「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーのお出かけ:小江戸・川越を散策

2020年01月19日 | お散歩・お出かけ・遊び

 1月13日の成人の日、埼玉県の川越へ妻と散策に出かけました。川越をネットで検索すると、江戸時代には親藩・譜代の川越藩の城下町として栄えた都市で、「小江戸」の別名を持つ。城跡・神社・寺院・旧跡・歴史的建造物が多く、文化財の数では関東地方で神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぐ。歴史まちづくり法により、国から「歴史都市」に認定されている(埼玉県内唯一の認定)。戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残っており、市内の観光名所には年間約732万人もの観光客が訪れる観光都市である。海外の旅行ガイドブックに紹介されることも多く、最近では外国人旅行者が多い(例えばニューヨーク・タイムズ紙の「2009年トラベルガイド」の 川越特集)

 私たちは、まず川越駅西口から出ている巡回バスに乗って、行く予定の場所で最も駅から離れた氷川神社へ向かいました。約1500年前に創建されたという歴史ある神社で、出雲大社の縁結びの神様としても知られる大己貴命(おおなむちのみこと)をはじめ、2組の夫婦を含む5柱の神様が祀られています。境内には、300円の鯛釣りのおみくじがありました。「一年安鯛」の可愛いおみくじです。また、境内には人形流しを行う払いの川があり、100円でしたので妻が行いました。

人形流し(ひとがたながし):紙製の人形に、心身のけがれや災いなどを移して祓 (はら) えをし、川や海に流す行事。「形代(かたしろ)」は、身代わり信仰の一つで、人間の身代わりとして3月の上巳の節句に身のけがれや災いを人形(ひとがた)に移し代わらせて、川や海に流して子どもが無事に成長できるようお祈りするものでした。 この形代の祓い行事が現在も行われる流し雛の由来であり、雛人形の起源の一つです。この3月上巳の日がやがて室町時代ごろに3月3日に定まっていきます。 









 氷川神社から南に歩いた場所にある川越城本丸御殿を見に行きました。17万石を誇った川越城の本丸御殿で、 東日本には唯一のそして全国的に見ても貴重な遺構だそうで、江戸時代に川越城の本丸に建てられました。本丸御殿は建物の数16棟、1025坪(3388平方m)の建物面積を誇るものでしたが、明治以降に建物の移築・解体が行われ、現在では本丸御殿の玄関部分と大広間・家老詰所が残るのみです。質実剛健の侍が行きしていた場所は、狩野派の襖絵に囲まれているような絢爛豪華な場所ではありませんでした。一部に板絵がありましたが、飾り気のない空間が、かつてあった昭和時代の住居を連想させました。









 次は、西にしばらく歩いた場所にある菓子屋横丁・蔵造の街並み・時の鐘・大正浪漫夢通りというメインの散策エリアへ行きました。菓子屋横丁は、子どもを連れて行ったなら、もっと楽しい場所かもしれません。

 蔵造の街並みは、土蔵をリニューアルしたのではありません。蔵造りは類焼を防ぐための耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。ファサードは重厚で豪華な印象を受けます。一階は、オープンな商家であり、二階は扉付きの窓が変化を付け、黒漆喰の壁と鬼瓦が印象的です。

 時の鐘の足下で、獅子舞に出会いました。川越囃子という法被を着た人たちと、獅子・恵比寿・大黒天・迦楼羅などの御面と衣装を着けた人たちが、お囃子に合わせて踊り歩いていました。新春早々とても楽しい芸能を見た思いでした。







 蔵造の街並みから、大正浪漫夢通りを南下し、最終の目的地喜多院へ向かいました。途中熊野神社にも参詣しました。境内には、銭洗い弁財・輪投げで運勢を見る「運試し輪投げ」・足踏み健康ロードなどがあります。成田山川越別院を経由して、喜多院へ行きましたが、出店も多く思ったよりも大きな境内でした。

 喜多院:良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られる。建物の多くが重要文化財に指定され、寺宝にも貴重な美術工芸品を多く有する。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっている。

 喜多院に隣接した仙波東照宮も参詣しました。仙波東照宮は、喜多院第27世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものです。日光久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つ。









 大正浪漫夢通りの延長の通りであるクレアモールまで西に歩き、商店街を歩いて川越駅まで戻りました。蔵通りの街並みから川越駅までほぼ連続的に商店が続いている規模は驚きです。サツマイモを加工した商品を売っている店が多く、小江戸おさつ庵のおさつチップを買って食べたいと思っていましたが、とんでもないほどの行列を見て諦めました。ちょっと研究して出かけて、食べ歩き目的の街歩きも楽しいと思われます。江戸時代の面影のある商店街・由緒ある寺社仏閣・伝統的な物品・特徴的な食品、見て感じて味わって散策する街・川越を十分に楽しみました。

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2 コメント

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懐かしい記事 (badmintonmusume)
2020-01-20 10:03:59
 koderaです。お久振りです。今年も宜しくお願いいたします。
 私は昭和20年の終戦直後、疎開先の川越で生まれました。火の見やぐらや亀屋の近くの家でした。大学生の時まで毎年正月とお盆に川越の叔父の家に行きました。懐かしい記事でしたのでコメントしました。
 喜多院の謂れはたくさんあります。周辺のお寺もたくさんあります。ぜひ来年は喜多院のお正月の達磨市に行ってください。まだ毎年賑やかだと思います。私は毎年達磨を買いに行きました。お蔭で受験に滑ったことはありません。達磨と破魔矢のお蔭です。
 夏の川越祭りの山車行列が見物です。亀屋の芋煎餅をぜひご賞味あれ。終戦後のお菓子のない時、芋煎餅だけは食べ放題でした。
 知恵伊豆の謂れの有る亀屋のお菓子が有名ですが、今は横浜や神戸には有名なお菓子屋さんがありますが、伝統なら京都や金沢と同じように負けていません。
 追記です。お世話になった娘はあの高校の教頭で3年ほど悪戦苦闘しています。私と鈴木さんは3年前に首になりました。バドバカが校長です。お分かりいただけるでしょう。理事長は交代し、学校はもっと古くなりました。笑っています。先生方は大変でしょう。ご愁傷様です。(笑)
 もっと大事な話です。孫は何を血迷ったのか高2で美大の志望になりました。カブトムシと恐竜の絵をほめ過ぎたのが間違いでした。(笑)今頃もっと勉強していたら良かったと本人も自覚したようですが、遅かりし由良助。(笑)地方の美大に行くと思います。私はマレーシアかシンガポールの美系に行けと言うのですが、そこまでの根性は孫には無いようです。現代の子ですから仕方がないです。2浪して医大に全部落ちた従弟は行くところがなくなり、渡米。皿洗いと柔道師範で食いつなぎ、MITを卒業しUCLAでドクター。今はUCLAの医学部の名教授、UCLA医学部を背負っています。バフェットの主治医ですので、お金もできたと思います。
 日本人で海外に行った人を複数知っていますが、皆さん大成功し、大金持ちにもなりました。狭い日本を若い時に捨てるべきでした。私にはその勇気がありませんでした。(笑)
ご無沙汰しています (マッキー)
2020-01-20 22:18:55
koderaさんが、川越でお生まれになったとは知りませんでした。思いの外、大きな町でしたし、観光都市としても多くの人々を集めているのを知りました。疎開されてたということですが、それは正解で、空爆など戦災をあまり受けていないことから、江戸情緒を今でも残しているのでしょう。
 お孫さんが、美大受験をめざしているとのこと。実技のための予備校通いも必要ですね。自分のやりたいことが見つかったのなら、素晴らしいことです。これからが大変でしょうが。

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