幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

幻の現在詩人 紫源二 の リアルタイム・ネット・ポエトリー

 お似合いのがらくたは厳重に監禁されている

2013-09-15 02:28:28 | Weblog

 
 
  冬になって、なにもやることがなくて、夕方の空気を感じて、好きなことができるとき
 
  だれも来ないあの山の裏にあるあの池で、ひとり裸になって泳ごう
 
  寒くて震えるだろうが、そのくらいの寒さで凍えたりはしない
 
  どうせぼくは凍え死ぬんだから、でもまだ、その日じゃない
 
  夜中、雑誌の編集者に呼ばれて、バイクを走らせた
 
  真冬なのに、マフラーもしないし手袋もしないで
 
  途中で凍え死にそうに身体が冷たくなった
 
  でも、これくらいじゃ死なないと思った
 
  ぼくはいずれ凍え死ぬが、今じゃない、もっと先に、もっともっと寒くて、凍ってしまう
 
  そんな日がいずれ来るはずだ
 
  そうしたら、あの子のところにバイクを走らせ、死ぬところを見せつけてやろう
 
  彼女とは結局、付き合えなかった
 
  だから最後には、かっこいいところを見せて
 
  つまり命懸けで来たんだというところを見せて
 
  あの世の3丁目3番地のトンネルをくぐろう
 
  死のトンネルは、ジメジメしていて、薄暗いんだ
 
  臨死体験者の言うような光輝くトンネルとは別物なんだ
 
  ぼくは薄暗いトンネルの中に入って行く
 
  トンネルを抜けると、言葉では表現できない風景が広がっている
 
  そして、なつかしむ
 
  こんな処にずっと昔いたことがある
 
  そんな知ってる場所だってことがわかる
 
  ここではあらゆる天才があらゆる芸術を創造していた、そして今でも天才が創造している
 
  でも誰にも見えない聞こえない 音楽、絵画、建築、彫刻
 
  ここにはインスピレーションが溢れている
 
  なぜなら、インスピレーションの泉があっちこっちにあって
 
  今にも死にそうなぼくなんだけど
 
  (もう死んでいる?)
 
