「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの『四季を楽しむ』:一栄一落これ春秋

2018年10月11日 | 四季の植物と風景

 桜の木々の葉が、茶色に色づき始めました。そしてすでに紅葉を待たずして、落葉した葉が地面を埋めていました。今年の春、心躍る桜の花を楽しませた木々は、冬枯れた姿に向かってどんどん変化しています。今日は周辺の公園の画像と共に、感じたことを綴ります。





こうした光景を見ていると、「一栄一落これ春秋」という言葉を思いだします。

 時が変わり改まるのを驚く事はない。 栄えるも朽ちるも春がきて秋へと移り変わるのと同じようなものなのだから。 菅原道真が失脚して大宰府へと流された際に歌った有名な漢詩です。この言葉を、菅原道真は知人に語りながら、自分にも言い聞かせた言葉と思われます。さて、菅原道真が達観して語った言葉だったのでしょうか? 

(上:大きなかぼちゃ・下:キク科の花)




 学者の家出身の菅原道真は、破格の昇進を遂げたわけですが、その一族も重要視され、藤原一族と対立し、ついには政争に敗れて太宰府に左遷させられます。「一栄一落これ春秋」は、大宰府に向かう途中で知人に語った言葉でした。

 菅原道真が都を去る時に詠んだ和歌はとても有名です。

東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

(上:百日草の花、下:紅葉したコキア…和名ホウキグサ、草ボウキをつくるのに利用され、
成熟果実は秋田県の郷土料理「とんぶり」の材料。国営ひたち海浜公園の紅葉時期のコキアは有名。





 後ろ髪を引かれる思いで都落ちした菅原道真自身が、「一栄一落これ春秋」の心境まで到達していたのかは疑問です。そうした菅原道真の無念を思って、人々は彼の死後に続いた天変地異を、彼の祟りと考えました。その結果、天満天神として人々の信仰の対象になりました。

 無念の境遇で死を遂げた後に、学問の神様として永久に祀られることは、本人は知り得ません。現在全国で12,000社ほどの神社で天神様がおまつりされているそうです。数え方によっては、2万社~3万社にもなるとも言われています。その事実を本人が知ったら、意外なことだと感嘆したことでしょう。このようなことも、彼が語った「一栄一落これ春秋」ということでしょうか。

(上:子供に人気のクヌギのどんぐり、下:ガマズミの赤い実)


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マッキーの教育:訴訟「大声の叱責で5歳児がPTSD」が逆転敗訴確定

2018年10月02日 | 教育

 最近ネットで報道されたことを読んで感じたことを、今日は綴ります。その報道とは、以下の内容です。『埼玉県深谷市が管理する施設で開かれた秋祭りでボランティアに怒られ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したとして、女児(9)が市に約190万円の損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第3小法廷(戸倉三郎裁判長)は、女児の上告を受理しない決定をした。女児の逆転敗訴とした2審東京高裁判決が確定した。決定は25日付。4裁判官全員一致の結論。』

 『1審東京地裁判決は「男性に大声で注意され、口論を見たためにPTSDを発症した」として男性の過失を認め、使用者責任に基づいて市に約20万円の支払いを命じた。一方、2審は「景品の駄菓子を勝手に取ろうとした女児を注意したのは社会通念上、全く正当」と指摘。「親として謝罪すべきなのに、道理に反して男性に謝罪を求め、警察に通報するなどした」とし、女児の請求を退けた。』

 簡単に言うと、秋祭りのボランティアの老人が、問題行動をした女児(5歳児)を大声で叱ったことに対して、その親が女児がPTSDを発症したとして損害賠償を求めた訴訟に対して、逆転敗訴を最高裁が確定したということです。多くの方は、妥当な判決だと感じたことでしょう。なぜなら、判決理由と同様な感想を持った方が多いと予想されるからです。

 地域社会の子どもたちに対する見守りや教育力の低減が、社会問題として語られている現状を考えれば、この訴訟が勝訴という決定になったなら、そうした風潮を増長することになると考えられます。そうした意味でも、妥当な判決だったといえるでしょう。
子どもの権利・子供の安全という理由で、地域社会があえて子どもに対する接点を減らしていると考えられます。後から問題が生じないように、見て見ぬふりをするということでしょう。


