☆自己無限化・全知全能化☆  ~最高レベルのアセンデッドマスターへの道~  【アセンション情報実践研究会】へのお誘い

会合の目的は、自己アセンションしてアセンデッドマスターになる為に役立つ知識提供と情報の実践・体現のための疑問解消です。

【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(3) 人間即神

2012-04-22 06:54:17 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第三巻 ~第五章 人間即神~ P70~P77

《注》下記「キリスト」の訳語が「神我」「神人」「真我」などと、その時々の文意に合わせて当てられています。これは翻訳者の解釈です。あまり厳密に考えなくてよいと思います(HS33)

イエスの説法

「人間が神の子であり、父なる神の有(も)ち給うものをすべて有つと宣(の)べ伝えるものが多くいる。確かにその通りである。しかし、実はそういう人々が、勇気を以て進一歩し、自分自身を神そのもの、神の一切の御徳と一つであると観じない限り、その説教は事実とはならないのである。そう観じて初めて真理を成就したことになるのである。

まだ世俗の限定された考え方の中にある者が、内在のキリスト(神我)の現れを観ると、肉体よりももっと精妙な体が光を放っているし、又内在のキリストを放射する者は視力が一層精妙、明晰となり、広範囲にわたるようになる。かかる人は、自分自身のより高級な体(注1)が、有限体よりも高い波長数で脈動するのが見えるし、有限体もまた見えるのである。

すると、彼はこの二つは別々の体であると思い、自分の肉体より離れた外側に見える方を、別のキリストだと思う。しかし、この二つと見えるものも、自分がキリスト(神我・実相)そのものであると信じないが故の現象に過ぎない。かかる人は自らをキリスト(神人)なりと宣言し、且つそのことを既成の事実として受け取らなければならない。

その瞬間、この二つは融合して一つとなり、真正なるキリストとなる。このとき初めてキリスト(神人)が堂々と立ち現れるのである。故に、彼をして一歩を進め、神のキリストここに在りと宣言せしめよ。その瞬間、彼は神のキリスト(神人)となったのである。今や神の子は、父なる神と一体となり、父なる神の許に直行するのである。

しかしなお、彼は更に一歩前進しなければならない。これは最大の前進であり、最大の決意を要する。何故なら、世俗的考え方や制約から来る一切の恐怖を消除してしまわなければならないからである。彼は前進しなければならない。

神なる本源、父なる神に直行し、前例や迷信を恐れることなく、人間の造り上げた妄信を恐れることなく、吾れ神なり、神と完全に合一、融合せり、吾れ即ち神の愛、英智、悟性なり、髄質(サブスタンス)なり、本源にして最高原理なる力たる神の一切の御徳なりと知り、明確に宣言しなければならないのである。しかも全き謙虚を以て、それを自ら受け容れなければならない。

かかる人こそが、神を顕現するのである。かかる人を通じてこそ、神のあらゆる御徳が全世界に流れ出るのである。かかる人を通じてのみ、神は神自身を顕現しうるのである。かかる人にとっては、不可能なことは何一つもない。おのれ自身を神と合一させれば、何一つとして不可能なものはないのである。

父なる神の有(も)ち給うものをすべて有つのみならず、自分自らが父なる神の御徳すべてでもある。自分が三位一体なのである。あなたたちは人間キリストであり、神のキリスト(神人)であり、神であり、三者すべて一体である。聖霊はあなた達と共にある。聖霊(ホゥリィ・スピリット)即ち創造を為す全我霊(ホゥル・アイ・スピリット、続ければホゥリィ・スピリットと発音される-訳者註)(2)はあなた方と共にある。

これを受け容れた時、あなたたちも他の人々も、イエスという個我の名前ではなく、キリストの聖名の力を讃美するであろう。いざ、天使たちも伏して拝せよ。王冠を捧げすべての主たるキリスト(神我)に戴冠せよ。イエスなる個我にあらず、キリスト(真我)にこそ戴冠せよ、あらゆる王冠の中でも最も壮麗なるものこそ、キリスト(神我)に相応(ふさ)うのである。

