9/27に冨山でご講義があったようです。
オーパの幸福実現党応援宣言!から転載させていただきました。
大川 隆法
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最新刊の「霊的世界の本当の話。」は、宗教的入門の話。
基礎知識を勉強し直すのも良いし、初めての方に差し上げたり、宗教について話すのにちょうどよいテキスト。
岩手県、青森県で、1、2と講義をして、今日は3で最後。
テーマとしては難しい。
宗教学者に「神と悪魔」という題を出して、論文でも話でもいいから答えろといわれて答えたら大したもの。
いろんなところで引用してくるのが精一杯で、実態としてつかんでいたら大したもの。
そういう意味で、『霊的世界のほんとうの話。』の極めつけの話が「神と悪魔」。
(演題は)「天使と悪魔」にしなかった。
天使はたくさんいる。
当会の世界観は、霊的な存在で段階がありながら多様な存在を認めている。
世界宗教を見るとメジャーは主として一神教、それ以外は偽者という考え方がある。それがキリスト教、イスラム教、ユダヤ教。
たまたま近代では(一神教が)先進国に広がり、進んだ宗教として考えられている。多神教的な宗教は遅れていると思われている。例えば、インド。
日本も古事記、日本書紀で神様がたくさんいるので遅れていると思われている。
当会の霊界観は、神様と呼べる霊格の高い存在が、天使、菩薩、如来、大天使と、いろんな種類の方がいて、霊言を下ろして存在証明をなしている。
それぞれの宗教で、「ウチの神こそ本物だ」というが、その理由は、数多くいる天使、如来、菩薩の誰かがその教祖を指導していて、われが神様だといっているので、一神教になっている。
新宗教でも一神教はたくさんいる。他がすべて間違っているのではなく、たまたま誰が指導しているかということ。
そういうふうに(一神教に)なりがちなのは、教団の方針が混乱しやすく、違う人が違うことをいうとブレやすいため。
神様同士が喧嘩するので一人に絞る。それが一神教の発生原因。
いろんなところで神々がいて、新しい宗教が生まれた。
それが何千年かたって広がっていく時に世界宗教となり、他の宗教を排除するようになる。
それが宗教的紛争の原因になっている。
そういう世界観を明らかにした。
もう一つ違っているところは、神様は神学的にも哲学的にも宗教的にも、はるかな崇高な次元の存在で、見ることも聞くことも触ることもできない抽象的な存在、届かない存在だという捕らえ方をしやすい。
ただ、よく眼を凝らしてみると、一神教といわれる世界宗教のキリスト教をみても、神様は人格神。
イエスが「わが父」と呼んだように、人間と同じく喜怒哀楽をもって判断をする神様。
旧約聖書にも笑ったり怒ったりする神様が出てる。
イスラム教も「われ以外神なし」というのも、喜怒哀楽があり人間的な神。
抽象的な、この世に生まれることのない無限の存在としての神様として持ち上げることはあっても、教えや指導原理を見るかぎり、過去世において、一定の指導者として成績を上げた宗教家や政治指導者、エジプトの王様などが神格化されて神様になっていく。
数千年の間にそうなっていく。
キリスト教も、アダムとイブが作られたのは、4000年前なので、これはどう言い繕っても、この世的には通用しない。
神様がアダムとイヴを粘土でつくったとしても、もっと古い地層から人間は出てくるので、それは信じられない。
神様といわれているものの正体は、ここ数千年くらいに現れた光の指導霊、光の天使、菩薩、如来といわれた方が、この世に生まれて一定の信仰を集めた人。
もしくはあの世に帰って信仰を集めた人。
生長の家の大神は、観世音菩薩とか、いろんなことをいっていたが、当会の霊言集が出て、生長の家の大神は、天御中主神であるとわかり、最初は喜んでいたが、認めると幸福の科学に吸収されるので、否定し始めた。
歴史的に見ればコーランくらいの時代に作られたのが日本書紀。
その時の神が宇宙創成の神かといえばそうではなく、当時神格化していた神であろうと。
古式ゆかしい神様だったが、だんだん話しているうちに現代的に造詣が深くなってきた。
魂の兄弟がいろんなところで活躍しているのだろう。
霊的世界のほんとうの姿をウチは描き出している。これで今まで分からなかったことが分かってきた。
キリスト教対イスラム教の対立図式も、キリスト教で言っている神様と、マホメットと微妙にズレている。
キリスト教を下地にしてイスラム教ができたが、似ているところも違っているところもある。
アラーが、とっても美しい言葉を話すところもあれば、世俗的な言葉で話すこともあって、実際は指導霊団が40人くらいいて、イスラムを指導していたことが分かっている。
