☆自己無限化・全知全能化☆  ~最高レベルのアセンデッドマスターへの道~  【アセンション情報実践研究会】へのお誘い

会合の目的は、自己アセンションしてアセンデッドマスターになる為に役立つ知識提供と情報の実践・体現のための疑問解消です。

【自己アセンション】 ヒマラヤ聖者(43) 愛こそ至高の力・その原理と効果

2012-05-29 06:07:11 | 【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者

ヒマラヤ聖者の生活探究 第一巻 第二十一章 愛こそ至高の力・天使の聖歌隊 P190~194

《註》エミール師の母は自由に肉体を滅現できるマスターで、このとき700歳以上だという(1巻P184)。通常は第七天というイエスと同じ高い意識の場にいるという。

(42のつづき)会食が少し進んでから、隊長がエミール師の母君に、「神の属性の中、何が一番最大のものとお思いですか」とたずねた。間髪を置かず、「愛です」と答え、それから語り出した。

「生命の樹は神の楽園の真中、つまりわたしたち自身の魂のいと深きところにあります。それから生え出て、完全に熟し切り、最も完全にして、生命を与える果実となったものが愛なのです。愛の真実の性格をよく理解している人々は、愛をこの世における最大のものとしております。それはこの世における最も大いなる癒しの力でもあると私はつけ加えたい。愛が人の心のすべての要求を満たせないということは決してありません。

愛という神心原理を働かせば、あらゆる悲しみ、あらゆる病、あらゆる窮境、人類を悩ますあらゆる欠乏を取り除くことが出来るのです。愛の精妙無限なる影響力を正しく理解して用いれば、世界の傷は癒え、愛より発する天的同悲という甘美な外套は、人類一切の不調和、すべての無知、すべての誤りを蔽うことが出来るのです


愛はその翼を拡げて、人々の心の乾き切ったところや人生の荒地を探し出して、魔術の如く人間性を取り戻し、世界を変貌します。愛が神であります。それは永遠、無限、不変であり、およそ人間の洞察を超えた無限の彼方にまで至るのです。その終るところは只ヴィジョンによって知り得るのみです。愛はそれ自らの法則を成就し、その完全なる業(わざ)を完成して、人間の魂に流れ込み、一切の善きものとなって注ぎ出ずる口を求めています。

片意地や不調和な考え方によって妨げられさえしなければ、永遠に変わることなき神の愛の流れは、平和を乱す不調和や醜悪というすべての仮象を、赦しという広大なる宇宙的愛の海に押し流しつつ絶えず流れて行くのです。愛こそは宇宙霊の完き果実であり、発しては人類の傷を包み、もろもろの国民をより親しく睦ませ、調和させ、世界に平和と繁栄とをもたらすものです。それは実に世界の脈動であり、又宇宙の鼓動であります。

もし人類がキリストのみ業(わざ)を行なおうと望むのであれば、大いなる遍在生命より出ずる、この愛の流れによって満たされなければならないのです。生きて行くことがあなた方には重荷なのですか。目前の問題に立ち向かうのに勇気と力とが要るのですか。病に悩んでいるのですか。それとも何者かを恐れてでもいるのですか、もしそうなら心を上に向け、あなたを導き給う神に祈りなさい。神の不滅の愛はあなたを包むでしょう。

恐れる必要はない。神は言い給うたではありませんか、『彼等呼ばうに先立ちて我は答えん。彼ら未だ語らざるに吾は聞かん』と。平伏嘆願するのではなく、必要な助けはすでに与えられていると知る理智的信念に満ちた祈りを以て、大胆にこの恩寵の王座に近づくのです。疑う勿れ。もっと積極的に出よ、即ち神に求めよ。キリストの如くに生ける神の子として出生した権利を要求せよ。

