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【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者 (52) 低い意識から高い意識へ移る意味(後半)

2012-06-09 08:28:47 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第二十四章 大晦日の儀式と奇跡の原理 P231~238

暫くの間照明が暗くなり一同は完全な沈黙に入り、座ったまま頭(こうべ)を垂れていた。照明が再び明るくなると五名の方、即ち、三名の男性と二人の女性が室の真中に立っていた。五名とも白衣をまとい、その身辺から柔らかい後光が放たれ文字通りの輝く美しさであった。やがて静かに歩み出すとそれぞれテーブルに明けてあった上席に坐った。エミール師の母君はわたしたちのテーブルの上席につき、隊長がその右、エミール師が左に席をしめた。

五名の方々が席につき終わると、食べ物が来だした。それは野菜、パン、果物とナッツ(堅果)等の質素な食事だったが大ヘんおいしいものであった。食後のお話しは主としてこの催しに集まって来た人々に対する教えであった。話は土地の言葉でなされ、ヂャストが翻訳してくれた。その内容は、大部分これまでに発表してきたので、ここではふれないことにする。最後に話をしたのがエミール師の母君で、完全な英語を使い、澄み切った声で明確な話しぶりであった。

「わたくしたちは世間の人々なら、あざ笑うような各種の力を毎日使っています。このような力を現にこの目で見、且つ使用する特権を与えられているわたくしどもは、このような完全なものが手近にあって捕捉されるのを待っているのに、人々が誤った考え方の為に、活用もしないで生活圏外に疎外しているものを彼らに見て貰い知って貰うために、わたくしたちは自分たちに出来ることをやっているわけです

これらの力を人々が捕捉し利用するようになれば、これまで俗世間で死に物狂いにしがみついてきたものなどよりも、はるかに真実ではるかに生々としていることにすぐ気がつくでしょう。人間は有限の卑俗な五官で、見え、感じ、触れるからといって、物質的なものにしがみついてきたのです。この部屋やあなた方の居室の居心地のよさ、例えば、照明と温熱など、それに、あなた方が食べたものでさえ、この力で出来ているのです。

あなた方は、それを或は光線と呼び、或はその他何とでも名前をつけられましょう。わたくしたちは、それを偉大なる普遍的力と見ています。この力に人間が触れた時、蒸気や電気、ガソリンや石炭よりも遥かに効率の高い作業をしてくれるでしょう。それでも、この力は他にもある同様な力に比べると一番低い方なのです。この力は人間の必要とする動力を一切供給するだけでなく、一ポンドの燃料も使わずに、どんな時どんな処でも、必要な作業に熱も供給するのです。その上に完全に無音です。

だからこれに触れて利用するなら、現在不可避とされている多くの騒音や混乱もなくしてしまえるでしょう。この力が実にあなた方のすぐ周囲に文字通り手近にあって、あなた方の接触と利用とを俟っているのです。その使用は蒸気や電気よりも遥かに簡単であります。人間にそれが出来た時、これまでにいろいろと工夫してきた動力や機関が、低俗な考え方でやってきた間に合わせにすぎなかったことが分かるでしょう。人間はこの動力や機関を自分の力で産み出したと思って誇ってきました。

しかし実は低劣な感覚器官で接触し得たものだけしか産み出せなかったのです。人間は不完全なものを産み出しただけなのです。もしも人間が、全ては神のものであり、神から出たものであって、人間を通して表現されたものだということが分かれば、今後の人間の産み出すものは全てが完全となります。人間は自由意志があるために自ら好き好んで困難な道を選んだのです。人間が神の子であることを悟って神の持ち給うすべてを使用しようとはしないで、依然として今後も困難な道を続けて行くでしょう。

そして最後に、こんなむつかしいやり方ではなくてももっと他に良い方法がある筈だ、否、事実あると悟らざるを得なくなるでしょう。こうして結局、神の道が唯一の道であることが分かりましょう。その時初めて彼は、神が彼を見給うように、完全を表現するようになるでしょう。

あなた方は、内在の父なる神に中心帰一して、一切の善きものをそこから抽(ひ)き出すべきであり、又自分の性質にあるすべての力は、神我より働き出すべきであることがお分かりになったのではないでしょうか。すべての表現には先ず、内在の父なる神が先行しなければなりません。そうしなければ、完全なるものが表現されること、出てくることはできないでありましょう。」
ここで隊員の一人が、わたくしたちの想念やコトバはわたしたちの生活にどのような力を及ぼすかと尋ねた。すると彼女は片手を差し出した。と、忽ち或る小さな一個の物体がその中に載っかっていた。

「この小石をこの鉢の水の中に落としてみましょう。小石が水にぶつかった処を中心に次々と波紋を描いてゆき、終わりには鉢の縁つまり水の外側の端まで及ぶのがお分かりでしょう。その端では見たところ、波紋は力を失ってそこで停止します。しかし本当のところはこうです。波紋が水の端までゆくと、すぐにもとの中心に向かって戻りだし、戻り着くまでは決してぐずぐずしません。これはわたしたちが考えたり言ったりする想念や言葉を正確に象徴しています。

