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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(27) 沈黙の力 

2012-05-12 09:47:09 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 人間本来無限力 第六章 沈黙の力 P58~68 

エミール師(年齢500歳以上の某アセンデッド・マスターの仮名)は言う。「これは沈黙の廟、『力の場』と言われています。沈黙は力である。わたしたちが心の中にある沈黙の場に達したとき、わたしたちは力の場――そこではすべては一つの力である――即ち、神に達するのです。集中された力は神である。『黙せよ、しかして自らの神なることを知れ』とある通りです。

散乱した力は騒音となり、集中した力は沈黙となります。沈黙の中において神につながるのです。神と一つになるのです。わたしたちは、集中によってすべての力と一つになるのです。これは人間が神より受けついだ遺産であります。『われと神とは一つである』。神の力と一つになるには、只一つの道があるだけです。それは神と意識的につながることです。それは我『われ』のそとで為しうるものではない。

なぜなら、神は我が内から現れるものであるからです。『主はその聖なる宮居にいます。全地よ主のみ前に沈黙せよ』であります。我が外よりわが内なる沈黙(しじま)に向かったとき、われは神との意識的な融合を望み得るのです。神は人間に活用される為にあるのであり、人間は常に神を活用するようになることを、何時かは悟るときが来るでしょう。その時、人間が神の力と一つであることを悟るでありましょう。

又、その時初めて人間というものが本当によく理解されるでしょう。そしてこれまで実相をあざむきくらましてきたものや虚栄を放下するようになるでしょう。自我というものがどんなに無智で小さいものであるかが分かるでしょう。その時初めて真理を深く学ぶ心構えができたことになるのです。憎上慢の者には学ぶことができず、謙遜な者のみが真理を学び取ることが分かるでしょう。

そのような人の足は堅固な岩に立ち、もはやつまずくこともなく、心定まりて平安となるでありましょう。初めのうちは、神が唯一の力であり、実質であり、智恵である事が分かると混乱をきたすかも分からない。しかし神の本質を悟り、神を活溌に表現するようになれば、人間は常時神の力を使用するようになるのです。食事をしても、駆け足をしても、息をしても、更には又生涯をかけての大仕事をするにしても、其他常時、意識して神の力に触れていることを知るでしょう。

人間は今日までのところ、これまでしてきたことよりももっと偉大なる神の業を為し得ることを学びとっていない。それは神の力の偉大さを知らず、神の力は人間が使用する為にあるということを知らないからです。神は、わたしたちが大声で空しき"繰り返し文句"(リフレイン)を呼ばわったとて、又、くどくどと多く語ったからとて、わたしたちに聞き給うことはない。

わたしどもは、わが内なるキリスト、わが内なる繋がりを通して神を求めなければならないのです。内なる父が霊と真理とにおいて崇(あが)められるとき、神は神に対して真摯に魂の扉を開く者の叫びを聞き給うのです。父なる神と秘かにつながるものこそ、すべての望みを成就する力が身内を貫流するのを感ずるでしょう。その魂の扉を神に向けて自分の魂の奥殿に父なる神を求め、他に迷うことなくそこに住み続ける者に、神は公に報い給うのです

イエスは、父なる神とのこの個人的な触れ合いをどんなに度々明らかにしたことか。見てごらんなさい、キリストがどんなに自分自身と内なる神との意識的な交通を保ってこられたかを。見てごらんなさい、キリストは如何に神が現に在(まし)ますかの如くに神と話したか。このひそかなる内なるつながりが如何に彼を強力にしたかをよく見るがよい。

神は火や地震や嵐を通して語り給うのではなく、静かな小さき声、わたしども自身の魂の底深く静かにして小さき声を通して語り給うことを、キリストは知ってい給うのです。このことが分かった時、人は常に平静となり、おちついて考え抜くようになる。古い考え方は自然に脱落し、新しい考えが整うようになる。そのうちそういう生き方が楽であり、また能率的でもあることが分かる。

そして最後には、思案にあまる問題はすべてこの沈黙の中に持ち込むことが賢明であることを知る。そこでは、よしんば直ちに解決は見なくても、扱いに慣れてくる。故に一日中セカセカ動き廻り角(つの)突き合い、そのくせ結局敗北の苦渋さを味わう必要はなくなるのです。もし人が自分よりも偉(すぐ)れた第三者――実は自分自身――を知るようになったら、彼を私室に招じ入れ戸を閉めるがよい。

