◎ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第十六章 一千歳の超人 P150~154
翌日の朝食で皆又会うことにして、お話はここで終わった。翌朝は早く起き、身仕度をして朝会に出かけた。宿舎を出ると同じ方向に行く大師がたに会ったが、みんな普通の人間のするように当たり前に歩き、且つ話のやりとりをしておられる。
わたしどもにも挨拶をされるので、大師がたが当たり前の人間と同じようになさるのを見てびっくりしたと言うと、「わたしどもはあなた方と同じ人間にすぎないんですよ。どうして皆さんはわたしたちを強いて変わった存在だと見たがるんですか。わたしどもは決して変わってはいないんです。只、わたしどもは神から与えられた力を皆さんより余計発達させただけなんですよ」と答えられるのであった。
「それじゃ、あなた方と同じことがわたしたちにできないのは、どういうわけでしょうか」
「わたしどもと知り合う人達が、わたしどもの後にならい同じ業(わざ)をしないのは何故でしょうか。わたしどもは自分の行き方を人に押しつけることはできないし、また押しつけようとも思いません。人間の行き方は皆自由だし、それぞれの行きたい道を行けばよいのです。わたしどもはただ易しくて簡単な道、わたしどもがこれまでやってみて非常に満足の行く道を示そうとしているだけです」
食堂での話は、何時の間にか日常の事に移って行った。わたしには不思議でならない、というのは、反対側のテーブルに四人の人が今坐っている。その中にはこの地上に約一千年も生き続けている人が一人いる。自己の体を完成し、何処へでも望むがままに体を現すことが出来るが、今尚三五歳位の人間の身軽さと若さを保っている。
その隣には、前にも述べた家の五代目の直系の子孫が坐っている。地上に七百年以上も生きているが肉体は満五十歳より一日も老けては見えない。この方々が常人と同じようにわたしたちと話を交わされるのである。又五百年以上も生きていて、まだ五十歳そこそこにしか見えないエミール師や、ほぼ五十歳で年齢相応に見えるジャストもいる。皆がまるで兄弟のように話し、偉ぶった様子ひとつとてなく、親切で素朴、しかもその発する一語一語の筋がよく通り論理的である。いささかも神秘的な或いは奇怪な様子がなく、全く日常の会話をやりとりしている当たり前の人間にしか見えない。
食事がすんで起ち上がると、或る同僚が勘定を払おうとした。エミール師が、「皆さん方はわたしどものお客様ですから」と言って、女給仕に空の手を差し出した。ところがその手を見直すと、丁度勘定分だけの金が乗っかっているのである。この方が金を所持していないことはとっくに気づいていたし、又御自分達に必要なものを他の人に頼ることもなさらなかった。
金でも必要な時には、すぐに普遍原質の中から創り出されてくるのである。食堂を出ると、第五分隊に附いていた方は、自分の分隊に帰らなければならないからと言いながら握手をすると、パッと姿が消えてしまった。この姿を消した時間を控えておいたが、後で調べて見ると、姿が消えてから十分以内には、自分の第五分隊に姿を現しておられたそうである。
その日、わたしたちはエミール師やジャスト、それから「記録係の友人」と呼んでいるもう一人の人と一緒に、村や村外れの散策に一日を過ごした。道々この記録係の友人は、ヨハネがこの村に十二年滞在していた頃の多くの出来事を詳しく語ってくれた。
その話を聞いていると、当時の出来事が生々しくわたしたちの心に蘇り、いつしか霞の奥の過去に戻り、曽ては神秘化を好む人々の拵(こしら)えあげた神話上の一人物としか思えなかったこの偉大な魂と、共に歩み共に語るかの思いがするのであった。その日以来、洗礼者ヨハネはわたしにとって現実の生ける人となった。
丁度、今わたしたちがしているように、村や村外れの道を歩きながら周囲の偉大な魂たちより教訓を受けつつあるヨハネの姿、しかし、猶、その基本的真理を把握しあぐんでいるヨハネの姿が、目のあたりに見える心地がするのであった。
一日中歩き廻り、一番興味深い歴史上の出来事の話しに耳を傾け、数千年前の事件の現場で夜の帳(とばり)を前にしつつ、英語に翻訳されて行く記録に聞き入った為、すっかりくたびれて村に帰ってきた。しかし同行の三人の方々には何の疲労の様子もない。
わたしたちは埃をかぶり汗で汚れているのにこの方たちは平静で、その衣服も朝出かけたままの白さで、埃ひとつ附いてない。尤も散策の途中も、その衣服に汚れのつかないことに気づき、何度もわたしたちがそのことに触れたが、何の返事も聞き出せないままになっていたのである。
夜になって叉その話が出たので、例の証拠係の友人がようやく答えてくれられた。「それはあなた方には珍しいでしょうが、神の創造物が望まれもせぬのに、叉、その所でもないのに、同じ神の別の創造物にくっつくということの方が、わたしどもには珍しいのです。
正しい考えができるようになると、そういうことは起きなくなるものです。何故なら、神の原質がその如何なる部分にせよ所を間違えたり、望まれもせぬ所に置かれるということは出来ないからです」。すると、驚くべし、一瞬の内にわたしたちの衣服や肉体から一切の汚れがなくなり、大師たち同様の清浄さとなったではないか。
この変身(わたしたちにとってはまさしく変身であった)は、そこに立っている間に、三人が三人共に起きたのである。すべての疲れは去り、恰も朝風呂に入ったような爽快さとなったのである。これがわたしたちの質問全体に対する答えであった。
その夜は皆、この方々と一緒に宿営するごとに体験する、最も深い平安な気持ちを味わいながら寝についたことと思う。人類――この方たちの呼び慣わしに従えば、同胞達――の為にかくも偉大なる働きを為しておられるこの質朴且つ懇切なる心の持ち主たちに、わたしどもが寄せてきたこれまでの畏敬は、急速度で最も深い愛に変わって行くのであった。
わたしたちはこの方々を兄として見上げ始めた。彼らは少しも自らの手柄とすることなく、彼らを通じての神の現れであり、『われみずからは何事も為し能わず、わが内に住み給う父こそみ業を為し給う』と語るのであった。
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