 ただし、子どもに対するしかり方には、注意が必要であるという教訓も、この出来事は示しています。一般の老人が、子どもに対する的確な接し方を理解しているかと言えば、それは無理なことかもしれません。ただ、常に子供と接する親や教育者は、しっかりと認識する必要があります。今の社会状況を反映した新たな親と子の関係が未だに確立されていないと私は感じています。同様に、子どもと教師の関係も模索状態だと思われます。パワハラが問題になっている現状を考えれば、一層慎重な対応が必要でしょう。

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マッキーの『四季を楽しむ』:秋は月

2018年09月27日 | 四季の植物と風景

 おぼろ月などの特別な月を除けば、月の季語は秋です。同様に、天の川七夕も秋の季語となります。大気の透明度は、大気の湿度やチリの存在が関係します。たぶん、冬の月は秋の月よりも明瞭に輝いていると思われます。ただし、天体の観測には、冬の夜空は不向きでしょう。月などの天体を愛でる季節としては、やはり秋ということになります。子どもたちに、俳句の季語を教える時に、そんなことを説明して教えます。

『荒海や 佐渡に横たふ 天の川』 松尾芭蕉  季語:天の川 秋

『七夕や 秋を定むる 夜のはじめ』 松尾芭蕉  季語:七夕 秋

 2018年の十五夜(中秋の名月)は、9月24日でした。上手く時間が合えば、首都圏でも中秋の名月が観賞できました。十五夜信仰は、農作物の収穫ものごとの結実祖先とのつながりなどを感謝し祈るようになったのが始まりだと言われています。土器の文様に月の形状が頻繁に見られるのも、欠けては満ちる月の再生に対して、古代の人たちも尊崇の念を持っていたと考えられています。山を歩いていると、月待ち講の人たちが建てた月待塔をよく見かけます。月信仰は、かつてより広範囲に深く行われていたようです。

 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり (道元)

 自然の美をありのまま、素直に賞でる気持ちがそのまま仏の御いのち(おんいのち)に通じるという禅の思想を、曹洞宗開祖の道元が詠んだ和歌です。無常な自然の営みの中に、圧倒される美しさを発見出来たら幸せなことです。日々のほんの僅かな時間、自然の美しさを観賞する心の余裕が欲しいものです。

 出家遁世までして、自然の中で漂泊の旅に生きた西行の生き方までせずとも、その生き様を見習いたいものです。桜を愛し、下の歌を詠んだ西行でしたが、まさにその願いに違わず
亡くなった人でした。

   願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ(山家集)

(蛇足)如月の望月の頃とは、釈迦が入滅した日・・・旧暦の2月15日頃となりますが、新暦では3月の中旬にあたります。満開の桜の下で逝きたいという願いですが、はたして桜が満開であったかどうかは疑問ですが、西行が亡くなったのは、願い通り旧暦の2月16日でした。

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マッキーの『四季を楽しむ』:9月の自宅周辺公園の風景

2018年09月11日 | 四季の植物と風景

 記録的な豪雨(西日本豪雨)による広範囲の被害があり、大型の台風(台風21号)が日本列島を直撃し、その後に北海道で直下型地震北海道胆振東部地震)が発生し、めまぐるしく様々な災害が続いた日本。増えた外国人観光客の目から見れば、何と危険な場所に日本人は住んでいるのだろうと思ったかもしれません。日本人は、太古の昔からそうした自然災害を乗り越えて生活してきた民族だったのでしょう。

 厳しい自然環境ではありますが、それでも私たちを楽しませてくれる自然環境でもあります。自然は、荒くれの神であるとともに、癒やしの神でもあります。自然を崇拝して、手を合わせる対象でもありました。

 9月2日、日曜日。思えば、今年も3分の2が過ぎたことになります。光陰矢の如しとは、時間の流れの速いことを良く言い当てた言葉です。久しぶりに、自宅近隣の公園を散歩しました。




 ヒガンバナが一輪咲いていました。夏が過ぎ秋になりつつあることを強く実感させる花です。山里を歩いていると、お地蔵さんの周辺にヒガンバナの赤い花を見つけると、その美しさに感激することがあります。「彼岸」という言葉が付いていて、墓所の周辺にも咲いています。日本では不吉であると忌み嫌われることもありますが、反対に「赤い花・天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもあります

