幸福維新の志士となれ <幸福の科学>

国難打破から、いざ、未来創造へ

Pray for JAPAN

 

八重山毎日新聞社説「米艦船は来ないで」

2010年02月10日 | 沖縄を守ろう
櫻井よしこさんのブログ記事、「首相を追い詰める名護市長選挙」で紹介されている、八重山毎日新聞の社説をご紹介します。
青字はkinokaのコメントです。

米艦船は来ないで
八重山毎日新聞2009/3/18より転載。青字…当ブログ管理人コメント)
平和な島を無用のトラブルに巻き込むな

■日程を延期して強行


 来月1日の石垣港寄港を通告していた米艦船2隻は、日程を3日にずらして5日までの日程で寄港を強行する。地元が強く反対しているのに、なぜそこまでと思う。

※米艦船の寄港は日米地位協定で認められています。

 これもかつて沖縄を支配してきた高等弁務官のようなあの時代錯誤的なメア在沖米総領事の、日本部長就任の最後の置き土産なのか、07年の与那国に続く強行寄港だ。
 もしそうならそれは実に余計なお世話というものだ。与那国のときも最初は石垣港を打診していたが、やはり米軍の狙いは石垣港だったのだろう。
 それにしても米軍人の頭脳構造はよく分からない。与那国のときも知事が自粛を申し入れるなどそうだったが、今回も地元の人たちが市長はじめ嫌だと言うのに、「友好親善したい」と無理やり乗組員128人の2隻の掃海艇を寄港させるというのだ。米本国ではこうしたやりかたで友好親善が成り立っているのだろうか。


■招かざる迷惑な客
 しかし本土復帰以降、何年かごとにこのように離島の八重山まで米艦船やヘリなどが次々やって来ている。これをどんなに米軍が親善交流や休養、燃料補給が目的と強調しても果たして台湾や中国などがどう受け止めるか。

※中国は台湾及び沖縄諸島を照準にとらえた短距離ミサイルを1,150基も配備済み。また、沖縄上陸用の「島しょ用水陸両用戦車」を配備し、沖縄侵攻の準備を進めている。そんな中国に対して的外れな配慮を示し、一方で同盟国の掃海艦という比較的小さな艦船の入港の「危険」を煽りたてる感覚のほうがどうかしている。中国にどう思われるかを心配するより、中国の短距離ミサイルや潜水艦の脅威こそを心配しなければならないはず。

 これによりわたしたちの暮らす島の周辺は確実に軍事的緊張が高まるし、さらに島では住民の間に寄港をめぐって対立感情を生み出すなど無用のトラブルを引き起こすことになり、米艦船の寄港は郡民にとってはなはだ迷惑な招かざる客というものだ。だからこそ市長らも強く反対しているのだ。
 しかしいくら非常識な米軍といえども、さすがにバースが満杯状態の1日は強行寄港を避けた。この日は、郵船クルーズの飛鳥IIが約700人の乗客を乗せて入港を予定。米軍がもし同日寄港を強行した場合は、市や観光協会の歓迎セレモニーと民主団体の抗議集会の、それこそ相反する光景を船上の観光客らは、石垣港に入った途端目にすることになり、日本最南端の観光の島は、大きくイメージを損ねる恐れがあった。

■反対の声を挙げよう
 とはいえ米艦船は日程を変更し石垣港に寄港を強行の構えだ。しかしわたしたちは米軍であれ、自衛隊であれ自衛隊であれ軍隊と名のつくものがこの八重山に出入りすることを一切お断りしたい。

 日米安保条約で日本が守られていると、米艦船の寄港などに賛成や容認の声があるのは確かだ。しかしそういう方々も、住民同士の対立を招くトラブルの元はできれば来ないほうが良いはずだ。

※「守ってもらっているが来ないでほしい」という身勝手な論理は、社民党の辻元清美氏が設立したピースボートと共通するものがありますね。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対していますが、自衛隊の護衛を受けてソマリア沖を航行しています。有事の際に自衛隊は、自衛隊に反対している左翼の人たちの生命をも守らねばならないのです。

