花の四日市スワマエ商店街

四日市諏訪商店街振興組合専務理事の横道ブログ

阿瀬知排水場

2021-06-04 | レモン色の町

1日のブログで、阿瀬知川河口の様子を見て、心もとない気がしたが、

2021年6月1日のブログ記事一覧-花の四日市スワマエ商店街 (goo.ne.jp)

昨日は自転車に乗って、23号線の西側から様子を見た。住友電装側、23号線沿いに“阿瀬知配水場”(訂正:排水場)の入り口があった。トラックが止まって何か作業をしている。

西側へ回る。

大掛かりな設備だ。20年ほど前、子供の夏休みの研究で“阿瀬知川をたどる”と題して、ほとんど自分がしたが、その時以上の設備に発展しているようだ。今回は中へ入って質問できなかった。

グーグルマップを超原始的方法で掲載します。まったく堰き止められているみたいです

何となく安心できそうな気がしたが、大雨の時に再度訪問してみたい。

コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊勢暴動 四日市を襲う! | トップ | さまよえる稲葉三右衛門翁 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-06-04 22:59:49
排水処理場ではない、もちろん配水場でもない。
“排水場”とは一体をする施設なのでしょうね。
60年以上前はあの汚いドブ川だった阿瀬知川に、3年ほど前に訪れた時、JRの鉄橋の西側のきれいな水の中に金色の鯉がゆうゆうとおよいでいたのが、とても印象的でした。
阿瀬知排水場 (タケオです)
2021-06-05 10:02:12
鯉の泳ぐのを見てきました。排水場は、阿瀬知川の水を強制的に海へと流すシステム。それまでは大雨が降るごとに街なかは浸水ばかりしておりました。2000年の大雨の際には、設備ができているのにスイッチを入れ忘れて、水浸しになった記憶があります。
Unknown (伊勢生まれの下総人)
2021-06-05 11:42:31
なるほど、強制排水。その使命はずうっと昔から続いていたのですね。
62年前の伊勢湾台風。
昌栄町の県道沿いで、さらに40cmくらい盛土がしてあった私の家でも床上50cmの浸水。裏の低い長屋の家では天井まで来たそうです。父が人伝に聞いた話では、阿瀬知川の水門が海側へ水を強制的に吐き出したので、周りに水が溢れ出したとのこと。
台風の翌々日くらいでしょうか、買出しを頼まれて諏訪新道辺りへ出掛けましたが、あの風雨の割に、街並はケロッとした感じだったのが意外でした。
水門の海側の両岸に位置する昌栄町、西末広町はある意味、犠牲になったのですね。
まあ、死者が出なかっただけでも、幸いということでしょうか。
阿瀬知ポンプ場 (タケオです)
2021-06-06 09:51:49
5年生の時、伊勢湾台風に合いました。四日市で死者115名の方が亡くなりました。港方面の児童は、床上浸水が多く、街中は床下で収まった家が多かったようです。阿瀬知ポンプ場の供用開始が昭和34年。伊勢湾台風の年と一致しますが、どちらが先だったのでしょうか?ちなみにこの年の8月にも台風7号が来襲して、集中豪雨で被害が出ています。とにかく“排水しなければ”というところだったのでしょう。
スミマセン! (タケオです)
2021-06-06 09:56:47
伊勢湾台風時には、下総人さんのコメントによるとポンプ場はすでにできていたのですナ。
改築設計業務委託の工事入札が2015年8月に行われています。昭和34年完成以来、どんどん改良されているようです。

コメントを投稿

レモン色の町」カテゴリの最新記事