花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

佃島ふたり書房の良いお話

2005年07月24日 | おいらの商店街
日はマックが来て、商店街で歌を歌ってくれた。8月14日のイベント「お諏訪さんにいらっしゃい」でも歌ってくれる。でも今日は違うお話です。
久根達郎さんの「佃島ふたり書房」の本を書店へ探しに行った。以前読んだ「お書物同心日記」の著者である。講談社文庫で出ているはずだが、売ってない。
いとなると余計読みたくなる。ネットで買うほどでもない。松ちゃんにそれとなく話してみると、ハードカバーで持っていた。持つべきものは友である。早速、お借りして読んでいる。まだ三分の一ほどだが、商売の参考になる箇所があったので、辛抱たまらず引用させていただく。
田郡司は、佃の小さな店「古書売買 ふたり書房」に勤めていた。主人の死と、続く奥さんの死で、梶田は店をやめることになるのだが、娘の澄子が店を再開することになり、梶田は手助け役になる。
る日、店番をしている澄子のところに、秋水という世話物を書く作家が訪ねてくる。老人は梶田がやめたことを残念がり、澄子に一言アドバイスする。
本屋さんという商いは、よその物売りの数倍、商品に愛情を持たなくてはいけませんよ。店主の本への思い入れの深さが、客を呼ぶんです。客は本の身内ですからね。本を邪険に扱う店には寄りつかない。それと、売れなくても店は開けること。本が窒息するからね。本は生き物だから。いや、本当。ためしに話しかけてごらんなさい。顔が輝きます。
のあと澄子は、開店してから、はじめて本にハタキをかける。ゴメンネと声をかけながら。すると店の照明がひときは輝いた気がするのだった。出久根さんは、昭和30年代の佃の町を、懐かしさと、巷に残る江戸の情緒をゆっくりと、やさしく描く。
書店に限らず、商品への愛着は、ともすると自分が忘れがちなことではないだろうか。専門店と自称する以上は、陳列の品に愛情を持ちたい。反省!