  泉からあふれ出るインスピレーションがぼくをうっとりとさせるから
 
  死は怖いものではなく、あちらに行くだけのことだということだとわかってくる
 
  あらゆるものが無秩序に溢れていて
 
  周りの固定化された秩序を容赦なく流している川に
 
  創造がぶちまけたガラクタが漂っている
 
  ぼくにはそういうガラクタがお似合いだから
 
  浮かび漂うガラクタを集めて、ガラクタ箱にいれて集めていく
 
  ちょっとした現代美術のインスタレーションに使えそうだ
 
  ガラクタと言ったって、極彩色の、想像もできないくらいのガラクタだ
 
  きっと、なにもわかっちゃいないキューレターが大勢押し掛けてくるのだろう
 
  この世のガラクタこそ現代美術館に展示する価値があると本気で思っているが
 
  それ以上の感性がないから
 
  この世のガラクタとあの世のガラクタの区別もつけられない
 
  覗き穴から見たら、彼らの言う言葉は醜悪で、美を生産するどころか、奇形にしているのがわかる
 
  大脳の丸い脳みそがひとつひとつ神経細胞のつながりで出来ているから
 
  ぼくはときどき、魔法をつかう
 
  マギックってやつだ
 
  ぼくがカリフォルニアの生暖かい風を感じたときは
 
  サンフランシスコ通りで迷ってしまったときだったし
 
  知らない異国の道を炎天下、延々と歩いていると
 
  ぼくは呪術的マジッシャンとなって
 
  知らない人とでも真理について話を始めることができた
  
  夜は、至福の中で終わったし
 
  朝は、新しい冒険で始まった
 
  ぼくの内側の欲望がどんどんオオカミのようにはっきりしてくると
 
  どんな所に自分を連れていくのか
 
  ぼくはただ、直感に従っているだけで
 
  直感は至福、神秘、デジャヴを感じるような考え、思いつき
 
  そのデジャヴを感じていると、我が内側の欲望は至福を伴う冒険に大金を掛けた
 
  それがマギックってやつだ
 
  高貴なマナーを知っていて、ゲームのルールを知っていること
 
  大金を掛けて、すばらしいことを手に入れる
 
  それは、明日知らずになることだ
 
  チョコレートの包み紙を開けずにチョコレートを喰っても
 
  まずいだけだから
 
  そんなことはしないだろう
 
  だから、これからは、ちゃんと包み紙を開けて、チョコレートをたくさん食べて
  
  いらない脳の機能を、それ独自の方法で始末していくことだな
 
  だれだって何度もかよって馴染みになれば、客としてもてなしてくれる
 
  なじみ客でなければ味わえない裏メニューなんかもあるみたいだし
 
  明日はそれを食べに行って
 
  帰りは車に乗ってガラクタを買ってこようかな
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 溺れること

2013-09-15 02:23:24 | Weblog

 
 
  藝術と心中する
 
  酒に溺れるように
 
  藝術に溺れる 
 
  それができる環境にいるということに感謝する
 
  ぼくが持っているものには、そういう傾向がある
 
  つまり、自分で創造したものに自分で酔い、さらに深酔いし
 
  終に、溺れてしまうこと
 
  そこまでの状況にまでならない限り
 
  ぼくが描く線
 
  ぼくが塗る色彩と色彩の配列
 
  それらが自由にならない
 
  だから、危険なのは覚悟でやるのだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 最後には

2013-09-15 02:20:01 | Weblog

 
 
  こんばんわ。
 
  ぼくは世紀末って言葉好きなんだけど
 
  マヤ歴も終わってしまって
 
  世紀末的なものがなくなってしまって
 
  少し残念な気もするが
 
  そんなでもない
 
  つまり、「明日、世界が終るとしたら」っていう問いがあったけど
 
  その問いの雰囲気が好きななんだけど
 
  つまり、もし、明日、世界が終るとしたら
 
  ぼくは、自分の一番好きなことをずっとしているだろう
 
  たぶん、風呂に入って、身体をきれいにしてから
 
  ベッドに横になって、好きな音楽をガンガンに聞きながら
 
  アシッドとか、眠剤とか、それに類するものを飲んで
 
  夢と現実の狭間で
 
  地球が揺れ動き、火山が爆発し、それらをTVで報道するのを見ているだろう
 
  とても、興奮して
 
  たぶん愛する人と一緒に毛布にくるまって
 
  「本当に世界が終るんだね」ってわくわくしながら
 
  愛し合いながら、抱き合ったまま
 
  眠剤とか、トランキライザーとか、鎮痛剤とか、向精神薬とかを飲んで
 
  すこし、意識を変容させて
 
  ベッドの上で抱き合いながら、TVを見ながら
 
  人類が地球の天変地異で滅びていくニュースを見て
 
  興奮しながら、コーラを飲んで、でポテトチップスを食べながら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

 脳を温めても、暖かい夢を見るわけではない

2013-09-15 02:12:53 | Weblog

 
 
  あたたかい暖房からの風が頭を熱くさせる夜
 
  誰でも同じように齢をとるこの地上で
 
  わたしもあなたも、虫も木も
 
  ただただ齢をとっていくこの時間の中で
 
  あたたかいエアコンからの空気は
 
  熱力学の第三法則によって拡散していく
 
  より冷たい空気を求めて
 
  平衡を保とうとする
 
  ぼくの頭は熱くなり
 
  脳みそも
 
  目玉も
 
  ちょうどいい具合に
 
  おでんの具のように煮えてきたら
 
  たぶん精密機械は誤動作し
 
  その現れとして
 
  この認識している世界が変形したり
 
  イエローとグリーンの光に見えたり
 
  シュリヤントラの三角形と円の無数の組み合わせに見えたりするのだろう
 
  ほんの0.数グラムの神経伝達物質の作用によって
 
  この世の主観的認識は変貌し得るが
 
  ぼくの精神によっては
 
  この意識は驚くほど堅牢に変化せず
 
  思想によっても
 
  なにもまったくかわらない
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 言葉の根底

2013-09-15 02:08:01 | Weblog

 
 