勝利に輝くキリストの王冠に、大に過ぎ或いは神聖に過ぎるものとてはないのである。何人なりとも欲するものは来るがよい。来りて勝利に輝くキリストとなるがよい。何人であれ、欲する者あらば来たらしめるがよい。あなたたちが『神』というとき、自分自身を神と見るがよい。自分がいるのは「神がいる」と見るのである。神が狂信者やホラ吹きや利己主義者である筈がない。

故に神の肖像(にすがた)である神人、キリストもまたかかるものである筈がない。何はともあれ、あなたたちは神である。その故にまた神人である。『吾れは父にあり(3)、父は吾れにあり』とは真実の言葉である。I AM(『吾神なり』・神我)と吾が父なる神とは、穏和なることに於いても全能の偉大さに於いてもまた共に一体である。

一人々々の人間全部と神とが結合すれば、もはやそれは全能である。神の全能そのものである。あなたたちのいわゆる悪しき思いの中より生じたものも、『悪しきこと』という思いそのものが無くなるが故に、それは栄光の中に昇華する。このような理想像を高く揚げれば今まで世俗の心象(イメージ)を抱いたものも、また聖なる心象を抱くようになるに違いないし、又抱くのである。

今この瞬間こそ、この外界の混乱(みだれ)より抜け出て神の大いなる平安と祝福の中に入り、神の光を身に纏う、まさしく大いなる機会である。キリストの王冠をあなたたち自らの手を以て、みずからの頭に戴け。それは自ら戴冠する以外には、何人も戴冠することは出来ないのである。

登り来りて白く輝く大いなる王座たる根元の一部となれ。かくの如くして、偉業を成就せる人々と一体となれ。否、神と一つとなるのみならず、神そのものとなれ、実際に神と成れ、その時あなたたちは全世界に神の属性を現すことができるし、又事実、現すのである。神のエネルギーが人間を通ぜずに顕現することがどうしてできよう。

人間と同じ振動数で振動しうる有機体は、全地上を通じて人間の他にはないのである。故に、人間は極めて高度の組織体であるため、この至高のエネルギーを知覚し、発生し、変形する、これによって彼は全世界に対して神を表現し得るようになる。かくの如きことは、高度に有機化され完成された体を通じないで、如何してこれをなすことができよう。

この体を完全に統御すれば、その時あなた達はこの体そのものとなっているのである。かくの如き統御を為すことが即ち完全なる大師であり、救世主であり、又聖徒であることを証(あか)しする。聖三位一体のあらゆる属性の完全な主となって始めてこの体を統御し、これと完全に調和したことになるのである。

わたしは人間、キリスト、神のキリストである――この三者を至高者、即ち神と結びつけた時、あなた達は神となったのである。これがあなたたちなのである。これがヴィジョン(理想・霊的視野)を拡げ、只地上の経験を幾回となく繰り返すに留まる以上に高い、そしてより良き人生があるという真理を覚知しつつある今日の人間であり、全人類である。

あなたたちが愛と尊敬と尊崇の心を以て最高の理念を掲げ、期待し、或は定め、それに合致しそれに従って、「正しく用いられた道(ライト・ユーズド・パース)」即ち正道(ライチャス・パース)を歩むにつれて、このことをあなた達は悟るようになる。第一歩で、只の人間がキリスト人間、即ち神の一人子となる。

第二歩で、キリスト人間を観ずることによって、神のキリスト(神我)となる。即ち、キリスト人間が神のキリストに接合されたのである。更にまっすぐ根源にまで遡るためには、これらを一なる者即ち父なる神としなければならない。あなたたちは一応I AM(真我)をキリスト人間とし、キリスト人間を神のキリスト即ち主たる神とした。