天上界は数多く天使がいるので、新しい大きな宗教を創る時には、集合していることが多い。
そういうことが(幸福の科学によって)初めてはっきりした姿で見えるようになってきた。
(ただ)これには抵抗があって、神様は姿を隠す傾向があり、丑寅の金神とか、天理教の天理の尊とか言って、本当の名前を明かさない神様がいる。
八百神の誰かだろうが。
それで各宗派がやっているが、それぞれの分野で耕すことが出来れば、それはそれなりに真理が広がると緩く考えている。
この世の人間がこれ以外は全部偽ものだとやりすぎると、迫害を生んだり戦いを始めたりする原因となる。
人間の心の狭さがこの世的な衝突を生むことが多い。
しかし当会の真理が広がることで、霊界の姿が見えて、諸宗教が文化的に矛盾したりぶつかっている理由がわかってくる。
理解すると寛容になることもできる。
神様にも格の差はある。
個性が違っても格としては同じというのもあって、上に行くほど数が少なくなり、ピラミッド型にはなっている。
巷の小さな宗教、300人くらいの小さな宗教なら、六次元くらいの神様が指導しているか、裏側の龍神だとか、天狗や仙人が指導していることもある。
表側の本流型の宗教の場合は、霊能力も使うが、基本的には教えがあって、その基本教義を伝道して広げていこうとする傾向をもっている。
信仰と伝道というスタイルが基本形で、これで教えを広げていくスタイルが表側の神様の一つの特徴。
これが映画『仏陀再誕』のテーマでもある。
二人の宗教家が出てきて、どちらが本当の仏陀かという競走だが、説いている法そのもので違いを見極める部分が出てくる。
法そのものの中に、人類を救う普遍的なものが入っているかどうかが、一つの分かれ目。
現世の自分達の利益のためにやっているものと、時代を超えて、多くの人を指導する原理が説かれているか。
こうした法そのものの戦いで、真実はどちらにあるかがこの映画に説かれている。
先日の試写会では、「『仏陀再誕』ではなくて、弥勒菩薩の再誕ではないのか」と、一般の方が言っていたらしい。
兜率天に住んでいる弥勒菩薩が下生してくるというお経があるが、それはたぶん砂漠地帯(インドのはずれからバーミヤンのほう)で発生してきたお経だろう。
仏陀滅後、分派がいっぱいできて、独自に成立していったお経の一つだろう。
マイトリーとは慈悲という言葉。
弥勒信仰そのものは、北伝仏教、シルクロードから中国、朝鮮半島をへて日本に伝えられた。
「我こそは弥勒の生まれ変わり」という人は、過去何度も出ている。
中国でも布袋様とか、何とかの乱とかの革命家が「我こそは世を立て直す弥勒である」 というように使っていた。
当会が調べたところによると、インドのアジャンタ村には、『仏陀再誕』の伝説が残っている。
それが主としてスリランカやタイやビルマ、南伝仏教に伝わっている。
「2500年後に東の方に生まれ変わる」という教えが残っていて、そのルーツはアジャンタ村にあることははっきりしている。
仏教遺跡を守っていた人たちが言い伝えていたということ。
そのように仏陀再誕と弥勒と両方あることはある。
弥勒信仰のほう、弥勒が救済仏として現れるのは、かなり希望的観測もある。
何でもかんでも未来仏ということで出てているものもあるが、アジャンタ村に残っている思想は、もう少し明確。
2500年後と年限が区切られていて、現実性がある。
56億年後というのは、天文学的数字で、そのころ地球が存在するかどうか。
あまり相手にしないほうがいい。
菩薩である弥勒が、救世主的な立場で生まれ変わってくるという信仰があったということ。
マイトリー(慈悲)という意味なので、菩薩が次に如来になるという意味合いを持っていた。
これに対して仏教学者の渡辺照宏は、降兜率天弥勒下生経を称して、「弥勒は若くして亡くなって、それを仏陀が惜しんだのだろう。
それで慰めも含んで、来世はきっと仏になって生まれ変わり、後の世に多くの人を救うようになるだろうと仏陀が言ったのだろう」と書いていた。
あくまでも(弥勒は)菩薩。菩薩が次は如来になるよと。
弟子の菩薩達がいずれ、未来には仏になる予言をいっぱい仏陀はしている。
仏陀自身の生まれ変わりと弟子の生まれ変わりは違う。
私が皆様方に、「皆様方は菩薩です。来世にはいずれ如来になる」と約束することは空手形としては簡単。
56億年以内には、といえば、嘘を言ったことにはならないだろう。
それから悪魔の存在だが、ルシフェルはもと七大天使の一人。
私もずいぶんこれには手を焼いた。
これが地獄のナンバーワン。
それから覚鑁という真言密教の中興の祖。
彼は空海派の密教を革新運動としてつくったが、それが邪教団だったので迫害されて殺され、悪魔になっている。
法力をすごく持っていて強い。これは当会も最初からやられている。
これは『仏陀再誕』の映画の中で、敵役の宗教家の本性として出てくる。
