一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

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間引きの重要さ。

2017-01-17 22:29:21 | 日記
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 間引きの重要さ。

 法学の勉強も3年目。しかも、通信だから殆ど自学自習である。

 そのためか、やっと自分の勉強方法が出来てきたところだ。まだまだ、改善の余地があるのは言うまでもない。

 ただ、入学一年目は、とりあえず興味のある近代史や、政治学などを履修していたので、本格的に法解釈学の勉強を始めたのは、2年目からである。

 しかも、その2年目はけっきょく、法解釈の科目としては、必修科目の憲法、民法総論、と刑法総論の3科目しか履修することができなかったのだ。

 なぜか。

 その主な原因は、勉強方法が確立(今もしてないが)していなかったことが大きい。

 憲法の勉強をするのに、はじめ、前文をノートに書き写して、満足していたぐらいだ。

 得体のしれないものを相手にするので、憲法と名の付く新書は、おそらく6冊ぐらいは、読み漁った。

 それはそれで、良い勉強にはなったと思う。

 教科書は高いから、古本屋さんでGETしたが、それも、かなり古いものだったらしく、コストメリットを考えれば、まったく合理的な選択とは言えない。
 (教科書は、少々高くても最新版を買わないと、課題にも、テストにもついていけないことがある。)

 民法総論も、相変わらず、我妻先生の御本を、頭から丁寧にノートに写し取り、来る日も来る日も繰り返し、一向に勉強が進まなかった。

 それでも、続けてやってきた努力は、一定の意味があっただろうと、願いたい。

 帰国のとき、段ボール一箱分の大学ノートを廃棄したが、今思えば、もったいない。

 なぜなら、今では、自分で取ったノートを見返しながら勉強するのが、スタイルになっているから。

 これまで、様々な学習方法を試してきたけれども、今の方法な中々気に入っている。

 基本書の論理構成を、いったん自分のノートに整理して、改めてアウトプットする。

 その時に、使っているのが、法科大学院の協会が取り纏めている、共通到達度目標である。

 知識の理解を問うための基本的な質問が網羅されているのだ。

 それで、間引きの話に戻るが、基本書は例外なく分厚いものである。その記述は、先生によってむらがある。

 私が、身に付けるべきは、法律の構成(とその結果)が中心である。

 自分が理解可能な構成でなければ、習得することができない。

 したがって、基本書を読むときに、いたずらに本文そのままを追っていくのではなく、理解できる範囲に限って、上手に間引いていくことが大切である。

 基本書は、学説と学説のきわめて主張し合う場であるから、私が勉強すべき内容と、その範囲を超えてしまっているところは、峻別すべきである。

 また、難解な記述も、何度も読み返すことで、理解できよう。

 しかし、一個の科目に対する知識は、基本書の全体から、バランスよく摂取することが、大切であると考える。

 一点をぐいぐいと掘り下げていくやり方では、木を見て森を見ず、の弊に陥ってしまいがちである。

 初学者にとっては、間引くといっても、どこを間引いていいのか解らない。

 僕にとっての成長とは、まさに、どこを間引いて良いのか、見当がつくようになったことである。

 以上

 
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