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昨夜、行なわれた『ニコニコ生放送』は、けっこう大きな反響を呼んだ。インターネットテレビが、検察審査会による「起訴相当議決」発表の翌日という決定的なタイミングで、ライブ中継され2万人が試聴したということは、数年前まで考えられなかった。しかも、アーカイブで事後的にアクセス出来るようになっているので見逃した人も見ることが可能。しかも、「ニコニコニュース」http://blog.nicovideo.jp/niconews/2010/10/009350.htmlには当日の概要と重要な資料がアップされた。

 こうして、直接情報が根拠をもって示されると、新聞やテレビがボーッとして表層の事象を垂れ流しているだけではいけないという自覚を促す作用もする。『週刊朝日』今週号に私が書いている「検察官適格審査会」についても、ようやく新聞各紙からの取材が相次ぎ、民主党議員からの連絡も来るなど、いくらか光が当たりつつある。

 検察をめぐる一連の事態は、民主主義とは何かということを改めて問うている。江戸時代の岡っ引きではあるまいし、「御用、御用」と身柄を拘束されたら、「やっぱりね」と罪人扱い。「推定無罪」なんて感覚はほとんど定着していない。国会議員は、選挙で選ばれるし、落選すれば議員でなくなる。しかし、検察官も含めた官僚は「組織」ががっちり身分を守る。最高裁判事の「国民審査」も形骸化しているが、国民が裁判官にあるまじきと指弾したい時には、裁判官訴追委員会・弾劾裁判所が存在する。

そして、検察官が職務執行において不適格であれば、検察官適格審査会が目を光らせるというのが「国民のチェック」のはずだった。ところが、年間予算が15万円で、1年に1回しか開催されないオトボケ審議。検察官を罷免したことは、60年の歴史の中で、ただの1回だけ1年以上行方不明の副検事のみという体たらくだった。ところが、昨日から書いているように、国会議員がその気になれば、この審査会は国民が検察官をチェックする機関として、独自に職権をもって事情聴取や資料要求、また該当者本人の弁明を聞くことも含めて調査が出来る。

画期的なのは、そこに弁護士、その他の専門家を「専門調査員」として委嘱して「調査チーム」を編成することが出来るのだ。たとえば、今回の村木さん冤罪事件でも、例えば弁護士の郷原氏やジャーナリストの鳥越俊太郎氏をチームに入れて審査に入るかいなかの調査メンバーとすることも出来るはずである。問題は、こうした重要な運営細則を国民はもちろんのこと、国会議員も新聞記者もほとんど知らなかったという事実だ。こうした外部の第三者を招いての調査は制度としてはありながら、一度も稼働したこともなかったし、私も含めて政治家側の勉強不足も恥じるところだ。

今回の事態で検察官適格審査会が機能しないのであれば、大幅な制度変更が必要だろう。「捜査の可視化」も今回の事件逮捕された大阪地検前特捜部長が「検察のストーリーには乗らない」と「捜査の可視化要求」をしている事態を見れば、一気呵成に実現すべき時が来ていると思う。また検察審査会の「強制起訴」制度がもたらした、予想しなかった事態についても制度の手直しもしなければならない。

 司法制度改革で「法務・検察」は、検察を聖域化したツケが今、まわってきたということだ。民主党議員、あるいは野党の国会議員の皆さんにも、ぜひ超党派でこうした議論をする場をつくってもらいたい。



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