名前を呼ぶのはまずいのだ。
ハリー・ポッターでも、ボルデモードを「あのお方」といっていたが、あれは正しい。
悪魔は名前を呼ぶとやってくる。
通じるので、悪魔の名前を呼ばない方がいい。
ベ××××はキリスト教系ではナンバーツー。
うちに出てくる頻度は低いので、他所にいっているのだろう。
眠り、催眠を使うといわれていて、眠くなってくる。
ル××××やベ××××クラスになってくると、ちょっと大きなところの霊能系の教祖でもやられてしまう。
霊力が強いだけでなく、歴史上、何千年もいろんな宗教に入って撹乱してきているので、宗教知識を持っている。
だから宗教家が慢心していると神様だと信じてしまい、騙されてしまう。
覚×も、真言密教の理論を良く知っているので、仏かと思って騙されてしまう。
キリスト教系でも、悪魔達は歴代の法王たちに入って騙している。
異端排除で、火あぶりにしたり、迫害したりするのが一杯あったが、丸ごと宗派をつぶしたりした。
あの中には、光の天使系の仕事も入っていたのだ。
キリスト教に霊的な教えが少なく、転生輪廻の教えも消えているので、それを入れ込んだ一派が出てきたりした。
それをローマ法王は異端として迫害したが、そんな時にはたぶんローマ法王にも、ル××××が入っていたのだろう。
そうでなければ、普通の人間の感覚では、ローマ法王と違う意見だからと信者を火あぶりにしたりはできない。
またキリスト教では、霊言が出る宗派は、教会権力が脅かされるので、弾圧を加えてくる。
近代以降の霊的な一派は、だいたい否定してくることが多い。
(その中には)間違っているものも多いとは思うが、全部が全部(間違い)とはいえない。
だから、非常に厳格。
ルルドの奇跡も、科学的に実証できるかずーっと調べ込んでいる。
その意味で非常にこの世的になりすぎているところはある。
私が言いたいのは、神様も悪魔もいっぱいいるので、宗教の信仰のなかにも不純物が入って混乱も起き易いが、基本的には、宗教の王道は信仰と伝道。
信仰するものをハッキリさせて、純粋に伝道していくスタイルを守ることが大事。
悪魔がひっかけてくるのは、ほとんど自我に関わるところ。
この世的な自分の地位や名誉、財産、権利、欲望、この世に基づく欲望。
この世が本体、この世の生活が本当という考えから出てくるところに基づく欲、これを釣り針みたいにしてこの世の論理で攻め込んでくる。
どこかで、この世は一切空であると、諸行無常、諸法無我、何一つ実態があるものはないんだよと(思え)。
あの世が実在で、その、もといた世界に帰るために、何十年かこの世で尊い修行を積んでいる。
その間、眼に見えないものをどれだけ信じられるかが、魂修行として試されている。
また、執着を去る修行の一つとして、布施行も与えられている。布施は、信仰心がどれだけ強いかを表す。
そういう修行をしていると悪魔に入られにくい。この世的なものに執着を持っていると悪魔に入られやすい。
家族でも財産争いとかすると、その中に入ってくる。
小悪魔くらいは入ってきやすいので気をつけること。
エル・カンターレという存在があって、至高神として指導してきた。
中東の方はエルという名前で呼ばれていた。
アフリカ系も入れたら、砂漠地帯もいっぱい宗教がおきているが、この砂漠地帯の神様で出てくるエルとか、エロヒムというのが、エル・カンターレ。
世界宗教の大きい部分に関わっている。
うちだけで見ても、霊言集でこれだけの神様、仏様、如来、菩薩、天使が宗派を超えて、霊言を下ろし、この世の人を指導しようとしている。
こういう宗教がこの世にあって、それが悪魔に指導されていないとしたら、今までにない大きな器の宗教だということが推定される。
世界性を持った宗教があるということを意味している。
起きている現象を見て、判断してくださればよい。
20数年やってきた。
またこの世に生まれて50数年たった。
既に(仏陀は)来たが、まだ気づいていない方は数多くいる。
気づいていても、宗教の一部、宗教家の一人としてしか認識していない方もいる。
あるいは否定している人もいる。
すでに50年を過ぎて、まだ「未だし」という感じがある。
まだまだ世界の人々、日本全国の人たちに真実を伝えていく必要はある。
そのために映画『仏陀再誕』もあるし、伝道活動その他をいろいろやっていかないと、本来の使命を果たしているとはいえない。
国際伝道もますます盛んにしていきたい。
そしてその通ってきた後筋を見て、人は「これは何だったのか」が分かってくると思う。
まだ、本来の姿としては、認められてはいない。
いくつかの宗教の一つとしてようやく容認されようとしているあたり。
もっともっと、大いなるものとして知られてよい。
皆様方の今後の御努力、ご精進に強く期待したい。