そうすればその者――即ち自分自身――が最も危険な敵であることが分かると共に、その敵の克服の仕方も分かるでしょう。即ち自分の真我が分かる。自分に最も忠実な友、最も賢明な教師、最も安全な忠告者が、実は又自分自身でもあることが分かる。沈黙の中に祭壇があり、神こそその祭壇の上なる不尽の火、一切の美と力との根源であり、それが本当の自分自身であることを知るでしょう。

神は沈黙の最も深き処に在す。聖なるものの中でも最も聖なるものがわが内にいます。わが望みはすべて神の心の中にあり、その故にわが望みはそのままに神の望みでもある。神と人、父と子との親密なつながりを実感するでしょう。実はひとつであるのに(丁度、魂と肉体との関係のように)、これまで別のものと思ってきたのは実は心で勝手にそう思い込んでいたのです。

神は天地に満ち満ちてあり給う。沈黙の中にヤコブに示されたのはこの大いなる啓示でした。その時までは彼は物質性という石の上に寝ていたのです(1)。神の啓示がパッと大きく閃いた時、外なるものは内なる像の表出しにしかすぎないことを彼は悟りました。その感動の余りの叫びが、『誠にも主即ち法則――は此処――地上乃至肉体――に在(おわ)しますに、われそう知らざりき。

この神の舎(みあらか)そのものにして、天に至る門なり』でした。人はすべてヤコブの如く、天に至る真の門は彼自身の意識であることを悟るでしょう。わたしたちは皆、ヤコブが霊視した意識(心)という梯子を昇って初めて至高きものの沈黙の聖所に入ることができるのです。その梯子に昇り自分が一切万物の刻心の中に在り見えると見えざるとを問わず遍在する神の中に於いて万物と一体であり、万物が光り、万物が遍在者によって成り出たものであることを知らねばなりません。

その幻覚(ヴィジョン)の中で彼ヤコブは、地より天に至る梯子を見せられ、天使たちがその上を上り下りする――即ち神の想念(イデア)が神霊より形相へ下りまた上がる――のを見たのです。これは『天(複数)彼に開かれ』、聖なる心に蔵された観念が表現されて形相となる微妙な顕現法則を悟った時にイエスに来たのと同じ啓示でした。この啓示によってイエスは、すべて形相はそのつながっている意識を変えれば形相も変えることができるという真理をただちに悟ったのでした。

イエスに対する最初の誘惑は、石の形をパンに変えることでした。しかし、この神の顕現法則の啓示とともに、イエスは他の目に見える形あるものと同じように、石にしても普遍的心質(Universal Mind Substance)即ち神より来るものであり、石自身が神のみ心が形となって現れたものである一方、欲しくはあるけれどいまだ形となって現れていないものは、まだこの心的普遍原質の中にとどまっており、それが創造即ち形となって現れ、すべての欲望をみたそうとする態勢にあるという真理を把握したのでした。

例えばパンが欲しいということは、パンやその他何であれ、必要なものを創る素材が無限に手近にあるのであって、石がそうであったのと全く同じように、パンにしても創られ得るものなのです。人間が善きことを望めばそれはすべて神の望みです。故に、わたしどもは周囲を取り巻く普遍的神質(Universal God Substance)の中にすでに無限の供給を得ており、すべての望みを満たしてくれるのです。

わたしどもの為すべきことは、神がわたしたちのために既に創り給うてあるものの使用法を学ぶだけです。神は人間があらゆる制約より解放され『豊かにして自由』となることを望み給うからです。神は人間に対してそう意志し給うのです。イエスが『我はドアーである』と言われたのは、各人の魂の中にあるI AM(神我〔われ神なり=実相〕)が、神としての偉大なるI AM(神我)の生命と力と本質とが、各人を通じて具象化するドアーであることを言い表したのです。

このI AM(神我)が顕れ出る方法は只一つあるだけで、それは考え、相念、言葉、行為ということです。このI AM(神我)即ち神なる実相――それは力、本質、智恵である――は意志だけによって形が与えられる。この故に大師キリストは、『汝の信ずるが如く汝になれ』と言い給い、又『信ずるものにはすべてのことが可能である』と言われたのです。

わたしたちは今や神が力、本質、智恵として、霊的な言葉で言いかえれば、智恵、愛、真理として魂の中にあり、意識によって具象化し表現されることを知りました。さて、意識は神の無限なる心の中にあり、意識が人間であります。その意識は人間の心の中に持ちつづけている観念、或は信念によって決定される。わたしどもの形体がやがては老い死滅するのは、自分が神の霊とは別のものであると信じ込んでいるためです。

