幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

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 自分と向き合う方法

2013-09-15 01:45:52 | Weblog

 
 
 じぶんと向き合う方法。
  
 目玉では自分が見えない。
 
 でも鏡で見ると見えるから。
 
 たぶんこの顔のこの頭の中にある脳がこう考えているのだと思う。
 
 「考えている自分を客観的に見つめられるか?」と。
 
 でも、私はそう考えている思考を意識しているだけで、自分を見つめている訳ではない。
 
 では自分、私とは何だ?
 
 思考でもない、呼吸でもない、身体でもない。
 
 でも、もしかしたら、思考であり、呼吸であり、身体かもしれないもの。
 
 それらの総体?
 
 だから、じぶんと向き合うとき、それらの活動をできるだけストップさせてみる。
 
 そして、意識してみる。
 
 「私は意識している」
 
 「意識している私」
 
 「意識を意識することはできるか?」
 
 「私を見つめる私は、私を見つめている私を意識できるか?」
 
 「呼吸なら意識できる」
 
 「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って、それを見つめる」
 
 「息をしている私。息を能動的にしている私」
 
 「能動的に息をしている私を静止させる。それでも呼吸は可能か?」
 
 「呼吸を止めると苦しくなる。だからといって、呼吸を全て自然にできるわけではない」
 
 「止めた時だけ、苦しくなって思わず能動的行為から解放されるが、それも束の間、今度もまた、能動的呼吸が始まる」
 
 「意識が始まる」
 
 「思考している時、私は私を忘れる。でも、思考は私の思考。なくなりはしない。束の間、思考しなくなる時があるだけ」
 
 「座っている、この身体全体が私」
 
 「呼吸している、この身体全体が私」
 
 「でも、この身体は動かない。動かさない。ただ座っているとき、私は存在しているか?」
 
 「何かの刺激に反応して活動が始まった時、私はその反応として、その行為として存在している」
 
 「なにもしないでただ座って呼吸しているとき、私はどこに存在するのか?」
 
 「この意識が私か? だったら眠くなったときは、私がいなくなったのか?」
 
 「そうではない。ただ、忘れただけだ。意識を失っただけだ。集中が切れたからだ」
 
 「ただ集中していると、なぜ?、何のために?、」
 
 「そして、本当に? 何に? 私は(この私は何だ?)何に意識を向けているのか?」
 
 「なぜ? 何のために? 何に?」
 
 「呼吸か? 身体か? 思考か?」
 
 「呼吸するときの息の流れ、身体の膨らみ、腹と胸に流れ込む空気、そして吐き出す時、鼻から出ていく息」
 
 「思考? 思考を思考している思考? 思考って何だ? 私がしている思考は私ではない?」
 
 「組んだ脚が痛い。背骨が伸びていない。顎を引いて。脚に重力がかかる。頭は天を指している。でも、私はこの身体から離脱できない」
 
 「もしかしたら、思考しか、自分に役に立つツールは存在しないのかもしれない」
 
 「私のする思考だが、それは、なにか私以外のものを導き出す通路となるのかもしれない」
 
 「デカルトもそう言っていた。そして、シュタイナーもそう言っていた」
 
 「クリシュナ・ムルティやラジニーシは逆のことを言っていた」
 
 「思考は中古品だ。思考を落とせ。と」
 
 「思考を無くしたときに、初めて大いなるものと一つになると」
 
 「確かにそうだ。大いなる全体には、私はいなかった。そして、私以外の全てがあった」
 
 「でも、思考によってそこに近付く方法もあるのかもしれない」
 
 「思考によって、思考を落とすのだ」
 
 「さもなければ、人間が言葉を使う意味など無くなってしまう」
 
 「名付け得ぬものを名付け、言い表せないものを言い表す」
 
 「肉体では近づけない形而上の、より高き至高の存在に、言葉によって近付いていく」
 
 「そして、思い出す。とても不思議な体験として、なつかしいものをことを思い出す」
 
 「はたして、僕は、チャクラのエネルギーを循環させる」
 
 「そして、意識の流れが、肉体を超える抽象的世界と混交させるために」
 
 「意識の働き、呼吸の働き、イメージ、抽象の働き、そして、物理的ではないエネルギー、このエネルギーって何だ?」
 
 「単なる、重さ×異動した距離×速さではない、何かの仕事をする抽象的エネルギー。たとえば、思考。たとえば、イメージ」
 
 「思考、イメージを自由自在にできること」
 
 「それこそ、超越」
 
 「自分の枠を超えた思考、イメージこそ超越」
 
 「真理とは、思考によって行きついた故郷」
 
 「不思議な感覚と伴に思い出す」
 
 「今まで忘れていたものを、それが初めからそこにあったように」
 
 「私の記憶なのか、全体の記憶なのか、私の想い出なのか、全体の想い出なのか」
 
 「なつかしくもあり新鮮でもあり、それを思い出すことが自分自身を思い出すことだったかのように」
 
 「間違った夢から覚めて、全てが夢であるような夢に目覚めたような」
 
 「言葉をしゃべれる私が、新たに思い出した最も古いことは、言葉を超えた記憶にアクセスするには、言葉の階段を最新の最先端まで昇らなければならず、その至高の高みで見える景色の中に、もっとも遠い事象の地平線に、原初の太陽が爆発している、時間の始まりの光景が描きだされていること。そして、今現在までの全てが既に今ここにあるということ。そして、時間は未来とも分化していないということ。」 
 
 「私とは、宇宙にあまねく輝く意識の一つの輝き」
 
 「存在する宇宙の数だけ、意識があるはずだ」
 
 「存在する宇宙の事象の数だけ、意識があるはずだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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