百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

見とれてしまいました !!! ~ 良寛さん から 貞心尼さん への手紙

2017-07-11 11:06:51 | 日記
     

 これは ↑ 空海さん直筆の文書から、「無」という字を取り出し軸装した掛け軸の、販売パンフレット(小学館イマージュさん取り扱い)の一部を撮影したものですが、老生、こういったDMは 迷惑どころか大歓迎であります。

空海さんの文字は、こういったチラシからでも、パワーが発散されてるように感じられるのです。以前には、空海さんのお書きになられた いろんな文書から字を拾い上げ 拵えた、般若心経 の掛け軸の 販売パンフが届いたことがあるのですが、その時も 何か特別なパワーが感じられましたから、その部分を切り抜き、オモチャのような掛け軸を拵えまして、まぁ まるでママゴトでありますが、上掲右写真のように、実際にお床に吊るしているのでありまして、掛け軸というもの、いっそこのように 大幅にダウンサイジングしたほうが、却って 需要は多いのではないだろうか? とすら思ったりしているのですが。


     送られてきた美術品の販売チラシで、襖の破れを修繕したりもしてます

洋画でも日本画でも彫刻でも およそ美術品のDMというもの、当ブログの 六つ前でも紹介させていただいてる例とか、上の写真のように、切り抜きを 破れた襖の上に貼って修繕するとかの用途もございまして、もちろん 見れば見て楽しいし、勉強にもなるという 極めてスグレモノであると言えます。で更に、たかが販売用のチラシと侮るなんて もってのほか、時には 今回のように、めっちゃ感動を 引き起こしたりすることだって あるのであります。それは、

小学館イマージュさんから届いた「良寛遺墨集~その人と書 全3巻」の販促パンフに掲載されていた、めっちゃ美しい、数多ある良寛さんの書のなかでも ナンバーワン の美しさと言える この書面の写真を、一目したとき 生じたのであります。



それには こんな 良寛さんの写真(鋳像)も添えられてて、感興が より滾(たぎ)ることに・・・・


何が書かれてるのか、オイラには ところどころしか判りません。でも 紙面から、良寛さんの貞心尼さんを愛するトキメキが、貞心尼さんを愛するヨロコビが 跳ね 飛んでるふうに、まるでわが事が如く ひしひしと、感じ取ることができるのであります。そこで良寛さんの気持ちを慮(おもんばか)り、死別4年後 38歳の貞心尼さんが編まれた、良寛さんの詩 および 良寛さんとの唱和歌を集めた「蓮の露」が一部分撮(うつ)されている、芸術新聞社さん発行「季刊・墨スペシャル・良寛入門」P155 を撮影・編集させていただきまして、ここに添えておきたいと存じます。



そして ここからは、春秋社さん発行の、オイラが大好きな 栗田勇さんが書かれた「良寛」という本から、貞心尼さんのことを拾い書きしてみようと思います。
            
・ 貞心尼(俗名 奥村ます)さんは、長岡藩士 25石取り奥村五兵衛さんの娘で、美貌で
 頭の良い、読書や短歌好きの 文芸少女であった
・ 17歳で小出嶋の医師 関長温に嫁ぐも、5年後 死別。23歳で尼寺に入り 貞心尼の
 名を貰う
・ 長岡市の閻魔堂在の 30のとき、詩歌に秀で 子供と遊ぶ禅僧への憧れめいた気持から、
 寺泊の木村家裏屋に移り住んでる良寛さんを、手鞠を携え訪れる。このとき良寛さん 70歳
・ 二人の出合いは、逢った瞬間 互いに 逢うべくして出逢ったと感じ合う、まさに
 運命の出逢いというものであった
・ 時は秋、二人は時間の経つのを忘れ 夜通し語り合い歌を交わし合うが、それは
 たちまちのうち 恋の歌へ・・・・・

   きみにかく あひ見ることの うれしさも まださめやらぬ ゆめかとぞおもふ   貞
   ゆめの世に かつまどろみて ゆめをまた かたるもゆめも それがまにまに   良
   むかひいて 千よもやちよも 見てしがな そらゆくつきの こととわずとも    貞
   しろたえの ころもでさむし あきのよの つきなかぞらに すみわたるかも    良

・ 文(ふみ)をやり取りし、ときには 互いに訪ね合って、こんな歌も・・・・・

  いかにせむ 学びの道も 恋草の しげりて今は ふみ見るも憂し     貞
  いかにせむ 牛に汗すと 思ひしも 恋の重荷を 今はつみけり       良
  霊山の 釈迦のみ前に 契りてし ことな忘れそ 世はへだつとも      良
  霊山の 釈迦のみ前に 契りてし ことは忘れじ 世はへだつとも     貞

・ 34歳時、1831年 正月6日 午後4時頃 良寛さん没(74歳) を看取る
・ 38歳時 「蓮の露」を 編む
・ 75歳 柏崎にて 没


世の オトコども、良寛さんに憧れるの、貞心尼さんとのことがあるから、余計に思われるのでしょうか。少なくとも オイラはそうであります。まさに 夢のような 夢見る出来事であるからです。現実には、「なにゅうゆうとん、わたしが おるじゃない」との たったヒトコトで、ポシャってしまいますが。されど、子供のおり、ママハハ映画が ハヤったとき、オイラの母親がママハハであったら なんて、不謹慎なこと思ったりしたことありますが、それと同じような妄想に取り憑かれることの 多くなってきたような気も・・・・ひょっとして 認知症 ? ・・・でも、捨てきれない夢です。オイラの貞心尼さ~ん、そろそろ 出て来てくださ~い・・・お願~いしま~す・・・・オハリマ~ス !!! 。 


 < 追 伸 > H30.4.8 記
 金子兜太さんの本を見つけるべく庵の本棚を探す中、オイラのすっかり忘れていた良寛さん本があって、めくってみると 貞心尼さんの絵がでてきましたので、写真を撮り、本ページに集約しておきたく思います。昭和50年「朝日ソノラマ」社発行 松岡新也さん著「良寛をもとめて」という新書判の本です。

                          良寛さん と 貞心尼さん
   
       晩年の 貞心尼さん             若い日の 貞心尼さん

 < 追 伸 > R2.8.8 記
 H29.9.29~11.5 岡山県立美術館於の特別展『慈愛の人 良寛 ~ その生涯と書』の図録にも
貞心尼さん宛ての手紙がありました。


良寛さんの出された手紙は数多くありますが、「きれいだなぁ」「ええなぁ」と 特に思えるのは、断然 貞心尼さん宛ての手紙であります。細かな神経が隅々まで行き届いてるよう見受けられますし、何よりも ” 綺麗さと 艶っぽさ " が 際立ってるのです。






           


                              

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