  神は、あらゆる言葉を超えている言葉
 
  過去、現在、未来、全ての時間を含んだ時間
 
  総体としての宇宙全体の質量を超えて
 
  悲しみ、願い、愛に感応する
 
  単なる物理的エネルギーではなく
 
  意志を持ち、感情を持ち、知恵を持っている存在
 
  初めであり終わりであるもの
 
  そんな崇高な存在が
 
  ぼくの精神を通じて知ることができ
 
  ぼくの魂を通じて感じることができ
 
  ぼくの意識を通じて認識することができるなんて
 
  とても幸せなことだ
 
  こんなぼくでも言葉をしゃべることができるなんて
 
 
  言葉がぼくに神懸かったから
 
  ぼくは言葉を話すことができるのであって
 
  その逆ではない
 
  ぼくが言葉を覚えたのではなく
 
  初めに言葉があって
 
  それがぼくに天下り、降りかかり、脳を操り、言語を作り出した
 
  ぼくは言葉を認識する
 
  ぼくの内にある言葉を
 
  そしてぼくは、自分の意識を言葉に向ける間だけ
 
  思考と一体となり
 
  自分を忘れる
 
 
  では、この私とは誰だ?
 
  宇宙の総体の一部であり
 
  まだ自分でも未知な
 
  存在の根底であり、命の源である様々な智慧の集積された
 
  考えるぼく自身にとっても未知な被造物
  
 
  存在の神秘は
 
  どんな思想、哲学、宗教、数学でも解けない
 
  無言の言葉によって語っている
 
 
  そして、ぼくの意識も
 
  その無言の言葉の根底によって
 
  支えられている
 
  存在している
 
 
  智慧であり、存在であるものによって
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 まったく違うリアリティーに目覚めることは忘れたことを思い出すこと

2013-09-15 01:59:06 | Weblog

 
 
 こんばんは。
 私はもう寝るところです。
 でも、本当の眠りについたら、
 私の身体は腐ってしまいます。
 だから、本当はこれから、
 私は夢を見るのです。
 
 この世の事象は
 何かの法則があるようです。
 でも、まったく脈絡がないほどにも
 自由奔放にも見えます。
 だから私は何をやってもいいのですが、自分に課した制約もあります。
 でも、本来は、制約などまったく必要ないはずなのですが、
 私は、私には何もできないと思って、
 自分で自分に制約をかけているのです。
 
 
 英語のコミック誌を読み、
 時間を潰した時に私がいたのは
 カリフォルニアの誰の家だったのか?
 何故あのときは、英語がスラスラと読めたのか?
 今、急に頭に浮かんで、自問自答しています。
 
 自分だけ外に出て、みんなが出てくるのを永遠と待っていた、
 あの誰もいない裏路地に、
 いつか必ずもう一度戻って来ると願をかけたあの場所は、
 カリフォルニアのなんていうストリートだったのか?
 急に今思い出して、自問自答してます。
 
 まるで小さな子供が遊ぶようにコックリさんをして、
 降霊したあの美しい人は、
 カリフォルニアで、私と何をしたかったのか? 何をさせたかったのか?
 