 ある本土の人が本紙HPにこういう趣旨の一文を寄せていた。
 「電車が突っ込んだマンションの住民が、もう同じ場所に住みたくない、電車も見たくないと言っても異常とは思わないでしょう。沖縄はかつて地上戦で身内を殺され家を焼かれ、米軍だけでなく、身内のはずの日本軍にまで家族を殺されたそんな人たちが、名目上は軍隊でないと言いつつも戦時訓練する自衛隊に恐怖感を募らせ、嫌悪して何の不思議があるでしょう。そういう沖縄の人たちが米軍や自衛隊に反対したとして、たとえそれに同意はできなくとも、異常といえないし気持ちは理解できるのではないでしょうか」

※確かに日本唯一の上陸戦であったことや、その後の米国による占領など、戦争に翻弄されてきた沖縄県民の感情には、本土の人間の想像を絶するものがあるだろうし、日本に見捨てられたという思いが強いのかもしれない。しかし、本土も大変な空襲を受けているし、広島・長崎は原爆を投下されており、戦争で傷ついたのは沖縄の方ばかりではない。

 できればすべての人がそういう気持ちになってほしいし、国も米国の言いなりだけにならず、こうした離島の小さな島に軍隊を入れないようもっと外交努力があるべきだ。それがなければ沖縄は、米国と対等の関係を主張する民主党政権を選択しても良いだろう。

※離島の小さな島だからこそ、軍隊を置かねば危ないのでは?




【メディア戦フォーラム第3部】沖縄から起こす日本再生運動 [H22/2/...

2010年02月10日 | 沖縄を守ろう
1/9【メディア戦フォーラム第3部】沖縄から起こす日本再生運動? [H22/2/6]


メディア戦フォーラム【パネルディスカッション】
沖縄の反日化の原因は、本土の反日左翼のオルグ活動が沖縄に集中した事である。また、 沖縄は地政学的にシナの対日侵略の最前線に位置している。反日勢力は日米安保条約を破 棄するテコとして沖縄の米軍基地問題を利用している。

この事を、2月6日東京の中野ZEROで開催されましたメディア戦フォーラムのシンポ ジウム第3部、パネルディスカッションで具体的に語りました。

2/9【メディア戦フォーラム第3部】沖縄から起こす日本再生運動 [H22/2/6]


パネリスト:
仲村覚、石平、崎浜秀明、我如古盛和、藤井厳喜

現石垣市長は、自衛隊を「殺人組織」と呼ぶ、反日活動家である。今月末、石垣市長選が ある。現状は、日本軍と反日軍の5部5部の情勢であるという。沖縄から来た愛国者の二 人が日頃の怒りをシンポジウムで爆発させてくれた。

3/9【メディア戦フォーラム第3部】シナ軍部は世界最大の暴力団 [H22/2/6]


シナの軍部は、その創立以来、一日も休む事無く、人を殺し続けてきた。シナ軍部は間違 いなく、世界最大・最悪の暴力団である。しかも、この軍は、国軍ではなく、シナ共産党 の私兵集団である。
 この構造は歴代シナ王朝の権力機構を踏襲したものである。
その世界最大の暴力団が、今や有人宇宙飛行を行い、核兵器を手にしている。そのシナに 最も近接して存在する文明国がわが日本である。
東アジアの平和と安定に対する最大の脅威は、シナの帝国主義=軍国主義である。
 この事を、石平さんと藤井厳喜が存分に語っている。

4/9【メディア戦第3部】シナの文化大革命は核保有から始まった [H22/2/6]


【パネルディスカッション④】 パネリスト:仲村覚、石平、崎浜秀明、我如古盛和、藤井厳喜 毛沢東は、核を保有し、ソ連やアメリカへの核抑止力を手にした後 、おもくろに大粛清(文化大革命)を開始した。毛沢東は、悪人ではあるが、流石、大戦略家であり、事を行う順序 を誤まらなかった。 シナの脅威に抑止し、東アジアに平和と安定を作り出すのは、日本 の使命である。

5/9【メディア戦第3部】沖縄の狂気の捏造メディア琉球新報を叱る[H22/2/6]


【パネルディスカッション⑤】
朝日新聞も夕日新聞とし、赤旗も真っ青の「琉球新報」の捏造プロ パガンダの実態!これはもう殆ど芸術だ。シナ人も真っ青の大ウソ大会の詳細が、克明に語られます。捏造天国、沖縄メディア。NHKも学習中という黒い噂も。

6/9【メディア戦第3部】沖縄のトンデモ教育と軍事演習危機の実態[H22/2/6]


