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 今年の冬は、このところ身体が慣れていた「暖冬傾向」を吹き飛ばし、ここ東京でもけっこう冷え込んでいます。子どもの頃は、霜柱を踏みながら手にしもやけをつくりながら学校に通ったものでした。久しぶりに寒い冬ですが、東北・北海道の比ではありません。厳寒を迎えているところから見れば、東京は、これまでまとまった積雪もなく、寒いなんて言っていられないのかもしれません。

 1月4日、仕事始めで職員に挨拶をしました。実際に話をしたことを補強して、文字にしてみます。

今年を漢字一文字で表すとすると、「縁」(えにし)をあげたいと思います。「縁」には、切っても切れない親子や兄弟など血縁も、一緒に仕事をする縁も、また偶然の所産とも思われる「袖振り合うも他生の縁」もあります。めぐってきた条件と成果を取り結ぶチャンスという意味もあります。

 日本家屋の縁側も、珍しくなりました。元旦に次太夫堀公園の民家園に行き、古民家を探訪しました。ああ、自分も子どもの頃、仙台の家で縁側で遊んだり、まどろんだなという記憶が静かによみがえりました。外につながる内であり、内からひらけてくる外でもある縁側。格好の世間話の場であり、コミニケーションの機能を持っていました。

  無作為抽出で区民に招待状を出した昨年6月に実施した区民ワークショップでも、区職員の若手有志が集まった職員政策研究会のプレゼンテーションでも、共通のキーワードが出てきました。それは、「再生と修復」というキーワードです。人口密度の高い住宅都市は、近隣のつながりが弱く災害にもろいという点が懸念されています。また、子どもの声など子ども施設の声と近隣との折り合いがうまくいかないというケース等、子どもから高齢者までが共に暮らす都市としての課題も抱えています。そこでも、また「地域コミュニティ」の「再生・修復」が着目点となります。

  東日本大震災から、やがて今年で2年となります。世田谷区から宮城県南三陸町に5人の職員を派遣していて、ひとりのOBも加わって地域再建・復興のために駆け回っています。気仙沼市にもすでに1人、そして、さらに職員派遣をする予定です。東日本大震災復興支援金も、年末の集計で4900万円を超えました。1月13日に区民会館大ホールにて開催する「新年の集い」で、歌手の石川さゆりさんをお招きして被災地支援の継続をテーマに語り合う予定です。市町村を中心に、被災した子どもたちを支援する用途を中心に、今後も継続していきたいと思います。

  2年前の「東日本大震災と原発事故」で私たちが学んだことは何でしょうか。一言で言えば、「従来のただの延長に将来はない」ということです。先人・先輩の苦労や努力を承継し、今後に生かしていくことは大事ですが、それだけでは明日はひらけない時代となったということです。思い切って、前例なきことに挑戦する気概のある仕事を始めてほしいと思います。

 全国的な「人口減少社会」が始まっています。毎年20万人の人口が減る中で、世田谷区は一昨年に5000人の人口増を記録しています。この数年、保育園待機児童解消は大きな課題で、区としても保育枠の確保と拡大につとめてきました。ただし、新しく確保した保育枠を大きく上回る保育需要が拡大しています。区をあげて、緊急に従来出来なかったことも含めて緊急に対応するようにしたいと思います。

 20年後の世田谷区のビジョンを描く基本構想審議会の議論は、大詰めの段階に来ています。1月12日には、なんと29ものグループが参加してプレゼンテーションを行う区民意見発表会が行われます。また、1月17日には基本構想審議会が開催され、今年度80周年を迎えている世田谷区が、100周年となる2032年にむけて歩みを始める年となります。

今年は、これまで出来なかったことを出来るようにしていく変革の年にしたいと思います。

  以上が話の概要です。他に「まちなか観光」や「世田谷ナンバー創設」にもふれています。区長からやがて2年、3年目の新年にあたり思いの一端を話しました。

 

 

 

 

 



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