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なんてったって長嶋さん

2024年03月05日 | 日記

5日
やはり昨夕の芋ロックが効いたみたいで夕食終え定て1時間もしないうちにベッドに。
夜中起きることなく5時まで11時間も熟睡しトイレに。今朝も温室のビニールや屋根がうっすらと白くなっていた。
朝食を済ませ自室にこもり録画してた長嶋選手の引退試合を見た
 およそ半世紀前後楽園球場ですでに優勝を決めていた中日との最終試合、満員の後楽園球場で今では滅多にないダブルヘッダー2試合目、先発メンバーがアナウンスされ、後攻めの巨人の選手名が呼ばれると中日選手の時の倍以上の歓声が。
一番柴田・二番高田・三番王では前の倍以上の歓声拍手が。4番サードもう拍手が、長嶋で歓声拍手がピークに、ウグイス嬢が次を放送するのをためらうほど間があり5番末次・6番黒江7番土井8番森と、未だに破られていない9連覇(V9)のメンバーが先発した。

警備の問題から「自重してほしい」と言われた長嶋だが、この試合が始まる前に、ダッグアウトを出てフェンス際を手を振りながら歩き出した。ファンも予期せぬ長嶋選手の行動にスタンドから「ナガシマ!」の大歓声、言葉にならぬ涙声と叫びが飛び交い、異様な雰囲気に。
レフト際では「止めないで」と涙越えで叫ぶファンに立ち止まって感涙をタオルで顔を覆うシーンが。後に『涙のフェンス沿い一周』と報じられた
 打席で三振した時ヘルメットが飛ぶほどのスイングや、守備でのオーバーアクションをサラッとやってのけ、見る人を魅了して止まないプレーヤーらしく、この日予定になかった場内一周もサービス精神旺盛がなせる業なのか。

この頃の応援は今とは大違いで、私設応援団のリーダーがダックアウトの屋根に立って、選手が打席に立つ都度三々七拍子の拍手で今の様な鳴り物は無かった。
録画には途中まで実況アナの音声は消されており、審判のコールと場内アナウンス・キャッチャーの捕球音、それに打球音、一投一打毎に歓声や拍手が、好プレイには拍手歓声が今とは比べ物にならない位新鮮に感じながら応援に見入った。
 また今では背番号だけのユニフォームは巨人だけだが、当時中日も巨人も背番号と左前下の腹番号にも新鮮さを、その後背中に選手名が表示されたりと見る人に判り易くなっていった。

この試合球場全体巨人ファンと言っても過言ではない。
普通は三塁からレフトはビジターチームのファンが多いのだが、特に長嶋選手の打席や守備でのワンプレイには拍手や歓声が多く特にサード側には守備の長嶋さんの最後の姿を追うファンが多いようだ。

後楽園球場ライトスタンド後方のビルには鈴なりのファンが映し出されたし、メインスタンド場外には千人程のファンがいるらしいと。

この試合の解説はあの村山さん、プロ野球初となる伝説の天覧試合で長嶋選手にレフトにサヨナラHRを浴びたが、この一球はファールだったという説も有る曰くつきの試合。
 村山さんも解説中長嶋選手との往時を思い出し、このような盛大な引退試合に立ちあえて涙したと中継中語っていた。
 最終回、長嶋選手入団時は自宅に下宿させずっと見守って育ててきてこの後監督を譲る川上さんが一塁コーチャーボックスに立つと盛大な拍手と大歓声が。

この試合は巨人の選手達が発奮し大勝し試合後一塁側に巨人選手が三塁側中日選手選手が整列しライトが消されスポットライトのマウンドに立った長嶋選手の後方スコアボードのビジョンには「ミスターG 栄光の背番号3」の文字が。
そして野球ファンに向け甲高い声で惜別の挨拶が始まった。後々まで語り継がれたあのフレーズ「私は今日ここに引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です!
言葉の後再び後楽園球場、そしてテレビ中継で見守った全国の野球ファンが涙を流したと色んなメデアで報じられた。

半世紀経ち出勤前の3時間、時折涙し見終えた。
調べたらあの日は月曜日だから実況では見てない筈だが、その日夜のニュースで見たしその後いろんな番組で放映されたので、実況を見てた様に勘違いしてる自分が・・・

コメント
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