昭和48年4月初め、秀才R君とともに山陽本線の普通列車に乗っていた。
広島で電話級の国家試験を受けるためだ。
一方、同級生のS君は急行に乗って行くと聞いていた。
親父さんと二人で受験するのでスポンサー付きというわけ~。
ちなみに、山陽新幹線は2年後に博多まで開業したが、
例え走っていても貧しい我が家の常識は在来線であっただろう。
(昭和48年、日本国政府発行の従事者免許証)
(従事者免許まで約2か月、郵政大臣の印)
それから4か月の月日が流れて8月にやっと局免許が来た。
高校1年の夏休み、親友H君と自転車で九州一周する計画であった。
すでに買ってもらったTR-2200Gを持って行くはずだったが、
出発日の8月初めに免許は間に合わなかった。
やむなく無線は断念したがリグがあれば違った出会いがあったかも。
これが現在なら電子申請により速やかに下りていたことだろう。
開局当時のとても残念な思い出だ~。
ちなみに、局免許は九州から帰って数日後に届いた。
当時、高校生のハム仲間が市内に十局以上いた。
夜な夜な入れ代わり立ち代わり2mでラグチューに興じていた。
もちろんそれぞれ高校も学年も違っていたが、
全員が同級生ののりでとても楽しい毎日だった。
しかし、今でも無線をしているのは当局を含めてひとにぎり。
秀才R君は大都会へ出て行ってからどうしただろうか。
同級生S君はスポンサー付きなのでFT-401SでHFデビュー。
2m-onlyの当局には眩しい無線機が羨ましかったが、
S君も親父さんもとっくに廃局してしまった。
一緒に自転車で九州一周したH君ものちに開局したが、
しばらくして無線をやめてしまった。
かつて「趣味の王様」と言われていたアマチュア無線、
コロナ渦にあってもコロナに負けず楽しめるいまこそ、
趣味の王様の本領発揮と感じるきょうこのごろである。
無線の世界へ、みんな復活しませんか~♫
つづく~。