【パネルディスカッション⑥】
沖縄の日教組教育は、本土の我々の想像を超える酷さである。近く、日中共同軍事演習が開催されてしまう。日本側からすれば、機密情報の漏えいが誠に心配である。幸い、台湾への武器輸出に怒ったシナは、アメリカとの軍人交流を 中止した。北澤防衛大臣は、シナがどういう国であるかを全く分か っていない。

7/9【メディア戦第3部】立上ろう!次回は5月2日、日比谷公会堂![H22/2/6]


【パネルディスカッション⑦】
次回、5月2日日比谷公会堂で、声をあげましょう!「沖縄から起こす日本再生運動」の声を日本全国に届けましょう!

8/9【メディア戦第3部】尖閣諸島、危機の実態!厳しい現実![H22/2/6]


藤井厳喜が、自身の体験談をもとに、尖閣諸島の危機の現実につい てリポートします。日本の領土であって日本人が行けなくなってしまった尖閣列島。こ の実態を報告です。

9/9【メディア戦第3部】メディア戦ネットワークで反撃を![H22/2/6]


『闇将軍』にみる小沢のメディア支配(3)

2010年02月10日 | 民主党政権
『闇将軍』(著:松田賢弥・講談社文庫)P277より引用


 小沢の言論支配の内情を、小沢の側近だった代議士はこう証言している。

「小沢のマスコミへの接し方は尋常じゃないんです。官房副長官に就任したころから、エキセントリックになりました。気に入らない記事が出ると、担当記者を会見からはずしたり、
怒りをあらわにして新聞社のデスククラスを呼びつけ、誰がニュースソースかと問いつめるのは、日常茶飯事。

 ひどいのは、そのデスクらが『もう書きません』と、謝るまで、まるで床に這いつくばるばかりに謝るまで許さないんです。私はその現場を何度も目撃している。本来なら、小沢の常軌を逸した抗議に新聞社側は文句をつけて当然でしょう。ところが、経世会の幹部にのし上がり、政権中枢にいた小沢がもっている情報ほしさから、反論もできなかったのです」

 メディアが国民の「代弁者」であろうとするなら、何よりも“陰の最高実力者”小沢一郎という男の暴走をチェックすべきである。少なくとも「ゼネコン質問封じ込め」を要求するような小沢の態度を徹底的に糾弾し、国民にこの政治家の実像を伝えるべきである。もちろん、裏でメディアを支配しようともくろむ男に、「政治改革」を口にする資格はない。

・・・・・・・・・・・・・引用ここまで


マスコミ、しっかりせんかい!
こいつら、一体、何しとんじゃぁ!
全員、打ち首やでぇ!
今回マシだったのは、産経だけや。検察が不起訴のリーク始めて、逃げに入る二日前に、社説で「小沢は議員辞職せよ!」まで、しっかり主張したさかいな。
あとのマスコミは、もう、全然ダメや!
特に、1番みっともなかったのが読売や。
1/20の夕刊で、「小沢有罪」のスクープ抜いたくせに、土壇場で検察がビビったら、急にオドオドしはじめよって、最後は個人の署名記事に切り替えて、逃げよった。「社会の木鐸(ボクタク)」が聞いてあきれるぜ!
朝日、毎日に至っては、世論の手前、シブシブ小沢の追求するフリしとったけど、「不起訴」の観測が流れるや否や、嬉しそうに笑みを浮かべて、手の平反しよったなぁ。ごまかしても、駄目やでぇ!
(日経は、既にコメントしたが、問題外や。)
何でこんなテイタラクかと言うと、お前らホントは、みんな、出来レースしとるんやろ!!
そんなのとっくに、お見通しやで!!
(現場の社会部と経営陣の間で、ちょっぴり、キングギドラみたいに、紙面が割れているようではあるがな。)
ホンマは、自分らの作った民主党政権が、あんまりアッサリ倒れられたら困るんで、支持率が低下するペースに手心加えて(やり方は色々あるもんな)、速度調整しとるんやろうが!
知っとるでぇ!
じゃがな、そんなんで、この悪魔小沢 をのさばらせるっちゅうんなら、絶対に許さへんで!!
おい、マスコミ、お前ら、天誅や!!!
覚悟せい!!

