一法学生の記録

2014年4月に慶應大学通信部に進んだ法学生の記録である
(更新)2017年4月に神戸大学法科大学院へ進学しました。

学習時間について

2015-12-28 20:24:25 | 通信教育
学習時間について

 学習時間について、考えながら勉強をすることがある。例えば、司法試験を受ける場合の民法の学習時間は1000時間程度が目安であると、読んだことがある。実際に民法に取り組めば、その内容の浩瀚なることが、よくわかる。民総を勉強しているが、僕の場合、500頁の総則を読みを得るのに必要な時間が、約125時間(1時間に4頁)とすれば、物権・債権、親族法、相続に、それぞれ100時間を掛ければ、併せて525時間になる、残りの475時間を、判例学習などの応用に充てれば、なるほど1000時間もあり得る。
 働きながら一週間で学習できる時間はどれくらいだろうか。僕の場合、土曜日は、疲れで午前中は略動かない、午後頑張って5時間。日曜日は頑張れば10時間できる。平日は、追い込まれないと稼働できない。週末も、何やかんやで、年で平均すれば、週平均10時間と言うところが妥当だろうか。年間52週あるから、ざっと500時間、二年間を掛ければ、1000時間である。途方もない感じがしてくる。実際のところ、僕の二年目に関して言えば、長期休みも基本的には勉強をしているが、何やかんや週末は用事が入るので、年500時間にも達してない。因みに、宅建で300~500時間程度らしい。
 では、慶大通信学士入学生を卒業するのに、どれぐらい学習時間がかかるか。大学の「単位」には、一単位当たりの学習時間が45時間と定められていると聞いたことがある。スクーリングの一科目は1~6単位まであるが、実際にはそこまでかからない。僕の場合は、大よそ、4単位の科目は、一科目のレポートを仕上げるのに1ヶ月、試験勉強1ヶ月かかるとして、8週間で80時間。ただし、夜の読書を入れれば、100時間ぐらいだろうか。2単位であれば、その半分ぐらいだとして50時間。
 そう考えれば、卒業するまでに必要な単位数で計算すると、約50単位が通信で取得するとすれば(124単位全-40単位認定-12単位語学-8単位卒論-14単位スク=50単位通信課題):1単位が25時間だから通信課題に必要な学習時間数……50単位×25時間=1250時間ということになる。
 
 以上

12/27

2015-12-28 12:36:02 | 日記
12/27

 夜の読書において、法制史Ⅱのレポートで参照した、中村菊男(1956)『近代日本の法的形成』の江藤新平の法典編纂作業を終えた後の民法編纂作業について、流し読みをしているのであるが、江藤を継いだ、大木喬任司法卿が右大臣岩倉具視に宛てた申稟の中でも次のように、語られている:

 人民法律ヲ以テ奇貨トシ其私ヲ掩ヒ其奸ヲ逞セントスル者往々有之今之時二当リテ完成ノ民法ヲ創立シ以テ之ヲ統裁スル二非ラサレハ殆ント人類之交義ヲ定メ滅スル二至ラン所謂完成之民法トハ天然之性理二基キ全国人民ノ便益ヲ攻究シ夫婦父子ノ権義ヲ明カニシ婚姻離婚相続之制ヲ定メ後見人管財之条則ヲ設ケ其他契約之方法二至ルマテ之ヲ制定スル也即テ其効益人道ノ丈節ヲ守リ権利之不可犯ヲ画スル等固不俟言一家ノ経済ヨリ一国ノ富強ヲ生シ家庭ノ平穏ヨリ邦家ノ安寧二及ホサシムル所ナリ故二苟モ生ヲ我域内二託スル者有生之初ヨリ有生之後二至ルマテ民法之庇陰二由テ其権利ヲ保全シ其財産ヲ安固二シ家庭ノ斉整ヲ得サル者ナキナリ今我実際之形状ヲ観察スル二…

 翻って、民法の学習をしている中で思い当たることは二つある:

 一つは、確か我妻先生も、その総則の総論の編で述べておられたように思うが、民法の財産関係とは、詰まる所、持てる者の法であり、持たざる者にとっては、生涯不要の産物であるということもできる。

 二つは、大木が述べるところ、世の中の物権債権親権相続権何々権がはっきりするところに家庭の安心、国家の富強が有り得こと、これは江藤が長文の辞表で認めたところと、共通するものである。

 上の二つは、鏡の両面であろうとおもう。時効の勉強をしていて、迫真の気持ちが湧くのは、自分もビジネスをしていてその当事者であるからに他ならない、自分が一個の学生として、あるいは働くところを持たない、持たざる者であれば、財産関係について自分が依拠するところは、もちろん身分関係については別だが、むしろほとんどないと言ってもよいかもしれない。

 法学的知識を身に付けることは、一方で、思考を鍛える面があり、他方で、その知識を利用するという面があると思う。それは、即ち、筋力と技術の関係と同じであり、相互補完的であるのと同時に、その技術を適用できる場面が特殊であるということも言えよう。ここで述べている中心は、何のために法学を勉強するのか、という根本問題であり、前者は普段の生活に寄与するが、後者はその寄与する程度が低いからである。

 以上