昨日は、政府による第2次「日銀総裁候補・副総裁候補」の人事案の提出を待っていたが、ついに提出されないままに終わった。実は、自民党の大島国対委員長が民主党の山岡国対委員長に提示した案とは、「福井総裁・武藤副総裁の続投」という「名案」だったようだが、正気の沙汰とは思えない。それで賛成出来るのなら、
「武藤総裁候補」に不同意はしないだろう。そして、総裁任期の時間切れは明日へと迫ってくる今日、あわただしく議院運営委員会理事会が召集されて、11時に政府から第2次人事案の提示があった。「田波耕治総裁候補(国際協力銀行総裁)・西村清彦(日本銀行政策委員会委員)」のふたりだった。そして、午後3時から議院運営委員会で両候補の「意見聴取」が行われた。
どこかで聞いた名前だなあ、と思い出していたら1996年7月から内閣官房内政審議室長だった。その4カ月後に私は社民党議員として当時の「自社さ」政権に飛び込むこととなる。その当時、連立与党内の大きな政治テーマは「財政と金融の分離」だった。財政当局として肥大化しすぎた大蔵省に銀行局があり、一方で日本銀行の独立性が損なわれていたという認識から活発に議論され、大蔵官僚たちの抵抗も強かった。当時、田波氏は大蔵省を代表して「黒子」として動き回り、財政と金融の分離に抵抗していたという印象があったので、わずかな時間だったが直接に聞いたみた。
今、議事録が届いたのでその部分を転記しておく。
保坂 私は多分、内政審議室長をされている当時の連立与党自社さ政権当時、何度かお目にかかっていると思います。おそらく、その時の田波候補は必ずしも「財政分離」に積極的ではなかったのかなと。行革会議などの議論を振り返ると、あの当時、次官になられてからでなく政策決定が行われる前、内政審議室長としてどのような動きをされて、お考えがあったのかを明確にお答えいただきたい。
田波 財金分離の話でございますけれど、多少誤解があったかもしれませんが中央銀行研究会の事務局をさせていただいたけれど、これは私ははっきりと割り切って公言をしておりましたけれど、委員会というのは委員さんが決めるのであって、事務方がどうだああだと誘導することは厳にすべきでない。従って私が「財金分離を進めた」ということでは必ずしもない。
典型的な官僚答弁だが、田波氏の机の上には「答弁書」が用意されて、その隣には財務省大臣官房の「日銀」についてのペーパーも置かれていた。財務事務次官経験者だから駄目だという以上に、「大蔵支配」の存続に執心して国際協力銀行に天下っていた人のひさかたぶりの登場に、野党がどうして「同意」出来るだろうか。
福田内閣はすでに判断力を喪失し、すべてを財務省に委ねてうたた寝をしているのではないか。どこまでも財務省の息がかかった人事しか提案出来ないのがこの内閣だ。
「財金分離を進めたというわけじゃない」

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