 それはとってもスケールが大きな冒険のはずでした。
 
 最後にエジプトに行き
 王の間に入り
 そこで眠り
 別の転生で目覚める。
 
 そんな転生のような冒険のはずでした。
 
 でも、ぼくは、今、ここにいます。
 
 でも、あなたには、もう、ぼくの声は、届かないのだと、思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 私の身体が辿り着く運命の場所

2013-09-15 01:54:57 | Weblog

 
 
 私の身体と世界は裏返しになって
 
 歩いても歩いてもまた元に戻って来る
 
 大きな球体の上
 
 空を見上げれば
 
 私のハートは強く鼓動し
 
 この身体に乗っている時間は
 
 もうすぐ終わるのだと告げる夜空
 
 星座は三角形に並び
 
 あなたの故郷はどこか
 
 あなたはどこから来たのか、と尋ねるように
 
 輝き、瞬いている
 
 私の故郷は裏返しになって
 
 忘却の果てで
 
 私が乗り込む汽車を待っている
 
 でもその汽車がどこへ行くのかは
 
 私にはわからないと答える
 
 脳の中の記憶のどこを探しても
 
 漠然とした郷愁こそ覚えはすれ
 
 私はどこから来たのか
 
 また、どこへ行こうとしているのか
 
 明快な答えなど見つけられぬまま
 
 私の身体は老い、やがて朽ち果てるのだろう
 
 脳を形作る神経細胞が
 
 ひとつひとつ死んでいく音と
 
 ボロボロになった記憶の断片が作る
 
 ちょっと不気味で支離滅裂なストーリーを
 
 ただ虚しく鑑賞していることしかできないまま
 
 私は、運命という言葉の意味を自問しつつ
 
 やがてたどり着き朽ち果てる
 
 故郷と呼べる場所を
 
 探す旅に
 
 また出かけていく
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 揺れる大地に降りやまぬ雨

2013-09-15 01:51:05 | Weblog

 
 
 ゆっくりと地上の大地が揺れている
 
 人間の抱いてきた恐怖、狂気がすっかり全部吐き出され、
 
 浄化されるのを待っている
 
 でも、それらのネガティビティーを表に出すと
 
 今までじっとこらえてきた大地が
 
 大きく揺れ始める
 
 愛や慈悲よりも憎しみやさげすみの方が
 
 この地上の俗世間では頻繁に表現されてきたし
 
 さげすみ、差別、憎しみだけが
 
 国家財政の借金のように大量に蓄積されてきたから
 
 やむを得ず、この地上に生きるのだったら
 
 これら醜い差別が存在することを認めざるを得ず
 
 でも、できるだけその悪臭を嗅がないように、目に触れないように
 
 今までは、鼻をつまみ、目を伏せて
 
 避けて通るしかなかったのが
 
 それらを根こそぎにしようと思えば
 
 本当は、この地上にも
 
 美や愛や平和を表現しなければならないのに
 
 地上の僕は今ではもうすっかり、
 
 表現する恐怖、美に対する罵倒、平等への憎しみ、金銭欲の狂気にすっかりとり囲まれて
 
 天上の平和のパワーよりも地上の諍いのパワーの方が大きく
 
 あの世の幸せよりもこの世の怒りの方が大きいから
 
 グラグラと天と地が揺れて
 
 嵐が吹き荒れて
 
 全てを根こそぎにしてしまうまで
 
 地上を浄化するために
 
 大地は揺れ
 
 大雨が降り
 
 嵐はやまず
 
 雷は鳴りやまない
 
 それでも、天にあるごとく地にもあらしめたまえと祈るとき
 
 地上に破壊が始まるのは避けられない
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 自分と向き合う方法

2013-09-15 01:45:52 | Weblog

 
 
 じぶんと向き合う方法。
  
 目玉では自分が見えない。
 
 でも鏡で見ると見えるから。
 
 たぶんこの顔のこの頭の中にある脳がこう考えているのだと思う。
 
 「考えている自分を客観的に見つめられるか?」と。
 
 でも、私はそう考えている思考を意識しているだけで、自分を見つめている訳ではない。
 
 では自分、私とは何だ?
 
 思考でもない、呼吸でもない、身体でもない。
 
 でも、もしかしたら、思考であり、呼吸であり、身体かもしれないもの。
 
 それらの総体?
 
