かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

「独学」 自立・独立のための学び

2020年06月07日 | これからの働き方・生業(なりわい)

facebookでまわってきた  #ブックカバーチャレンジ の6日目より転載

ロングセラーの『エリック・ホッファー自伝』ですが、独学の価値を紹介する本として選びました。

独学といえば、南方熊楠を筆頭に、武満徹やさかなクンなど、たくさん紹介したいところですが、熊楠は大好きですが、あまりにも超人すぎること、武満徹は音楽の世界に限定されるかの誤解をされそうな点で、さかなくんにするか、エリック・ホッファーにするかで迷いました。

「迷うくらいなら両方とも」というのが日ごろ言っていることなので、いずれさかなクンについてはまた書く機会があるかと思います。

「独学」というと、得てして「公教育」からはみ出した領域の勉強のことかの印象もありますが、本来は「独学」こそが、学びの基本です。そして本来は、公教育においてさえ「独学」をベースに組み立てられるべきです。

エリック・ホッファーは、読書の時間を確保するために、その生涯のほとんどを港湾労働者など季節労働者として働きながら、完全独学で大学レベルの物理学、数学、植物学などをマスターしました。

やがて哲学者としても評価されCBCの対談番組で全米各地に知られるほどにもなりましたが、それでも港湾労働者の立場は変えませんでした。

そもそも学校に行っている間だけが「学び」の期間などと思ってしますこと事態がとんでもない勘違いで、世の中に出てからこそがホンモノの学びの始まりです。
また、この世と世界の奥深さから考えれば、余暇の時間だけ一生懸命学ぶなどというのではなく、一生涯を学びに費やすことすら、決しておかしいことではないはずです。エリク・ホッファーの生き方は、誰でも自分固有の価値を追求しようと思うならば、持ちうるすべての時間を使ってそれに没頭すべきだという励みを私たちに与えてくれます。

『魂の錬金術』というタイトルにも覗われるように、一貫した独学で身につけたものならではの、ほとばしるかのような言葉が、心に響きます。

その生い立ちから、ずっと数奇な運命のなかで生きた姿は、数々ある自伝のなかでも、読書や独学を真剣に考える人にとっては必読の1冊です。

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と、当初はこのような紹介で終らせるつもりでしたが、どうもこれでは「独学」の大切な何かが語られていないような気がしていました。

「独学」というのは、通常教育からはみ出した領域にあるものではなく、人が生きていくために学ぶという前提に立つならば、あらゆる教育機関によってなされる学びよりも、むしろ「独学」こそが基本的姿であるはずだからです。

たしかに幅広い知識や教養を身につけていくために、独学や読書が大きな役割を果たすことに異論はないのですが、もっとも大切なことはそこではないと思っています。

これまでのなんらかの業種や職種に参加して食べていくためだけの「学び」であれば、従来型の「学び」とそれに付随した「知識」「教養」でも十分であったかもしれません。しかし、これからの時代は、既存の業種や職種に参加、所属するだけではなんの保障にもなりません。大切なのは、そこに参加・所属する個人として、その人ならではの固有の能力をいかに発揮していくかということです。

それには、学歴があれば、資格があれば、良い会社に所属すれば、といったことでは保障されない独自の能力を、その都度、必要なときに絶えず学び身につけていくことこそが不可欠であるからです。

つまり、それはルーチン的資質を身につける「学習」の範疇の「独学」ではなく、生きている限り絶えず直面するその時々の課題に立ち向かう「学び」でなければならないという意味です。

そこには、同時に「自立」という課題も絶えずつきまとってきます。

どれほど習熟した「独学」や「学び」で得た資質があっても、自分の立脚する立場が学校や会社に依存するだけの立場であっては、たとえ大学教授のようなスペシャリストであっても、給料をもらう弱い立場をである限り、必ずしも自立した研究者となる保障は得られません。
いかなる仕事の場合でも、どこからお金をもらっているかがその人の立場をつくるからです。

そんな視点で振り返ると、わたしのもっとも影響を受けている哲学者の内山節さんは、生涯にわたって大学という立場にほとんど依存することなく独自の立場での研究を貫き、そのことによってまた内山さん固有の視点というものを磨き続け得たのではと感じます。内山節さんは、必ずしも自らの研究姿勢について多くは語ってはいませんが、これはただ内山さんの特殊な研究スタイルということではなく、とても大事なことであると感じます。

もちろん、すべての人がそうでなければならないということではありませんが、「学ぶ」ということの原点を深く考えれば考えるほどこのことは大事なことのように思えてきます。

今回のコロナ騒動でも、多くの人が見せつけられたことと思いますが、会社経営や、個人の生き方、地域のあり方でもまったく同じで、ひとつのものだけに依存、または所属してしまうと、一時的な安定は得られたように思えても長いスパンでみれば意外と脆いものであることがわかります。

むしろ自立とは、依存先を増やすことです。

それには未知の領域、未経験の世界について学ぶことが不可欠です。

目の前に次々と起こる課題に直面した時に、過去の経験や知識にとらわれることなく乗り越えて生きていくためには、必然的に幅広い知識や教養を身に着けることだけが第一の目的ではないということにも気づきます。

新しい現実に直面したその時こそ、「学び続ける」ことが、何よりも不可欠なことであるからです。

「生きる」ことと「学ぶ」ことは、そもそも同義語なのです。

 

 

 

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