幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

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何故、宇宙は人類を造ったのか?

2016-05-05 18:40:51 | Weblog

何故、宇宙は人類を造ったのか? SさんとFB上でやりとりした私の発言部分を抜粋して掲載させていただきます。
何故なら、この事こそ、私が物心がついた頃からずっと考え続けてきたことだからです。

何故宇宙は人類を造ったのか?

それは、意識をもった存在を創り出すため。^o^

もし宇宙に意識が無かったら、存在するという意識もなく、存在しないことと同じことになってしまいます。“宇宙が存在すること”と、“私の意識が存在すること”は、最大の神秘だと思います。

そうですね。
だから、デカルトは炉部屋に閉じこもって、理性では疑い得ない“第一命題”を導き出したのです。
コギト エルゴ スム。
我 思う 故に 我有り。です。
人間の五感で“視覚”を偏重し過ぎたのは物理学だと思います。アインシュタインは、“光速絶対”の方程式を創造しました。目に見えるこの光より速いものは存在しないのです。かつて、ネオ・プラトニズムが真理を光に喩えたのを思い出します。

哲学的思考によってしか認識できない“有”が存在すると思います。
“哲学的”と書きましたが、“数学的”とも言えるのかもしれません。

表象といいますよね。目で見ていても、そこに概念が無かったら何を見ているのか認識できませんよね。
私はイデアの世界が最初にあったと思っています。
人間の言葉は、最初にあったイデア世界のロゴスを映し出したものであって、言葉による知的活動そのものが、宇宙の法則を創造したロゴスの似姿なのだと思います。

だから、宇宙法則と人間の知性は矛盾しないのだと思います。

もっと言えば、宇宙法則とは、人間の知性によって創造された体系だと思います。宇宙そのものは無限であり、人間の知性が理解したほんの断片が“宇宙の法則”と呼ばれているに過ぎない、と。

聖書「ヨハネによる福音書」1-1に「初めに言があった。言は神と共にあった。言は 神であった。」と書かれています。言葉によって“神”は、万物を創造したのです。そして神は「我々に似せて」人間を作り出したのです。つまり、我々が使う言葉は、原初の神々の使った“言葉”に似ているのです。言葉そのものが神であったのだとすると、知的思考は神々の創造と同じく、宇宙の法則を創造できるのです。ニュートンの知性がニュートン物理学を創造したように、アインシュタインの知性が相対性理論を創造したように。知性は、神々の創造と似ているのです。

“神”と言うと、その時点で思考が停止してしまいますよね。神々を引き合いに出せるのは近代までで、ニーチェが登場してからは、神とか“イデア”だとか、形而上の存在については、安易に言及できなくなりました。しかし、ニーチェは自らが“神”になったのだと思いますが、ニーチェはあの様な形でしか“超人”になれなかった。

もう一人、自らが神になった人がいます。ディアギレフバレー団のニジンスキーです。ニーチェにしろニジンスキーにしろ、彼らは、狂ったのではなく、我々凡人の及ばない高みに到達したのかもしれないと思っています。

「人間は発展途上の神である」と言ったのはヒットラーだそうですが、ニーチェの超人思想に傾倒していたのだと思います。ニーチェやニジンスキーが神になったのだと思っているのは、私がかってにそう思っているのであって、証明はできません。ただ「ニジンスキーの手記」には、私(ニジンスキー)は神になったのだという記述があります。東洋ではもっと別の見方をするのかもしれません。「精神病院にいる何割かの人は、我々のレベルから下に落ちたのではなく、我々のレベルからより解脱に近づいた人達である」と、インドのグル(自ら、光明を得たと言った)、ラジニーシは言っています。
精神の高みについては、客観的には議論できない事柄だと思います。自らが主観的に体験するしかないのだと思います。けれども、主観に傾き過ぎるのも危険であって、禅では師と弟子の関係ができているのだと思います。

そうですね。
主観と客観とは厳密には分けられないのかもしれません。
議論できて、楽しかったです。

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