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今年の桜は、暖冬だったことから、開花は例年に比べて全国的に早かったようです。しかし、開花後に気温が低い日が続いたことで、満開が足踏み状態を続けました。その結果、一斉に開花して満開になることで、近年に無く密集した桜の花を楽しむことができています。
教室に向かう途中、駅前の桜並木の下にあるベンチで、コンビニの挽き立てブラックコーヒーを片手に、お花見をしました。ふと注意してみれば、行き交う人たちの人陰の長さも短くなり、春分も過ぎれば加速度的に陽光が強くなっていることを実感しました。
青空に淡いピンクの花弁が、雲のように広がった様を見ていると、長閑で心から温かくなっていくのを感じます。ワシントンの桜も、とても綺麗に咲いているようですし、日本にやってくる外国の人も多くなってきましたので、桜を眺める外人を見ることも多くなりました。
けれども、桜を眺める日本人と外人では、桜の花の美しさから受ける感情は、必ずしも同じとは言えないだろうと思います。なぜなら、育った伝統や文化、その上に立脚した個人的な経験などが重層的な心のフィルターとなり、五感で受け取る情報を異なるものとしているからです。
私は桜を眺めながら、西行の「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ」や、良寛の「散る桜 残る桜も 散る桜」などが、どうしても心に浮かんできます。それは、桜の花に絡んだ、知り合いの死を経験したからかもしれません。
私の座っている斜め横のベンチに、小さな乳児を膝に乗せて、桜の花を楽しんでいる若いお母さんがいました。乳児にとって、生まれて初めての桜の季節。母親のウキウキした気持ちは、小さな乳児にも伝わっているはずです。新しい生命を授かった母親は、その乳飲み子と一緒に桜の花を見ていましたが、その体はゆっくりと左右に揺れていました。乳児をあやしているのか、自身が心でスキップしているのか、それは私には分かりません。
母親はおもむろに日傘を広げて、乳児に日陰をつくりました。生まれたばかりの赤ちゃんにとっては、春の陽も皮膚に強すぎるのでしょうか。母子が、一緒に傘の中に入る経験は、どちらにも楽しい経験です。子どもの成長はとても早いので、「蛇の目でお迎えうれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ラン ラン ラン」と歌いながら、お母さんの雨傘に飛び込んでくる日もそう遠くないと思います。
そんな母子の姿を眺めていて、中村草田男の「万緑の中や吾子の歯生え初むる」(季語:万緑・夏)を思い出し、私はある種の感動を覚えました。桜の花も美しかったのですが、さりげない風景の中に、とても心温まる情景に出会った幸運を感じながらベンチの席を立ちました。
(補足)太陽の南中高度について
観測する地点の緯度が分かれば、夏至・冬至・春分と秋分の日の太陽の南中高度を、紙面に図を描いて、小学校4年生レベルの図形の知識で計算することができます。例えば、東京の緯度をおよそ北緯35度として計算してみましょう。地球の地軸が公転面に対して、66.6度傾いていますが、その結果、北回帰線の緯度は北緯23.4度(90-66.6=23.4)となり、その数値は覚えておく必要があります。
東京の冬至の日の南中高度:90-(35+23.4)=31.6度
東京の夏至の日の南中高度:90-(35-23.4)=78.4度
東京の春分・秋分の日の南中高度:90-35=55度
この数値から、三角定規に30度・60度・90度の直角三角形がありますが、冬至の太陽高度は、斜辺を机の上に置いた時の30度の角を挟む辺とほぼ同じ方向から太陽の光が差し込むことになります。最も太陽が高くなった時の角度ですから、とても低い位置に太陽があることが理解できるでしょう。春分を過ぎれば、太陽の光は60度の角度から差し込み、だいぶ高度が高くなったことを実感できます。
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実は私は今年の桜はじれったかった。好みではありませんでした。私の友人はそんな感を持った人が多かったように思えています。
もう咲くだろうと1週間待って、雨が降り冷え込んで、もう見る気が失せました。してほしい時にしないと時期を失するのでしょうね。千夜一夜物語のランプの怪人の話にあったように感じています。
夜桜は私たち夫婦の体調では無理ですし、夕方も愛犬の散歩は立ち止まる暇もないほど時間がないし、今年は寒さに震えそうで見に行く気すらしませんでした。愛犬もなのが不思議でした。
それでもたまたま温かい日がありました。ですから今年も一度は近くの一番大きな公園に見に行こうとしたのです。
ところが公園の駐車場で、警察関係の集まりがあり、1面で30台以上停まれる駐車場が2面使えませんでした。締め出されたのです。
何で満開の、しかもやっと温かいその午前中に花見客を締め出して、警察関係の行事をするか不思議です。不思議な町です。
私は車も停められず、何せ道路も渋滞、近所には違法駐車の車の列。また地方のお役人の自分勝手な公共施設の使い方に腹を立ててしまったのです。愛犬は下りられもせず箱に入れられたまま帰宅。
私たち夫婦は気短です。若い時から上野や隅田川の花見宴会など嫌いでした。行ったことがありません。道路だけを歩いて桜を愛でて、春のうららの隅田川と口ずさんだだけの貧乏人。何で桜の花の下で酒を飲まなければいけないのか。田舎者の下種だから仕方がない。
ここで突然、長屋の花見の落語を思い出して一人笑。私は大家さんのあの性格が好きなのでしょう。自分もそうなって、お金もなく世を楽しめているようです。また隅田川の女郎の幽霊の話が浮かんできました。一人笑です。
昔は真似ができたのですが、もうだめですね。情けない。南無阿弥陀仏。
それでも春という季節はありがたいと思います。
サクラの開花は青森は1か月遅く、雪の八甲田山が近くに見えます。
どうぞ春の東北にお出かけください。