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矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
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逵(つじ)志保のページです

大分県「臼杵護国神社」の天台烏薬

2016-04-10 21:25:43 | 徐福伝説
昨秋、禹王サミット(研究大会)に大分県臼杵市を訪ねました。徐福よりももっと昔、治水の神といわれる禹王がいたとされるのですが、その禹王も徐福に負けず、いや徐福以上に全国で祀られていることが最近わかってきて、その研究会が盛り上がっています。

その臼杵市でのことですが、城跡に臼杵護国神社が建っていました。
私も朝、その護国神社周辺を散策したのですが(気づかなかったのですが)、
たまたま禹王研究会の席で私が徐福の話をすると、「護国神社の天台烏薬見ました?」と言われました。
ああ、私としたことが、見逃すなんてと思ったのですが、
親切なその方が写真をすぐにくださいました。



うわー、天台烏薬だあ。
でも臼杵の徐福伝説というのはこれまで聞いたことがありません。
もしや人知れず伝承されていた?
そう思って立て看板を読んでみると、熊野の徐福伝説のことが書かれています。
いったいどういうことなのだろうかと臼杵大会の実行委員長で臼杵市歴史資料館館長のKさんに尋ねてみました。
Kさんの話では、臼杵に徐福伝説はないだろう。でも護国神社なら宮司に聞いてみたらなにかわかるだろうと連絡先を教えて下さいました。

しばらくそのままになっていたのですが、そうだそうだと思い、先日、宮司にお手紙を書いてみました。
一体誰が何のために植えたのかご存じないか、臼杵に徐福伝説はあるのだろうかと。

すると早速丁寧なお返事が届きました。
天台烏薬は宮司ご自身が植えたとのことで、
それは奈良平城遷都1300年祭、6年前のことになります。
家族で熊野、伊勢、奈良とめぐり、和歌山県新宮市の徐福公園に立ち寄った際、
徐福伝説とその伝説にちなんだ天台烏薬を知ります。
苗木があればと思ったけれど10年前くらいから苗木を売らなくなったと言われ、一度は諦めたのだそうです。
ですが娘さんがインターネットで調べたら、苗木を分けてくださる方があり、送ってもらったのだそうです。
それから3年ほど自宅で育て、3年ほど前に公園の境内地の目につくところに植えたのだということでした。

宮司がおっしゃるには、公園には市外、県外の方もよく来るそうで、
市外の人にしたら神社に誰が祀られているかは関心がない。
神社は臼杵護国神社で、御祭神は若くして国のために戦死した、本当は天寿を全うしたかった方ばかりです。
始皇帝も一国を統一した人物で、その命を受けて徐福は不死薬を探すことを命ぜられたという同じような境遇です。
だから護国神社をお参りしていただけたらありがたいという気持ちがある。
そして旅先で知った天台烏薬にまつわる徐福伝説、そのロマンも知ってもらえたら旅の楽しみになるのではないか、
天台烏薬はそんな思いで植えましたとのことでした。

こんなかたちで天台烏薬が植えられ、徐福伝説が伝えられようとしていること、
伝説研究をする立場からも大変興味深いお話でした。

徐福って一体何なんでしょう?
苗木がまだ売られていた時代にうまく育てられずに天台烏薬を枯らした私としては、
青々とした天台烏薬に宮司の熱意も感じることができました。

大分県、臼杵に行く機会がありましたら、是非、護国神社の天台烏薬も訪ねてみてください。

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