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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

教科書のデジタル化のゆくえと展望  その2

2009年10月24日 | 出版業界とデジタル社会
前回はデジタル教科書導入の方向へはたらくメーカーや出版社、文部科学省などの思惑と動きなどについて書きましたが、政権交代がおきたことで、学校教育そのものもこれから10年では、おそらく大きくかわっていくことと思います。

 私個人としては、検定教科書なんていらない、義務教育も社会が一定レベルになれば、受けない自由があっても良いと思っていますが、そこはおいておいて、もう少しここでは一般的な立場で発言します。

 私個人の希望的観測も含めて、変わりゆく教育のなかでのデジタル化がすすむことで教科書や学校教育の現場の姿がどのように変わっていくのかを、わたしなりに少し書いてみることにします。

 前回の記事を書いたときに、デジタルは「貧しい」、紙の質感を含めた情報の豊かさにはかなわないといった旨の意見がありました。
デジタル化がすすめば進むほど、アナログの良さが再評価されたり、部分的に復活することは大いにありうることと思います。

しかし、いろいろと議論が混交しやすいので難しいところですが、まず、今の紙の教科書であっても、原稿から編集、製版に至るまで、大半の作業はデジタルでなされている現実にはかわりないと思います。


それはデジタルでつくられた情報を紙に出力するか、ディスプレイに表示するかの違いであって、そこに起きている差というのは、第一に表現方法の差であり、使われる紙質、印刷のグレード、ディスプレイの大きさ、画面の見易さなど必ずしもデジタル云々が質を左右する決定的な理由になるものとは限らないのだと思います。


進学校での電子辞書の普及が100%に近いところまできていることにみられるように、他方で紙の辞書の再評価がおきているのは当然のことと思いますが、それは授業法の選択肢のひとつとして出ているだけであって、進学校の大半が紙の辞書に戻るというようなことは、もうありえないことです。


そこで、そもそも情報がデジタル化されることとはどういったことなのか、といったようなことから確認しながら話をすすめてみます。

デジタル化という変化がわたしたちの生活にもたらす変化を考えると、以下の主な特徴に要約できるかと思います。

第一は、あらゆる異質な音、映像、文字などの情報を、同質の記号に置き換え変換することができること。
第二は、そうしたあらゆる異質な情報をデジタル信号におきかえることで、どこへでも瞬時に移動・転送できるということ。
第三は、デジタル信号に変換されることで、膨大な情報をコンパクトに収納できること


なんか社会に果たす役割の特徴をみると「お金」と極めてよく似た性格のものであると感じます。
そのことはとても大事なことなので、おそらくまた別の機会に書きますが、こうした技術は、必然的に教育そのものも大きく変えるものだと思います。

まず第一、第二の特徴から言えることは、教科書、教材、辞書などあらゆる情報が既にデジタル化されていますが、このことによって、今は印刷された教科書や教材を全国に発送されていますが、すでに元情報がデジタル化いるので、各地区や学校で必要な印刷することも不可能ではない時代になったこと。
あるいは必要な箇所だけその都度現場で印刷して渡すということも不可能ではありません。

また元の情報を著作権などを保持したまま渡してもらえれば、教師の授業プランに応じて、自由に見やすいよにあるいは子どもがわかりやすいように再編集してわたすことも可能なのです。

その方法は、デジタルデータのまま子どもが持っている端末に送るのもよし、
先生が必要な部分を拡大カラー印刷して配布するもよし、
教室の大型ディスプレイ、もしくは電子黒板に写しだすもよし、

それらに自由に参考教材もリンクして組み立てられるのです。

大概一回の授業で使用する教科書は、1,2ページの範囲である場合が多いのではないでしょうか。
そうであるならば、1冊の本を持ち込むことよりも、その日の授業内容により集中して広げることの方が授業は魅力的なものにしやすいと思います。
見開きA3にまとめられた情報よりも、拡大・縮小、写真、動画などを自由に組み合わせたものの方が(もちろんすべてを使う必要なはく)
教師が自由に授業プランをたてられ(現状では自由でなく決めてもらった方が良い教師が多い時代かもしれませんが・・・)
そうした様々な授業プランを公開、共有することができたらどんなに面白いことでしょう。

そもそも、私は昔から疑問に思っていたのですが、一つの教科を20年も30年も教えていたならば、自分で納得のいく教科書をつくってそれを使いたいという先生がいて当然なのではないかと思うのです。

すべての先生がそうである必要はありませんが、ひとつの地域でひとりでもいて、それらをネット上に公開でもできれば、現場の先生が自分の授業で使いやすいものを自由に選べる。

そんなことができる時代であれば、当然授業風景そのものも、すでに予備校が実現しているように評判の先生の授業は衛星画像で自由に見ることもできる。
大事なポイントになるようなテーマの日や、その担当の先生の苦手な項目の日などは、名物教師の授業を大画面で受けることもできる。

デジタル化という現実は、すでにそのような授業風景のインフラを私たちに提供しているのです。


次に第二、第三の特徴からでる主にインターネット環境のもたらすことについて次回に書きます。


教科書デジタル化のゆくえと展望 その1

教科書デジタル化のゆくえと展望 その3

補足 デジタル技術への抵抗感について

モノの記憶
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1 コメント

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教科書のデジタル化、、、、、 (よっちん)
2009-10-25 20:57:22
これは教科書だけのことと強調していただきたく、あくまでも教科書だけと、くりかえ訴えたく思う者です。
「それはデジタル云々、、、、、限らないのだと思います。」とありますが、その表現方法に意味があり大きな問題があると思います。
ものを知り学ぶということは、まずものを聞いたり読んだりして想像からはじまることとおもいます。個人、個人の想像から現実に触れた時知った時の感動が人間の成長のうえで大切な課程だとおもいます。教科書も本の一部と考えれば本の表紙、紙質、挿絵、など思い出に残っていたのはなんだったのでしょう。

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