『闇将軍』にみる小沢のメディア支配(2)

2010年02月10日 | 民主党政権
『闇将軍』(著:松田賢弥・講談社文庫)P.270より一部引用)

■民主主義否定の独裁感覚
 この会見の再開にあたって小沢側は、大手新聞、テレビなど、新生党担当16社に対し、こんな「条件」を提示していた。

「これまでのゼネコン関係の報道はなかったものとすること」
 つまり、今後、記者会見では小沢に対して、ゼネコン疑惑について質問しないことを、会見再開の条件として要求してきたのである。驚くべき倫理感覚と言わざるを得ない。

 この点について、私は会見の中で質問した。
「この会見の再開を前に、あなたの秘書がマスコミ16社に対して、『ゼネコンや佐川急便問題については質問しないように』との申し入れを行ったことを知っていますか」
 すると、小沢はまた蒸し返す気かと言わんばかりの表情で答えた。
「そのようなことはありません。現にいまも質問をしているじゃないか」
「では、これまでマスコミ16社との交渉の中で、質問封じの要求を出していたことはないのか」

 重ねて尋ねると、小沢は一転、こちらをなだめるような口調で
「そういう経過の話をすれば、お互いいろいろあるんだから。お互いの立場を尊重してこれからやっていこうということで合意したから、始まったんだから。過去のいろんな、最初の時の経過やら何やら言いだしたら、また問題になるでしょう。だから、今日からみんなで、お互い尊重しあってやろう、オレもそれじゃよかろうとスタートしたんだから」

 さらに私が、「ゼネコンからカネをもらってなぜ悪い」(岩手日報1994年1月1日付)と発言した小沢の真意を問うと、憮然とした顔でこう言った。

「前にも言った」

 懸命に会見再開を求めるメディア16社の気持ちを逆手にとって、「ゼネコン質問封じ込め」という恐るべき提案をし、社会部は黙らせろといわんばかりの思い上がった提案をしていたのは、事実である。
 この会見再開をめぐる小沢側と16社の交渉は、正月明け早々の1994年1月4日から始められた。最初、小沢側から次のような提案がなされた。
「互譲の精神で」、または「お互いに尊重または理解しあって」などという条件が合意できるなら、記者会見を再開してもいいが、それを文書で交わしたい。また、今後、問題が起きたときの解決手段のために、新生党事務局、小沢事務所、16社の三者で「ルール」を作りたい――。

 これを受けたメディア16社では、翌5日、早急な会見再開を最優先することにし、文書合意問題は別にして、大筋で小沢側の提案を受け入れることにした。

 ところが、1月10日、小沢側は、産経、日経の「2社に類似した問題」を含め、過去のことはなかったことにしてほしいと追加提案をしてきた。16社が「2社に類似した問題」とは何かと小沢側に説明を求めると、こんなことを言いだしたのである。「朝日、毎日、週刊誌、テレビが報じたゼネコン疑惑は水に流してほしい。そのかわり、これまでのゼネコン報道に対する告訴はしない」

 要するに、「告訴」をちらつかせながら、ゼネコン問題は質問するな、というのである。これを言論統制といわずして、なんと言えばいいのか。16社側は、この話に愕然とした。

 16社側は、とりあえずこの提案内容を記事にしないという報道協定を結び、それが小沢本人の真意なのか確かめることにした。

 さらに12日、小沢側は17日から会見を再開したいとしたうえで、改めて、「『記者会見はサービス』として(小沢)発言についての質問は控えてほしい」「ゼネコンの質問はやめてほしい。各社の社会部も抑えてほしい」と、要求をエスカレートさせた。これに記者側が猛反発したため、さすがに小沢側も強硬すぎると考えたのか、「小沢の意向を受けた秘書が、オヤジのことを思うあまりに言ってしまったものだから、理解してほしい。(提案は)撤回したい」と陳謝して、どうにか会見にこぎつけた――。

 以上が、70日ぶりに会見再開にいたった水面下の交渉経緯であり、小沢のいう「開かれた会見」のいつわらざる実態だったのである。

(略)

 小沢はメディアを「自分の意見を言わない卑劣な人間集団」と言っていたが、それは逆で、小沢こそ「卑劣な政治家」ではないか。近代民主主義社会におけるメディアの役割とは、権力のチェックであり、政治家と国民をつなぐ窓口として国民の知る権利に資する役目も担っている。
 そのメディアを、自分の考えに沿わないからといって「卑劣」と批判し、しかもみずからの不利になるような質問はするなというのは、まさに民主主義の否定につながる暴論である。

