「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの随想:各地の聖火ランナー決定で思い出すこと

2019年12月25日 | 時事随想

 いよいよ来年は、オリンピックイヤー。出場選手選定や、各地で聖火ランナーが決まってきているようです。聖火ランナーが、どういった基準で決まるのかは分かりませんが、問題点も指摘されているようです。選ばれた人たちは、人生の良き思い出となることでしょう。

 ところで、1964年の東京オリンピックの時、私は小学6年生でした。私の町にも聖火リレーはやってきました。私は、母校新津第一小学校の代表として、聖火リレーの伴走をしました。児童会の役員や学級委員などを歴任していたので、私の名前が出て来たのでしょう。ただ、代表の最終決定の為に、グラウンドで短距離走をして勝った人が選ばれました。今になって思えば、スポーツの祭典らしい決め方だったなと思います。

 ただ、2500名ほど在籍していたマンモス校で伝統校の小学校で、私は最も足が速いと感じていました。運動会では、紅白リレーや地域対抗リレーなどに、選抜された選手として走りました。6年では、紅白対抗リレーのアンカーとして、1等でテープを切った記憶がありますので、競走で負けることはないと確信していました。

 私が走ったコースは、我が町のメインストリートの商店街で、畳のような大きなオリンピック旗の端を持って走りました。沿道には、多くの方が小旗を持って声援していました。大した距離ではなかったので、選定に運動能力の測定などあまり関係がなかったと思います。記念に、メダルをもらったのですが、いつしかどこかへいってしまいました。

 無論小学生ですので、聖火のトーチを持って走ることはできませんが、後になって思えば聖火リレーに参加したのは、思い出深いことでした。この年には、新潟国体も開かれました。また、新潟地震もあった年でした。新潟県民にとっては、忘れられない年となりました。国体では、鼓笛隊の演奏がありましたが、その練習を授業をつぶして5年生頃からやっていたと思います。東京オリンピックは、聖火リレーなどに参加しなければ、首都圏を除けば縁遠い行事でした。それでも、聖火リレーはオリンピックが開催されることを、多くの人たちに実感させたイベントだったと思います。

 そうした意味でも、聖火リレーに多くの小中学生を関与させるべきです。特に地域の子どもたちには、オリンピックの特別なイベントに参加して、有意義な経験をさせたらよいでしょう。費用をかけて競技場で生の競技を観戦する人もいるでしょうし、自宅テレビで観戦する人もいるでしょう。ボランティアでオリンピック運営に関与する人もいるでしょう。膨大な費用をかけたオリンピック開催が、ポジティブなレガシー創出につながるように考慮する必要があります。これからの世代に、貴重な経験をしてもらいたい。東京オリンピックのシンボルマーク・国立競技場の設計・マラソンや競歩の会場等、様々な問題がありましたが、それを乗り越えて充実したオリンピックであってほしいと願っています。

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