秘もないのである。わたしたちの愛する人々も亦、然りである。わたしの一生の中、十字架の上で終わった部分だけを見て、それ以上の大部分である今のわたしを忘れ、人間は一見烈しい死に方をした後でさえも生き通しであることを全く忘れてしまっている。生命を破壊することはできない。生命は永久に続くものであって、義(ただ)しい生き方をした生命は決して退化するものでもなく、過ぎ行くものでもない。肉体でさえ不死身とすることが出来、決して変化しなくなるのである。

愛するかのピラト(15)が自分の手を洗って、『かの男を去らしめよ。汝ら自らの手もて彼を十字架につけよ。吾、彼に罪を見出さざればなり』と言ったが、その時の彼ピラトは、自分がどんなに歴史を造りつつあるか、どんなに予言を果たしつつあるかを、殆ど知らなかった。実はその時は、わたし以上に彼と大衆の方が苦しんだのである。しかしわたしたち一同が、こうして同じこの場所に立っていることでも分かるように、これはすべて過ぎ去ったことであり、忘れ去られ、赦されているのである」。

すると、二人の人物が出て来て、イエスの抱擁を受けた。キリストはその中の一人の肩に手をやって、「この愛する同胞は、わざわざわたしと一緒にやってきてくれた。それからこの人は(二人目の人を指しながら)真理に目が開かれるまではあの人よりもいろいろの道を歩んで来たが、一旦完全に眼が開くとすぐにやって来たのである。彼はもう一人の兄弟と同じく真理に忠実であり、わたしたちは他のすべての人々に対するのと同じように彼を愛している」(16)

それからもう一人がゆっくりと前に進み出て暫く立っていると、イエスは手を差し伸べて、「愛するピラトよ」と言われた。お互いの抱擁はまぎれもない同志愛のそれである。やがて、ピラトは口を開いて語るのであった。

「あの日、軽々しくもああいう宣告を下して肩の重荷を降ろしはしたものの、それからというもの、わたしは長い年月を苦労し懊悩(おうのう)しました。われわれは物質界にある間は、自分の責任を転嫁しようとして、不必要な重荷をどれだけ他人に負わしていることか。そしてそのことを悟る人が何と少ないことか。われわれが自分の重荷を回避して他人に転嫁しようとすればする程、重荷は強くわれわれにのしかかってくるものであると悟るのは、われわれの目が真理に開かれた時だけです。私は長い間苦労した後、初めてこの事実に対して目が醒めました。しかし目の醒めたその日からの悦びは、どんなに大きいことでしょう」。

すると、姿なき聖歌隊が一斉に歌い出した。そのメロディーは筆舌のよく尽しうるものではない。聖歌が五、六節すむと、イエスは前に進み出て、口を開かれた。

「わたしを十字架に釘づけした人々をわたしが、とうの昔に赦したことが、いぶかしく思われるだろうか。すべての人々は、何故わたしがしたように赦さないのか。わたしの場合、『事終りぬ』(17)と言った時は、わたしは完全に赦し終っていたのである。十字架に釘付けされたわたしではなく、一切の死を越えた現在のわたしを、どうしてあなた達は見ないのか」

再び不可視の聖歌隊が鳴り響き、「おお神の子、すべては汝を讃う。彼は祝(ことほ)ぎ、祝ぎて彼を讃えよ。彼が王国は人の中にありて永遠(とわ)に尽くることなし。見よ、神常に汝と共にあり」。と唄うのであった。しかも唄うにつれて、歌詞が部屋の壁に文字となって浮き上がるのであった。

以上は、何も遙かなる霞のかかった定かならざる状景ではなく、又、わたしたちから遠く離れた舞台の上にしつらえられたものでもなく、皆が皆、現実に室内にいたのである。

訳者註
(15)心ならずもイエスを裁判したユダヤの提督。
(16)イエスと共に磔形に処せられた時の二人の事と思われる。
(17)十字架上で最後の息を引き取る時のみことば。


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