 もちろん、それに負けず劣らず、大手メディア16社の罪も重い。いくら政治改革法案の正否の山場を迎えるなかで、連立与党の司令塔だった小沢のコメントや情報が欲しいから、小沢の動静を書けなければ社内で肩身が狭いからといって、小沢側の理不尽な要求を密室で処理しようとする「報道協定」を結んだのは、報道機関としての使命を放棄した自殺行為と言わざるを得ない。

(続く)

『闇将軍』にみる小沢のメディア支配(1)

2010年02月10日 | 民主党政権
 意のままになるメディアには情報を与えて利用し、歯向かうと切って捨てるというムチの制裁を加える。そして、ひれ伏さんばかりに謝罪してきたら、「修復の条件」を出すというのは、小沢のメディア捜査の常套手段である。
自分の気に入らないことを書かれると、「メディアの権力」「ペンの暴力」と駄々をこねて口を閉ざす。

そして口を開けば「そのことは、以前説明したとおり」

今に始まったことではありません。
1994年にも、小沢一郎がヘソをまげて70日間もの間、記者会見がストップした時期がありました。

◆ ◆ ◆

『闇将軍』(著:松田賢弥・講談社文庫)より一部引用

■70日ぶりに開いた恫喝会見
 1993年11月以来中断していた小沢の記者会見が、70日ぶりに再開された瞬間だ。会場にあらわれた小沢一郎は、集まった記者、カメラマンら約200人を前に、最初はこんな冗談まじりの笑顔を振りまいた。

(中略)
 みずから「開かれた会見」を標榜しながら、70日間も会見が開かれなかったのは、産経、日経の両紙がコメ市場開放問題、政治改革法案をめぐって「事実と異なる報道をした」と小沢が怒り、両社を会見から締めだしたのが発端だった。
 これにテレビ、新聞、通信社の新生党担当の16社が抗議。小沢がその抗議の撤回を求めて紛糾し、その直後に吹き出した鹿島からの500万円献金問題について釈明した1993年11月8日を最後に、小沢はぷっつりと会見を拒否していた。

 それを再開する以上、その後に発覚した日向ダム受注にからんだハザマからの1000万円献金問題など、一連のゼネコン疑惑に質疑が集中するのは当然だった。ところが小沢は、ハザマの加賀美彰前社長と会ったことは認めたものの、
「いつどこで会ったかは、コンピューターではありませんからわかりません」
 と、木で鼻をくくったように答えたのみ。鹿島からの献金500万円を実際にはどう処理したかと問われても、
「すべて、あのときに(1993年11月8日の会見)答えている」

 つまり、「適法に処理した」との釈明から一歩も出ることはなかった。

   ◆

 再開記者会見で小沢がもっとも声を荒げたのは、朝日新聞の記者が、小沢が会見を拒否しながら、一部週刊誌などの会見に応じていたのはメディアの餞別ではないか、また年末の韓国紙で「日本のマスコミは自分の意見は言わないで批判ばかりする卑劣な人間集団」と批判したが、それはどういう意味か、と質問したときだった。

 小沢は前年末に韓国の有力紙・東亜日報のインタビューに応じ、「日本のマスコミは守旧派集団」「旧来の論調だけを守ろうとし」「自分たちの意見を言わずに批判だけする卑劣で人間性のない集団だ」と痛烈に批判した。つまり、みずからの疑惑を隠ぺいする一方で、逆にそれを指摘するメディアを非難していたのだ。

 小沢は朝日新聞の記者をにらみつけながら、こう言い放った。
「その議論を蒸し返すなら渡り合ってもいいが、そんなことを言うために会見を再開したのではない。(韓国紙には)そういう趣旨の発言をした。たとえばPKO(国連平和維持活動)、国際貢献について、朝日新聞は社論を出していますか? 出していないでしょう。そういうことを私は言っているんです」

 朝日新聞の記者が、「ここではコメントできない」と答えると、小沢はなおも詰問口調で「PKOの朝日の意見を言ってください。そんなこと言ったってダメだって」

 この応酬は公党の責任者にしては非常に奇異な印象を与えるものだったあ。朝日新聞の社論と記者個人の意見を同じとみなし、記者を責め立てる光景は、小沢の傲慢ないやがらせにも見えたものである。

(続く)