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安倍政権が出発して、国会論戦が始まっている。私は、「再チャレンジ」という言葉が踊るたびに違和感を感じてきたひとりだ。「格差社会とは言い切れない」とのらりくらりやってきた小泉政権が、「格差のどこか悪いのか。成功した人の足をひっぱるような姿勢は慎むべき」と放言してきた一方で、当時の安倍官房長官は一気呵成に実効性のある政策をまとめようとして、5月30日には『再チャレンジ可能な仕組みの構築』(中間とりまとめ)を発表している。その姿勢は、小泉前総理の市場原理主義の政治からの修復を意図したものだと言われている。「仮に失敗しても何度でもチャレンジができ、「勝ち組・負け組」を固定させない社会の仕組みが必要である」として、「フリーターだけど正社員として働きたい」「健康を害したがまた働きたい」「パートだが正社員と同じ処遇で働きたい」などの声にこたえていきたいとしている。本当に格差社会是正に役にたつのかどうか。

日本は「やり直しが出来ない社会」なのか。私は、定時制高校を17歳で中退して、今で言えば「フリーター」的に何種類もの仕事に、それこそ「再チャレンジ」してきた。求人雑誌を毎日購入して、つぶさに目を通して「自分のやりたい仕事」を探していた日々は、かなり長く続いた。17歳から21歳ぐらいまでの4年間で、1973年から1977年頃までだったろうか。オイルショックで急速に求人量が減って、日給アルバイトの賃金水準も急降下した経験を持っている。

選べる仕事のメニューが「低賃金のサービス業」「長時間の製造業」「危険もあるが高賃金の重労働」ぐらいのジャンルだった。誰でも交替可能な仕事は、学校帰りのアルバイトならよくても、何年も続けるわけにもいかない。自動車工場などの長時間の製造業は、まとめた資金を稼ぐにはいいが、地方の寮に入って生活を拘束される。また、建築現場や石油プラントなどは日給はいいが怪我と隣り合わせだ。仕事を選んで就業しても、就職したわけではない。したがって、ある時期が来ればやめて、「ひとときの自由」を得て文章を書いたり旅に出たりした。

何度かこの日記にも書いてきたように、当時のフリーターは同世代の会社員に比べれば、身分は不安定だったが収入を得ようと思えばサラリーマンの倍稼ぐことは出来た。私のフリーター生活の最後は「請負労働」だった。運送会社に車持ち込みでデパートなどの贈答品の配達をした。一個150円で、朝6時から夜8時までかけて頑張って100個の配達をすると、15000円になった。相棒と2人で根をつめて働いたが、収入は悪くなかった。燃料も、事故のリスクも自己負担だったが、こうして長期間の旅行のための費用をつくった。宅急便などが大きく普及する直前のことである。

現在は、身分も不安定で、仕事もきつく、収入も低いという悪条件がそろっている現場に多くの若者たちが派遣されている。メールで呼び出され、企業の都合で移動を指示されて、マイクロバスで製造工場に向かう若者たちに、古典的な搾取構造が出来上がっている。寮費や食費を天引きされると、行く前に聞いていた金額とはほど遠いわずかな金銭しか支払われない。

悪条件のままでA社をやめてB社に「再チャレンジ」しても、生活も雇用条件も何ら改善はない。「再チャレンジ」ということに力点を置いているだけでは、偽装請負や雇用条件の差別を変更することにはつながらない。このあたりの議論を掘り下げていきたい。

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