周辺敵国が領土拡大や内政干渉を露わにしている我が国の防衛を考える上で大切なことは一寸の領土、国民一人の命も奪われないぞ、と言う気概を内外に示すことだと思います。
戦前の失敗の一つは他国との軍事協定によって戦艦や戦闘機、兵員の数など協定によって制限を受け入れてきたことも原因していたと私は思います。
今も世界は核兵器や研究、実験で他国を制限しながら自国の拡大を図っているのを見ると世界は騙し合いの中で進んでいることがわかります。
専守防衛を守らされている我が国の防衛は攻撃を受けて犠牲者が出てからしか反撃できないと我が国の国民も政府も信じています。
野党や左翼の中には未だに軍隊を持つことに反対し、隣国の日本侵略を助けてやっている売国奴も大きな顔をして日本国民を名乗っています。
「対馬・壱岐の男性のほとんどは殺され、さらに女性や子供は手に穴を開け、そこをひもで通して船に鎖のように結ばせました。」この一文は何なんでしょう?
元寇の時の隣国の侵略の時の史実です。まず一番朝鮮半島に近い我が国の対馬・壱岐に上陸した元とその先兵になって攻めてきた朝鮮軍によっての惨殺の模様です。
大東亜戦争末期アメリカ軍による本土爆撃や広島長崎に投下した原爆による国際法上禁止されている民間人の虐殺など多くの経験を経てきた我が国は未だに他国の信頼の上に日本の平和が保たれている等という。
嘘話を信じさせられて生きているノーテンキな国民性。
本気で国を守る事を考えるなら「専守防衛」では守れないことは明白です。何しろ周辺国は虐殺を平気でやる国(国民)ばかりだからです。もちろんアメリカも。
昔から軍隊・軍人の強い国(昔のイギリス、フランス、日本など)には騎士道や武士道が育ち、弱い者いじめをするのは卑怯だという精神が育まれてきました。
正々堂々と戦う、嘘や卑怯な行為はしない、弱い者いじめをしない、約束(協定)は守る。のが常識でした。このような基準で周辺他国(他国民)を見てきたらどうでしょう?
そして、その基準で戦後の我が国、我が国の政党、自分の周囲の人達、自分を見てきたら「ボーっと生きていられない」世の中になってきたのを実感します。
嘘をつくのは悪いことだ、嘘つきは泥棒の始まりだ、弱い者いじめは卑怯だ、などと子どもたちに堂々と言える私が育った戦前の日本の昔が懐かしいですね。
弱虫は嘘をつかねば切り抜けられなかったのです。弱虫は他人の物を盗まなければ生きて行けなかったのです。弱虫は川にハマった犬を叩くことしか快感を得ることができなかったのです。「上にへつらい、下をイジメる。」こんな国民に子孫がならないために今こそ強くならねばなりません。
「孫子の兵法」こそ弱虫の兵法だと私は軽蔑しています。弱虫が勝つ卑怯な手口を教えているからです。経営者までがバイブルのように有り難がる姿が今の日本の経済を表しています。騙し合いの末は自分も最後には騙されて終わってしまっています。日本一の大企業が外国に吸収される姿を見るにつけ、騙し合いには日本人は向かないと言う事です。
周辺国は軍事力は大きくなっても本質的には弱虫国家なのです。そのことを考慮しなければ日本が、日本人が弱くなれば必ず隣国の侵略(今は内部からの侵略ですが最終的には軍事侵略)を受けます。チベットがウイグルが南モンゴルが隣国の侵略に屈したように、明日の台湾、明日の日本もその時期が迫っているのです。
昔から「皮を切らせて、骨を切る」という言葉もありましたが一人の犠牲も出さない覚悟と対処が大切で、一皮も、一人の軍人(今はまだ自衛官)も切らせない防衛計画。
それは、「寄らば切るぞ!」の覚悟です。侵略の意図を持って近づいてきた敵を打つ覚悟と対処しか国民と国を守ることは出来ません。
私の言うことは過激だ、右翼だ、とよく非難する人がいますが、ならば、一皮も一人の日本国民を切らせない方法を提示スべきです。と、私は思うのですがね。
私が右翼だということに抵抗しているわけではありません。右翼=愛国者、と誇りに感じているのですから。(街宣右翼ではありません。間違わないでください。)