想念や言葉というものは波紋に相当する波長をひき起こして、円を描いて次々と波及し、遂には宇宙を廻って再びその発言者に戻ってくるものです。善かれ悪しかれわたしたちの考えや言葉は、それを発した時と同じように確実にわたくしたちに戻ってくるものです。この戻ってくるのがあなた方の聖書に謂う、審判の日であります。『毎日がその審判の日となるであろう』というのが、即ちそれです。発した言葉や想念の善悪に従って、審判も或いは善、或は悪となります。

すべての思い〔想念であれ言葉であれ〕は種子となり、それが発せられ、魂に植えつけられ〔心の中に把持せられ〕て観念となり、後に具体的な形となって現れ出て来る。完全なる想念は完全をもたらし、不完全なる想念は不完全をもたらします。種子を植えておけば、太陽と地球とが協力して、巨大な菩提樹でも或は一番小さい花でも、同じように造り出す。それと同じように魂や霊も人間の求めに応じて、言葉や観念によって求めるものを人間に与えるのであります。

折角の天界に物質的考え方という霞を張り廻らした為に、唯その為に、人間は天界より離脱してしまったのです。また、その為に神より出たものを、すべて例の神秘めかしさで取り巻くようになってしまったのです。しかし、この神秘の幕も次第に引き揚げられて、実際には神秘等というものはないことが分かりつつあります。種々様々な教会組織を造り上げた人々はもっと大衆を支配しようとかんがえて神より出づるものを神秘で取り巻いてしまうのが便利だと思ったのです。

しかし今では、神より出づる深いものは即ち生命より出づるものであって現実的(リアル)な単純なものであることを、全ての人々が悟りつつあります。もしそうでなければ、折角の神より出づるものも何の役に立ちましょう。教会というものが実は人間の中にあるキリスト意識、人類という神の自己実現の中心を象徴するものだということを皆が悟りつつあるのです。また、卑俗な考えによって造り上げられた偶像崇拝を廃し、理念を理解しつつあります。

各地に発生している膨大な数にのぼるキリスト教以外の組織を見てごらんなさい。今のところ相互の差が大きく種々雑多であるが、何れは一に帰することになるのです。その「一」なるものは教会を真の悟りに導く為に出てきたのではないでしょうか。肉体を完全に浄化して思いのままに肉体を滅現させ得るわたくしたちは、所謂天界を見、又その中に住める特権を持っています。

この界は多くの人達に第七天として知られているもので、神秘と考えられていますが、これも又人間の低俗な心の誤りです。神秘などというものはないのです。わたくしたちは、只、最高の教えを受けられるところの意識の中の或る場、イエスが今おられる或る場に到達しただけなのです。それは、人間がいずれは死ななければならないという考えを消し去ってしまえば不死永生が得られると知る心、人間とは神の如くに、又神が人間を見給うが如くに、永生、無罪、不死、不変、久遠であると知る意識の中にある場であります

キリストのあの変貌の真の意味が分かる場、神と感応道交し、神に直面して神を見る或る場であります。どんな人でも来たり受け、わたくしたちのように成れると知る場です。いずれはすべての人々の意識が遠からずしてわたくしたちと共に顔と顔、目と目を合わせて共に語ることの出来る界層まで高揚することを、わたくしたちは知っています。わたくしたちが彼らの視界からいなくなるのは、わたくしたちの意識が低俗な人間の意識以上に高まったからに過ぎず、そのためにわたくしたちは低俗な意識の人々にだけは見えなくなるのです。

わたくしたちは三つの出来事を期待しています。一つは遠い過去に起こったことで、あなた方にとっては人間の中にキリスト意識が誕生したこと、嬰児(みどりご)イエスの生誕を意味します。次には、あなた方の偉大なる国家(訳者註-アメリカ)がキリスト意識を認容し実現した暁に現れてくるものであります。第三番目の、そして最後のものに参りましょう。これこそ、あらゆる栄光の中でも最大なものです。

即ち、キリストの再臨、最後の御来臨です。その時こそ人々は皆、内在のキリストを認容してこのキリスト意識の中に生き、キリスト意識を開顕し、百合の花の如くに生長するのであります。これが償(あがない)(at-one-ment)即ち神と一つになることなのであります」

以上でお話しは終わり、合唱団の歌が始まった。室内は妙なる声に満たされ、やがて荘重な葬送曲(訳者註-旧年を送るための)となって終わった。暫く沈黙が続いた後、再び爆発するかの如く、歓喜に満ちた曲が合唱団によって歌い出された。やがてそれは各節ごとに、巨大なる鐘のひびきにも似た底力のある声音で結ばれるのであった。それが十二度鳴りひびいた時、初めて気がついた。即ち、今が丁度十二時で、新しき年が明け初(そ)めたのである。こうして、この驚嘆すべき人々と生活を共にしたわたしたちの第一年は、ここに終わりを告げたのである。ー 第一巻 完ー
 

 

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