神の霊こそすべてであり、形体はつねに神の霊が刻一刻と御自身の心を表現しつつあると分れば霊より生まれるもの、霊より来たるものは霊であることが分るでしょう。このような意識を通して次に啓示される偉大なる真理は、人間一人一人が神の心の観念である、従って人間一人一人が神の心の中で完全なる理念として描かれている、ということであります。だからわたしどもは、何も自分のことをとやかくと考え煩う必要はない。

わたしどもは既に神の完全なる心の中で、完全なる存在として、完全に考えられ描かれているのです。こう悟ることによってわたしたちは神の心にふれ、神がわたしたちのためにすでに描かれたことをわたしたちも再び描くことができるのです。これがイエスの所謂、再び生まれるということです。これは沈黙がもたらす偉大なる贈り物です。

なぜなら、神の心に接することによってわたしたちは神心で考えることができ、間違って思い込んでいる象(かたち)の自分ではなく、実相の自分自身を知ることができるからです。わたしたちは正念によって神の心に接し、真象(しんしょう)を現すことができる。しかし像(ぞう)が完全であろうと不完全であろうと、その本質は完全なる神の力、原質、智恵である。わたしどもが変えたいと望むのは像の実相ではなく、実相が摂(と)っている象なのです。

それは、心を再び新しくすることにより、又は不完全な考え方より完全な考え方への切り換え、人間的な考え方より神の考え方に切り換えることによってできます。従って、神を見出すこと、神に接すること、神と一つになること、神を現わすことがいかに重大であることか光彩陸離たる神の心がそのまま完全に意識にくまなく輝きわたる為には、沈黙、即ち我の心を静めることが如何に等しく重大であることか。

我(が)の心が静まった時始めてわたしたちは『義(即ち正しく使うことrighteousess = right-use-ness)の太陽が癒しをその翼にもたらして昇る』ことを知るでしょう。恰も日光が暗黙の部屋に満ち溢れるように、神の心が意識の中に満ち溢れます。又、我の心の中に神の普遍心が浸透していくのは、丁度締め切られていた室内の長く淀み汚れていた空気の中に、莫大な量の空気が浸透していくようなものです。

そして神心のみが崇高に聳え立つ。それによってわたしたちはただ一つの神殿だけ建てればよいことが分かる。生ける神の宮は、大いなるもの、普遍の超越神と小さきもの、人間に内在の神との混合より成り、かくして小さきものは大いなるものと一体となる。小さきものが大いなるものより離れたとき不純が生ずる、両者が融合したとき純粋が生ずる。

融合すれば、もはや大いなるもの、小さきものの区別はなくなり、ただ一つの善き、全き、純粋の空気があるだけです。それと全く同じように、神は一つであり、見えると見えざるとを問わず、すべては神と一つであることを、わたしたちは知らなければならない。罪といい、病といい、貧といい、いずれも神から分離したことにその原因があるのです。人をして全き存在であることを意識させるのは、神との融合であります。

神との融合、一体からの分離が、前に述べた意識の梯子を天使が降るということです。神との一体に還ることが梯子を昇ることです。下降は元来は美しいことなのです、それは「一」が「多」として現われることだからです。「多」となったからといって、必ずしも分離と考える必要はありません。「多」を個別、つまり外側から考えるから分離と誤られるのです。

個別よりの見方を高めていって全体と一つになることが個々の魂にとって偉大なる事業です。皆が一致して一つの場所に相会するとき(その場所とは、見えると見えざるとを問わず、一切のものは同じ一つの神より出ると悟る心)わたしたちはイエスと同じように変貌〔心が変わったとき姿・形までが変わる〕の山に立つ。

その時、わたしたちは初めはイエス自身とイエスと共に在るモーゼ(律法)、エリア(予言)、とキリスト(人間に内在する神を知る力)を見て三つの宮を建てようと考えるが、やがてその一段と深い意味が分かってくる。即ち、人は本来不滅であり、実相(神性)、は決して失われることなく、実相人間は、不死永生であることを知る。

するとモーゼ(律法)とエリヤ(予言)は消え去り、キリストのみが神々しくも立ち給う。かくてわたしどもは、ただ一つの宮(即ち、外ならぬわれわれ自身の中にある生ける神の宮)さえ建てればよいことを悟る。その時、聖霊は意識に満ち溢れ、罪、病、貧、死という感宮の迷いはなくなる。

これが沈黙の偉大なる目的であります。この宮の一片を削り取り、傷をつけようとも、直ちに治るのです。これはわたしたちの肉の宮、人の手もて造りたるに非ず、天にありて永生にして此処地上に再現すべきイエスのいい給える、肉の宮を像徴するものであります。

訳者註:(1) 創世記二十八章、十節


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