 
下の画像は、パンパスグラスの穂です。この植物も、最近では珍しくなくなりました。謂わば、巨大なススキといった風情の植物で、最近は公園でよく見かけます。南アメリカ原産で、広大パンパス平原大群落を形成しています。9月から10月ごろ、長さ2~3メートル花茎をだして、銀白色花穂をつけます。別名は「しろがねよし(白銀葭)」ですが、「しろすすき(白薄)」とも呼ばれるイネ科コルタデリア属の多年草です。



 ひまわりが、まだまだ咲いていました。太陽の光をいっぱいに受けて咲く、夏の日差しが似合う花です。私は、以下の短歌を思い出します。金の油とは、夏のぎらぎらとした日光の比喩でしょう。太陽に比べても、勝るとも劣らない大きさと輝きを持って咲いている向日葵の生態を、とてもリアルに詠んだ詩だと思います。

向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ (前田夕暮)

 その下の画像は、ケイトウの花です。ケイトウは、漢字で鶏頭と書きますが、まさに鶏のトサカのような色合いと形体の花です。ケイトウを観察すると、様々な種類があるらしく、草丈や花の形状が異なるものがあります。サルビアと同じように、夏から秋にかけて長々と咲いている植物といった印象があります。






 秋の到来を感じさせる花の代表例は、下の画像の萩の花でしょうか。草かんむりに秋と書き、秋の七草でもある植物です。山を歩いていると、至る所に咲いている花です。自己主張のない雑草のような植物ですが、やはりこの花を見ると、私は秋を感じます。

ところで、秋の七草山上憶良万葉集の中で初めて詠んだと言われています。
「萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 姫部志 (をみなへし) また藤袴朝貌の花」
(和歌の中の朝貌は、アサガオではなく、キキョウと考えるのが定説となっています。)

 生徒には、秋の七草の覚え方として、「おすきなふくは」を教えています。
お…オミナエシ、す…ススキ、き…キキョウ、な…ナデシコ、ふ…フジバカマ、く…クズ、は…ハギ、以上です。 

 夏は暑苦しくて登る気がしない低山(里山)も、これから楽しく歩ける季節となります。

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マッキーの教育・娘と見たこの夏の映画・ポケモン映画「みんなの物語」・ジュラシック・ワールド/炎の王国・インクレディブル・ファミリー・未来のミライ・ペンギン・ハイウェイ

2018年08月26日 | 教育

 今回載せた映画は、あくまでも小学4年生を中心に考えて、この夏に封切られた映画からチョイスしたものです。評価は、私自身が感じた個人的な見解です。あえて、映画の内容の詳細は述べません。映画は、読書と異なり受動的な行為ですが、それでも子供に与える影響は大きいと思います。参考にしていただければと思います。



ポケモン映画「みんなの物語」】

 たぶん小学4年生の娘がこの夏に最も見たい映画が、このポケモンの映画でしょう。ただ、私は全くポケモンには興味が無いので、見ているうちに毎回眠気が襲う映画なのですが。大人がポケモンゴーに夢中になって交通事故を起こすなど、ちょっと変な世の中だと思っています。

 人々が風と共に暮らす街フウラシティでは、1年に1度だけ開催される“風祭り”が行われていた。風祭りに参加していたサトシとピカチュウが、5人の仲間たちと出会う。それぞれが悩みを抱え、パートナーのポケモンと一歩を踏み出せない中、みんなが出会うことで、運命の歯車が動き出す・・・。

 毎回のことですが、友達やポケモンとの友情で、問題を解決し成長していく物語です。そうした点では、教育的な映画だと思います。




【ジュラシック・ワールド/炎の王国】

 “恐竜”に 巨匠・スティーヴン・スピルバーグが命をふきこみ、かつて誰も観た事がなかったリアルでスリリングな映像体験に世界中の人々が心を躍らせ、映画史に偉大な足跡を残した『ジュラシック・パーク』シリーズシリーズ14年ぶりの新作として2015年に公開され、記録的な大ヒットとなった「ジュラシック・ワールド」の続編。テーマパーク「ジュラシック・ワールド」を有したイスラ・ヌブラル島に、火山の大噴火の兆候が表れ、恐竜たちの生死を自然に委ねるか、あるいは危険を冒してでも救い出すか、人間たちは判断を迫られていた。そんな中、恐竜行動学のエキスパートのオーウェンはテーマパークの運営責任者だったクレアとともに、恐竜たちを救うべく行動を開始するが、その矢先に島の火山で大噴火が発生する。恐竜と心を通わせるオーウェンを演じるクリス・プラット、クレア役のブラウス・ダラス・ハワードらメインキャストが続投。