次の一歩を以て神のキリストを永遠に生ける神に変容したのである。この二と見えるものが今や一者、即ち神となったのである。あなたたちは今や至高のエネルギー、即ち神、即ち一切の父となったのである。この『正しく用いるべき道(ライト・ユース・パース)』より逸脱しなければ、もはや不可能なものは何一つなくなったのである。

このことについては、全世界が何と思おうと絶対に恐れることなく、この真実に忠実であるがよい。毅然として神と一体なる事と自己の本来の領分とを認める時、あなた達は永遠に実在して迸(ほとばし)るが如くに働き給う一切の至高原理である父と一体なのである。以上の真理の光によって、聖書を正しく解釈して用いれば、聖書は人間の霊的発展と成就とを描いた大いなる譬喩ではなかろうか。

(先程触れたゲッセマネの園で祈っているわたしの絵の中にある)天より射している一条の光は、実はわたしの体より外に発したものである。この光が天よりのものであるというのは一応正しい、何故ならば、天はわたしたち周囲すべてにありそれは光のヴァイブレーションであるから。しかし、天の本当の焦天、即ち天の始まるところは吾が体の中にこそなければならない。

故にこの天の光は吾れより発するのでなければならぬ。わたしの実相(I AM・神我)がこの光の質量を内に迎え入れ、この光エネルギーをわたしが発生し形を変えて実相(I AM)即ち神が欲する強さで放射するのでなければならない。その時この純光の力には、何ものも抵抗することはできない。

これらが画家が描いたゲッセマネの園での私の体より発する光芒である。この光芒は天よりわたしに来たのではなく、わたしの体より発したものである。そのように、あなたたちも又神の力を変え、抵抗しえざる力を以てそれを放射しうるのである。それは神の力である。

それはあなたたちのまわりのすべてにあり、これを体内に入らしめ、体内で発生し且つ変形して、体内の反射機構(リフレクター)より外に放射し得る神の力なのである。これらのことはすべての人々が自らを神、聖なる遺産、神のキリスト、三者一体とする時、直ちに成就されるのである。これこそ全人類にとっての神聖且つ決定的目標である。

人類がこの大いなる癒しの光に近づけば近づく程、不調は早く消え去るであろう。あなたたちが全世界の光であるこの光のヴァイブレーションの中に無礙自在となって住み、すべての人々もこれに近づくならば、それだけあなたたちは人間の本地に近づいたことになるのである。かくして実相(I AM)こそが全世界の光であることを知る。観よ、神を。饗宴はすでに整えり。

神のこの力強きもの、この実相(I AM)を挙げよ。この身体を神にまで掲げよ、然らばあなたたちもすべてのものも王冠を戴き、『一切の主』となるであろう。あなたたちは自分の頭に自分で王冠を載せるのであって、何人もあなたに代わって載せることはできないのである」

訳者註
(1)肉体の外に・幽体、霊体、本体、実相(生長の家)・幽体、感情体(霊体)、下級精神体、上級精神体、ブッディック体、アトミック体、アヌバダカ体、アーディ体(神智学)・幽体、感情体、精神体、エネルギー体(マンリー・ホール氏)等、があり、肉体、幽体は常識的に云って下級体、それ以上が高級体になる。しかし、正しくは、上級精神体を含め精神体以上を高級体という。

(2)尚、原語wholeは「全体」「完全」「健康」の意義を持つ。ここでは、この三義を含ませている。

(3)原文"I AM is in the Father"は、元来イエスの曾ての宣言"I AM in the Father"のI AMをここでI AM(実相)・神我と言い直して各人の真我を指したのである。

(4)聖書のイエスの昇天にかけて言う。

(関連)
ヒマラヤ聖者(2)純白霊光の偉力とその原理

 

自己アセンション情報源 【アセンション・スピ会合のお知らせ


コメント   この記事についてブログを書く
« 和尚ラジニーシ 【光明8】... | トップ | 【自己アセンション】 ヒマ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者」カテゴリの最新記事