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教育や子ども・若者を論じる時、いつやらこの社会では「思春期」が論じられなくなった。私たち人間は、出生の時から平均的に身体や精神が成長するのではない。これまでジワジワと積み上げられてきた体験や知識が、爆発的に飛躍し、身体も急成長するのが「思春期」である。自分で自分を扱いかねて、親や学校、社会に対して懐疑的になったり、自らに与えられた枠を破ろうとする。この嵐のような思春期を通過して、人間は社会性を身につけ、「もうひとりの自分」になるのである。

 少年法には、「どのようにでも変わりえる柔軟な可能性」(可塑性)を持つ少年が、過ちを犯した事実を反省して再起を期すことの出来るような支援をしようという精神がこめられている。私は、この少年法の原則を「厳罰化」のかけ声のもとに次々と変更しようとする流れに異論を唱え続けてきた。「そりゃ甘いな」「少年法は廃止してもいい」「もっと刑罰を与えよ」という声が何か事件が起きるたびにメディアでクローズアップされる。個々の事件報道からは、目を覆いたくなるようなひどい暴力や被害の姿がある。しかし、私がいる政治の場は「客観的事実」に基づいた議論を必要とする。本当に少年犯罪は増えているのか。年々、凶悪化しているというのは本当か。実は、多くの人がそう信じている。

 14歳未満の少年は、殺人事件であっても佐世保事件がそうであったように「触法少年」として扱われる。1955年~64年が65人→ 65年~74年が20人 →75年~84が25人,85年~94年が11人、そして95年~04年が28人である。たしかに、近年上昇傾向にあるようにも見えるが、50年前に比べれば「少年犯罪の凶悪化」は数字の上からは抑えこんでいる事実が読みとれる。
1955年からの10年間と、1995年からの10年間を他の犯罪で比較してみると、「強盗750→255」「放火3103→1423」「強姦694→90」となっている。(『犯罪統計書』少年非行の概要・警察庁より) にもかかわらず、14歳未満の触法少年の事件捜査権限を警察に与え、少年院送致も出来るようにしようというのが今回の改正少年法だ。

 ぐ犯少年とは、「保護者の監督に服さないなど、将来法を犯す行為をするおそれがある少年」だが、今回の改正少年法では「ぐ犯の疑いがある者」に対して警察官が調査することが出来るとなっている。「将来犯罪を行うおそれがある少年」かもしれないという「疑いがあるということになっては、すべての少年が尋問の対象となりかねない。2003年の1年間で10歳~19歳までの少年が「喫煙」「深夜徘徊」で補導された人数は120万人。この年代の人口は1311万人だから、すでに10人にひとりが補導されている実態にある。(同一人物の複数補導もあるだろうが)

 ぐ犯の疑いありというだけで、本人・保護者・学校などの関係者に呼び出しをかけ、事情聴取することが出来るようになる。今は、ほとんど知られていないが秋の国会では大きな問題となるはずだ。







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