 圧倒的な迫力を感じる恐竜の画像も、見慣れるとかつてほど感動を感じません。主題とも思える、人間の遺伝子操作の是非や人間が他の生命を制御することの問題に対して、訴える力があったのかということが重要になってくると思います。単なる娯楽以上の作品として、完成されているかが作品の優劣となるのですが、その点に関しては疑問符が残ります。

 ゴジラもそうですが、人類が行ってきた行為により、思わぬしっぺ返しに合うというストーリーです。何作も見続けると、やはり飽きてくるのは仕方ないことでしょう。もっと、内容的に工夫すべきではないでしょうか。




【インクレディブル・ファミリー】

 第77回アカデミー長編アニメ映画賞を受賞したディズニー/ピクサーの大ヒット作「Mr.インクレディブル」の14年ぶりとなる続編。スーパーパワーを持つボブたち家族は平凡な日常を送っていたが、ある出来事をきっかけに、母ヘレンがイラスティガールとしてヒーロー活動をすることに。多忙になった彼女の代わりに家事と育児を任されたボブは、底知れない能力を秘める息子ジャック・ジャックの世話に悪戦苦闘。そんな中、新たな敵が家族の前に立ちはだかる。

 アメリカ人は、こうした特別な力を持ったヒーローが大好きなのだと思います。単純に楽しめる映画だと思います。悪と戦うヒーローと、家族愛の物語です。

 credibleが信用できる確かなという意味で、そこにinという否定の接頭語が付いた言葉で、途方もないさまとか信じられないほどであるさまという意味になります。従って、「インクレディブル・ファミリー」とは、信じがたいほど途方もない家族といった意味でしょう。家族が、特別な能力を発揮して悪を懲らしめる、そして家族が協力し合う家族愛も込められた映画となっています。




【未来のミライ】

 どうも前評判ほど感動する映画ではありませんでした。
甘えん坊の4歳の男児くんちゃんと、未来からやってきた成長した妹ミライの2人が繰り広げる不思議な冒険を通して、さまざまな家族の愛のかたちを描いた映画です。ただし、あまり主題が伝わってこないところがあります。

 もっと辛辣な以下のような意見もあります。『細田監督が「普通の中流家庭」として提示している風景は、どれも一部のアッパー層だけが楽しめる暮らしであり、共感しづらいのである。それは、細田監督のせいというよりも、日本が貧しくなったせいかもしれない。子どもを2人持って人口を維持することがぜいたくになる社会など、どう考えても異常だ。夫婦が共働きで子ども2人を育てる姿に共感できないくらい日本は貧しくなり、中流社会は消えてしまったのだから。』

 日本の根幹の家庭が、以上のような意見からも、変質してきているために、監督が意図した家庭環境に共感できないことで、作品の評価が低くなっているというものです。無論のこと、そうした社会情勢も理解したうえで、作品を作り上げる必要があります。

 題名の妹・「未来のミライ」の果たす役割が不鮮明で、主題がぼけてしまっています。ただ、自分の存在が、生命のチェーンのように、先祖の様々な努力の上に成り立っているという考え方は、納得出来るものでした。




【ペンギン・ハイウェイ】

 私にとって、この夏に観た映画で最も印象に残る映画でした。映画を観終えた後の印象としては、「思い出のマーニー」と似ています
。夢のような不思議な体験の後の、充実感と喪失感が入り乱れた感情。「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」などで人気の作家・森見登美彦による日本SF大賞を受賞した小説をアニメーション映画化したものです。

 「ペンギン・ハイウェイ」の文庫本を、予め読んでいましたので、物語の流れは知っていました。小説にかなり忠実に描かれた映画でした。映画もそうですが、小説もなかなか不思議な気分にさせる作品です。最後の喪失感が、長く尾を引く作品となっています。

 映画を見た後、私の文庫本を娘も読み始めました。文字も小さく4年生には、この本どうなんだろうと思いましたが、主人公が自分と同じ4年生であることも刺激になっているのか、飽きずに読み終えました。

 娘と同じ小学4年生が、不思議なひと夏の体験により、少年から少しずつ成長していく物語でもあります。とても理知的な能力を備えた少年が、理性的にも感情的にも処理しきれない体験をします。その少年は、経験したことや考えたことを理詰めで理解し、ノートに記録していきます。そうした行為も、微笑ましく感じました。

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