 だから、じぶんと向き合うとき、それらの活動をできるだけストップさせてみる。
 
 そして、意識してみる。
 
 「私は意識している」
 
 「意識している私」
 
 「意識を意識することはできるか?」
 
 「私を見つめる私は、私を見つめている私を意識できるか?」
 
 「呼吸なら意識できる」
 
 「ゆっくり吐いて、ゆっくり吸って、それを見つめる」
 
 「息をしている私。息を能動的にしている私」
 
 「能動的に息をしている私を静止させる。それでも呼吸は可能か?」
 
 「呼吸を止めると苦しくなる。だからといって、呼吸を全て自然にできるわけではない」
 
 「止めた時だけ、苦しくなって思わず能動的行為から解放されるが、それも束の間、今度もまた、能動的呼吸が始まる」
 
 「意識が始まる」
 
 「思考している時、私は私を忘れる。でも、思考は私の思考。なくなりはしない。束の間、思考しなくなる時があるだけ」
 
 「座っている、この身体全体が私」
 
 「呼吸している、この身体全体が私」
 
 「でも、この身体は動かない。動かさない。ただ座っているとき、私は存在しているか?」
 
 「何かの刺激に反応して活動が始まった時、私はその反応として、その行為として存在している」
 
 「なにもしないでただ座って呼吸しているとき、私はどこに存在するのか?」
 
 「この意識が私か? だったら眠くなったときは、私がいなくなったのか?」
 
 「そうではない。ただ、忘れただけだ。意識を失っただけだ。集中が切れたからだ」
 
 「ただ集中していると、なぜ?、何のために?、」
 
 「そして、本当に? 何に? 私は(この私は何だ?)何に意識を向けているのか?」
 
 「なぜ? 何のために? 何に?」
 
 「呼吸か? 身体か? 思考か?」
 
 「呼吸するときの息の流れ、身体の膨らみ、腹と胸に流れ込む空気、そして吐き出す時、鼻から出ていく息」
 
 「思考? 思考を思考している思考? 思考って何だ? 私がしている思考は私ではない?」
 
 「組んだ脚が痛い。背骨が伸びていない。顎を引いて。脚に重力がかかる。頭は天を指している。でも、私はこの身体から離脱できない」
 
 「もしかしたら、思考しか、自分に役に立つツールは存在しないのかもしれない」
 
 「私のする思考だが、それは、なにか私以外のものを導き出す通路となるのかもしれない」
 
 「デカルトもそう言っていた。そして、シュタイナーもそう言っていた」
 
 「クリシュナ・ムルティやラジニーシは逆のことを言っていた」
 
 「思考は中古品だ。思考を落とせ。と」
 
 「思考を無くしたときに、初めて大いなるものと一つになると」
 
 「確かにそうだ。大いなる全体には、私はいなかった。そして、私以外の全てがあった」
 
 「でも、思考によってそこに近付く方法もあるのかもしれない」
 
 「思考によって、思考を落とすのだ」
 
 「さもなければ、人間が言葉を使う意味など無くなってしまう」
 
 「名付け得ぬものを名付け、言い表せないものを言い表す」
 
 「肉体では近づけない形而上の、より高き至高の存在に、言葉によって近付いていく」
 
 「そして、思い出す。とても不思議な体験として、なつかしいものをことを思い出す」
 
 「はたして、僕は、チャクラのエネルギーを循環させる」
 
 「そして、意識の流れが、肉体を超える抽象的世界と混交させるために」
 
 「意識の働き、呼吸の働き、イメージ、抽象の働き、そして、物理的ではないエネルギー、このエネルギーって何だ?」
 
 「単なる、重さ×異動した距離×速さではない、何かの仕事をする抽象的エネルギー。たとえば、思考。たとえば、イメージ」
 
 「思考、イメージを自由自在にできること」
 