わたしたちが『生き動き存在している』不可視の普遍質料の中には、およそ人の望み得るすべての善きもの、完全なるものがあり、信念によって引き出されて具体化されるのを待っていることを知って戴きたい。あなた方自身の偉大なる書(聖書)の中でポーロが、慈善という言葉ではなしに愛という言葉を使って「コリント人への書(ふみ)」第十三章第一節で愛について語っているのを読みなさい。

またソロモンを思い出してごらんなさい。彼はあの経験をした夜(1)光り輝く愛を宇宙大に拡げ、我が為ならでひたすらに人の為に奉仕せんことを願ったのです。このことによって彼は前代未聞の富を得、その上彼の求め得る力以上の長寿と名誉とを得ました。彼は愛が必然的に英智を伴う事を改めて認識しました。その愛が、その無限の富を引き出して彼に与えたのです。

『ソロモンの時代にありては銀はものの数にもあらざりき』という聖所の言葉通りでこの愛の大王はそのコップまでが純金製だったのです。愛することは神の無限の黄金の宝の蔵を開け放つことです。もしわたしたちが愛するなら、わたしたちは与えずには居れないのです。そして、又、与えることは与えられることであり、こうして愛の法則が成就されるのです。又、与えることによってわたしたちは因果応報の誤つことなき法則を発動させます。

与えればたとえ返礼など全く考えていなくても返礼をさけることは不可能です。なぜなら、あなたが与えた豊かさはあなたに返ってきて初めて法則が成就するからです。『与えよ、さらば与えられん、量りをよくして押し入れ、ゆすり入れ、溢れ出るまでに量りをよくして汝の胸に与うべし。汝の計るものを以て汝も又計らるべし』とある通りです。

もし永遠に愛の精神で働くなら、神がわたしたちの心の中に臨在し給うことは間違いありません。神の生命と、愛と、英智とひとつになるには、意識して神に触れることです。意識的に神に触れているということは、今晩こうして豊かな料理がわたしたちに押しつけられるように、いやでも豊富が押しつけられることです。豊富は本来すべての人に洩れなく具えられている以上、何もことさらに貧しくある必要はないのです。

この本来の豊富さを悟れば、人はいろいろな制約や限定の枠を遥かに超えるようになることは間違いないのです。豊富を思うに当たっては細かいところまで考えることは一切捨てなければなりません。豊富という以上は一々細かいところまで考えてはいけないのです。又、何時もゆたかな気持ちでいる為には、常に心を拡げて『普遍なるもの』の中に遊行し、完全なる自由を大いに享受しなければいけません。

しかし、この自由を放縦と思い違えてはならない。何故なら、わたしたちはすべての想念とすべての行動とに責任を持たされているからです。しかし、わたしたちの意識がこのような自由に、一瞬のうちに達するということは不可能です。自己限定の最後の痕跡まで打ち破ることは一瞬にもなし遂げられようが、実はそのように完全な自由に到達するという輝かしい成功の前に準備が先行していたのです。

即ち微細な点に至るまでの準備が内部から成されていたのです。それは丁度、一つ一つの花弁が細かい所まで蕾の中で完成されているようなものです。準備が完全に整えば、蕾はその萼の殻を破って美しい花となって咲き出します。丁度そのように、人が実相を開顕するには、先ず自我の殻を破らなければならないのです。神の法則は今も昔も常に不変であります。不変であると共に慈愛でもあります。

何故なら、その法則は本来善だからです。わたしたちがこの法則に合致して生きて行くなら、それはわたしたちの健康、幸福、平和と落着き、成功の礎となる。もしわたしたちが完全に神の法則に従うなら、悪しきことは何一つとして起こりようはずはないのです。病など癒されるまでもなく、あらゆる点で健全であります。
→(44)へ続く。

訳者註
(1)旧約聖書「列王紀」上 三章三ー十五節

自己アセンション情報源 【アセンション会合のお知らせ


コメント   この記事についてブログを書く
« 【自己アセンション】 ヒマ... | トップ | 【自己アセンション】 ヒマ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

【自己アセンション2】 ヒマラヤ聖者」カテゴリの最新記事