放浪の人生日記

就職妨害で落ちること25件



1987年5月末で辞めた会社Aは、工場長が175時間残業したと話した。
昭和のタコ部屋、90年バブル期。

社会に出て最初の勤務先はカーディーラーの整備工場。
残業はまずない。全員が17時になれば帰る支度をする。

この時間帯、製版業界では営業員が、仕事を持って帰る。明日からではなく今日から着手する。

半ば病気になったことで辞めた。
これ以上は危険。
死ぬまで働く義理はない。
辞めた後で就職妨害された。25件の面接で落ちた。26件目は、Aと仲の悪い会社で採用された。

Aは2006年、福岡地裁「破産手続開始の決定」
2006ー1987=19年後
因果はめぐる糸車。
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