 「それこそ、超越」
 
 「自分の枠を超えた思考、イメージこそ超越」
 
 「真理とは、思考によって行きついた故郷」
 
 「不思議な感覚と伴に思い出す」
 
 「今まで忘れていたものを、それが初めからそこにあったように」
 
 「私の記憶なのか、全体の記憶なのか、私の想い出なのか、全体の想い出なのか」
 
 「なつかしくもあり新鮮でもあり、それを思い出すことが自分自身を思い出すことだったかのように」
 
 「間違った夢から覚めて、全てが夢であるような夢に目覚めたような」
 
 「言葉をしゃべれる私が、新たに思い出した最も古いことは、言葉を超えた記憶にアクセスするには、言葉の階段を最新の最先端まで昇らなければならず、その至高の高みで見える景色の中に、もっとも遠い事象の地平線に、原初の太陽が爆発している、時間の始まりの光景が描きだされていること。そして、今現在までの全てが既に今ここにあるということ。そして、時間は未来とも分化していないということ。」 
 
 「私とは、宇宙にあまねく輝く意識の一つの輝き」
 
 「存在する宇宙の数だけ、意識があるはずだ」
 
 「存在する宇宙の事象の数だけ、意識があるはずだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 暖かい風

2013-09-15 01:39:14 | Weblog

 
 
 ちょっと頭に熱があって
 
 外では暖かい風が吹いていて
 
 ぼくはもう何も考えられなくて
 
 眼を瞑ると天使がいて
 
 ぼくのお葬式はきっと楽しいにちがいないなと思って
 
 脳の中で記憶と時間が溶け合って絡み合って
 
 雨となって地上に降り注いでも
 
 ぼくは今一番行きたいところへ
 
 自由に何処にでも行ける
 
 たとえ誰かがだめだと言っても
 
 たとえそれが何処にあるのかも分からなくても
 
 ぼくは何処にでも行ける
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 チェンバロを弾く

2013-09-15 01:32:25 | Weblog

 
 
 バロックのチェンバロの音
 
 そのひとつひとつが溶解した夜空の
 
 柔らかい素肌のようなビロードに覆われた
 
 自転と公転周期に突き刺ささり
 
 噴煙に包まれる地球
 
 結局は
 
 人間は脳ではないことを証明するため
 
 最後は自らの脳を破壊し
 
 そのとき湧き上がる黄金の入道雲
 
 スローモーションのように動き
 
 思いもよらない文法を持った詩が生まれる
 
 すでに予言された運命のように
 
 決して同じ形に戻ることはなく
 
 同じ言葉をしゃべることのない人間は
 
 オレンジの大木によじ登り
 
 枝伝いに窓から侵入する
 
 教室の中では
 
 生徒に
 
 思考の定型文法と
 
 決断の初歩的命題の証明法が教えられている
 
 その怖ろしく難しい授業とは対照的に
 
 もう一つの方法があることを知っているある生徒は
 
 歴史や推論的思考を用いることなく
 
 直感を使うやり方をのみ試みる
 
 すでに揮発してしまった記憶の断片が意識下に押し寄せ
 
 それはかつて話した女の子でもあり
 
 そこで話したことは
 
 一杯のコーヒーを飲みながら
 
 直感でしか
 
 無言でしか会話できないことではあるが
 
 チェンバロの演奏と
 
 よく似合っている
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 2013.5.5 子供の日の地球上、異教巡礼の果て

2013-09-15 01:27:04 | Weblog

 
 
