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渋谷ハチ公前で、社民党の青年党員・青年議員が全国から集まって、街の若者たちへの街頭宣伝を行った。残暑のまぶしい光を浴びながら、昨年の今日が衆議院議員選挙の最終日だったことを思い出した。あの時も、同じハチ公前で演説をして格差社会の話題に触れて、「正社員と非正規雇用の差別に黙っていてはいけない」と演説をしたら、20歳前後の青年が終了後に寄ってきてくれて、「保坂さんの言う平等とは、機会の平等なのか、結果の平等なのか」と聞いてきた。私は「機会の平等だよ」と答えて、いくらか話をした。

あれから、1年。考えてみれば、あの衆議院選挙は「郵政解散・刺客選挙」だった。圧倒的な小泉ブームが上昇気流を描いていたさなかの一こまだったのだ。この『どこどこ日記』は03年の総選挙前にホームページで始め、04年はポツポツと書いていたが、昨年の正月からブログに移行した。当初は、1日に2~300人が見てくれるぐらいだったが、毎日書いていくうちに昨年暮れには500~600人と増えて、今年の春の「共謀罪」速報で1000人~2000人となり、現在では日に4000PV・1100IPを 基本ラインで推移している。

政治家として速報性があり、また不特定多数の人々に見解や事実を知らせることの出来る『どこどこ日記』をこの秋の国会でも活用していきたい。誰からも質問が出ないのであえて話題にするが、なぜ『どこどこ日記』なのかについて一言。政治家だから東奔西走、あちこちで書き続けるという意味と、今や世界の歌と言ってもいい喜納昌吉さんの『花』の歌詞から、「どこどこ」という語感の種をそっと持ってきたというわけ。

22歳(1978年)の私は、渋谷の東武ホテル1階のレストランで、ナプキンの裏に喜納さんがボールペンで『花』の歌詞を書いた瞬間に同席していた。その時に、「花は流れてどこどこ行くの」という詩を見て、「どんぶらこっこ、どんぶらこっこ」と桃太郎を思い出したりしながら、「どこどこ」という語感に郷愁を覚えたという記憶がある。だから『どこどこ日記』というネーミングは自然に浮かんできたもので、私の生理的身体的な言語としてぴったりとくる言葉だった。

ついでに書けば、谷垣さんが使っている『絆』という言葉を政界に持ち込んだのは私で、1996年に社民党の総選挙のポスターは『市民との絆』だった。「ピンチはチャンス」「ゼロからの出発」も私の造語。時代と歯車がかみ合うと、言葉が生まれてくる。今年の秋、どんな言葉と出会うか楽しみだ。これからも、よろしく。

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