「美しき虹を求めて」 ・・・ 到達点の無い自分探しの旅に行ったり来たり、
時にはいい風に吹かれた時の記録です!
星屑のふるさと-NIPPON
上総の国府探検
更級日記の古代の道を歩いて国府を訪ねるガイド(Aコース)がありましたので急遽参加することにいたしました。「市原市埋蔵文化センター」に集合場所(意外と判りづらい)してバスで移動して「阿諏波神社」(あすわ)に到着!古代の道と更級日記に書かれた場所・万葉集の上総から行かれた防人の歌の紹介などを聞き思いました。上総からは多くの防人が国の防衛の役目を果たしたようです。(防人は到着するまで自腹で出かけその後に国から経費が支払われたようです)大変な負担であったと思います。
この小さな神社の名前は字が異なりますが「継体天皇」像のある福井市の足羽神社(あすわ)と読みは同じです。何か意味があるのでしょうか?また、古代の上総について意外と知られていないと思います!・・・どうしても頭が「明日香」「藤原京」「平安京」に繋がって市原市は歴史の関わりが薄いと思います!・・・しかし、聞くと古墳など多く出土しており全国でも三番目になるそうです!
上総の国は11の郡で成り立ち「上総の介」は地位の高い人物だったようです!ちなみに我が地元は平安時代では長柄郡茂原の国府関となります。
その後千葉県で一番古いと云われる「光善寺」に向かい入り口の民家の御主人が自分の畑などで集めた瓦や焼き物を見せてくれました!実際にこの付近から多くの古代の出土品(瓦や焼き物)が出ておりここも国府推定地だそうです!またここにはお祭りの前に行われる「柳縦神事」の出発地点でもあるそうです!またこの寺は都から派遣された国司に同行した僧侶が国府の建物が出来るまでの居場所であったと推定されるそうです。
光善寺から歩いて近くにある「市原八幡宮」は「飯香岡八幡宮」(市原市八幡)の本宮だあったとか・・・そして住宅街の中を歩いて残っている地名に古甲(ふるこう)は古国府と読む地名が残っておりここでは多くの高級陶器が出土し基壇や区画溝が検出されており郡役所のあった処と推察されるそうです。住宅街ですのでそのような雰囲気は全くありませんでした。ただ星屑の住所は「国府関」ですのでなにかしら国府と関係があるかもしれません。
次に「稲荷台遺跡」のあった場所(稲荷台住宅地)では方形に並んだ柱の跡(大型建物)や陶器などが出土していてここでは一号墳墓から貴重な「王賜名鉄剣」が発見されているとのお話ですが本物は国立の「歴史民俗博物館」に納められているそうです!
いずれにしても市原市役所周辺に国府があったと思われますが推定ヵ所の中に決定的な証拠とされる大型の柱の跡と正庁形体の出土遺構が見つかって居ないのでまだまだこれからの発見に期待するしか無さそうでした!
お話を聞き身近な国府の場所探検する古代の歴史は日本人DNAを呼び起こし星屑は有意義なのですが途中で急遽M氏から電話が・・・結局!午後3時に茂原のジョナサンに保守メンバー(M・Y・M・O)の精鋭が集まることに・・・!相談内容はパスさせて頂きますが2時間以上経過して終了後はドコモショップにて充電の相談(携帯が使えない状態)をしたりして結局!朝から予定した事が半分も遂行できないままに一日が終わってしまいました。
あれも済ませて是もやってと欲をかかないで生きなければと思いますが自分の思った事がなかなか進まないのは悔しく思います!
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