 高度に進化した宇宙人の意識でもいいし
 
 単純な反射神経しかもたない小さな虫の意識でもいい
  
 今更、そこら辺にいる標準化された日本人の言葉でなど
 
 お話などしたくないから
 
 男にしても女にしても
 
 宇宙語でテレパシーを使って
 
 地球外生命体とコミュニケーションするか
 
 虫の気配だけで単細胞生物とコミュニケーションするか
 
 残されたのは、首を吊るくらいの選択肢だから
 
 今更、声帯を震わせる言語だとか
 
 文法を伴った目で見る文字だとか
 
 そんなのに興味などなく
 
 シリアでは核爆弾のような爆弾をイスラエルが爆発させ
 
 生物化学兵器が使われ
 
 日本では、誰誰と誰誰が
 
 醜く並んで、なんとか栄誉賞って
 
 そんなに栄誉なのかよ
 
 自爆攻撃じゃあるまいし
 
 弾を投げることが
 
 打つことが
 
 そんな栄誉なエンターテイメントだった日には
 
 自分の玉でも握ったり蹴ったりすりゃあ、パレスチン栄誉賞もんだが
 
 ラスベガスで玉を蹴ったら、マフィアに殺されたり
 
 NASAの圧力釜がカマを掘ったり
 
 そんなに走って、自虐的にエンドルフィン出して偉いのかよ
 
 34.195だったかなんだか
  
 まったく無意味な近代オリンピック精神
 
 ギリシャ時代にはソフィストがいて
  
 真剣に真理について、言葉で議論していたが
 
 今では全ての言葉はマスコミ化し、コマーシャル化し、形骸化し
 
 ただのアカデミック言語と数学の明証性だけが知性だって?
 
 ノーベル爆弾賞ねらって
 
 文学しこしこ書いてるベストセラー作家までいて
 
 大勢が並んでそいつの中身空っぽの本買って喜んでる知性が
 
 蟻の神経ほどにも真実を宿してないことを明らかに証明して見せてる
 
 ニュース映像を見て
 
 ただ札束刷って、お買い物エンターテイメント
 
 それが政治だったり、消費者だったり、デイトレーダーだったり
 
 たまにはライオンやハイエナのように
 
 街の雑踏の中で狩りでもしろよ
 
 秋葉でナイフを振り回したり
 
 バスソルト喰ってゾンビになったり
 
 悪魔カルトで性交なんてしてないで
 
 クローンとトカゲがハイブリッドになって
 
 シリウスじゃなくてがプリプリプリウス、プリンセス
 
 クイーンが毎夜、生き血を飲んで
 
 クリントン夫人がクローンのドリーで
 
 牛乳瓶底の老眼鏡かけて次期大統領に選ばれたって
 
 インチキ改宗ユダヤロビーに操られて
 
 ナチ狩りがミイラ取りがミイラになったようにナチそのものになって
 
 嘘八百、ビル解体業で石綿ばら撒き
 
 アメリカ万歳!
 
 アッラー、アクバル!
 
 ハイル、ヤハウェ!
 
 我らの罪を我らが許すごとく我らの罪をも許したまえ!
 
 キリスト教原理主義、テレビ礼拝万歳!
 
 アーメン!
 
 アメンラー!
 
 アメンホテプ!
 
 アクエンアテン!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 不眠の夜

2013-09-15 01:14:22 | Weblog

 
 
 不眠の夜
 夜光虫の光が賛美歌を奏でる
 悲しい夜
 
 ぼくはまた性的に混濁し
 蛍光色の夢のエーテルに溺れ
 遠い銀河のささやきを聞く
 
 ぼくの魂は嘔吐し
 脳細胞にジアゼパムを浸透させ
 なんとか麻痺し
 無意識に失われるように
 自我意識が祈る
 誰も聴く者のいない願い
 
 静寂の夜は短く
 喧騒の昼は長い
 
 理想も祈りも霧散する
 狂った時計の秒針がコンダクターの
 つまらない悲喜劇の上演
 皆が役者となって巻き込まれる
 
 やがて夕日が地平線に沈み
 ぼくにはまた不眠の夜
 意識を混濁させるための服薬
 目を開けたまま
 静寂は短く
 意識が意識にその存在意義を問う夜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 死ぬ理由

2013-09-15 01:12:23 | Weblog

 
 
 死ぬ理由を探したりしない
 
 そこらへんに転がっているカナブンの死骸
 
 きっと交尾した後に死んだのだ
 
 甲虫の羽根はまだエメラルドのように光っているのに
 
 沢山の蟻がたかって食い散らかしている
 
 宝石は死ぬと腐り
 
 また卵から孵化する
 
 それを誰かが貪り
 
 夏が蒸発する