ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

中国土産話

2008-09-27 01:23:02 | シホのホ(雑記帳)
今週は充実もしていましたが実に慌ただしく、え~もう1週間?と金曜深夜のお楽しみテレビ番組「探偵ナイト」を見ながらその早さに唸っています。
あれこれお話したいことが次に次にと控えていますが、ぜひここに記しておきたい中国土産話にお付き合いください。
(「ほるほる」は徐福情報の入り口を他に移し、この余談に一層偏っていくことでしょう)

今回の上海・蘇州の旅は、懐かしい再会の旅でもありました。

先ずは親友・レイアンとの再会。
彼女とは私の初の中国、1985年春の高校生交流が出会いですからもう23年、
いつもは浦東空港まで車で迎えに来てくれるのですが、今回は彼女の職場の駅まで一人でリニアモーターカーに乗り(時速400キロを超えるスピードはジェットコースター嫌いの私には限界すれすれでした)地下鉄に乗り換えて会いに行きました。
二人で彼女のお勧めのお店でランチをして、お勧めのお店でコーヒーを飲んで、お勧めのお店で買い物をして、わずかな時間を楽しんで、蘇州から迎えのバスがきてくださったので別れました。

さて、蘇州市徐福研究会の会議でも私には素敵な再会がありました。それは発表の時に私がいくつかの写真を紹介するなかで、「私が徐福を知ったのは贛楡県の抗日山を訪ねた晩に県長から頂いた徐福村碑の写真だった」と話して映し出した写真に反応してくださった方があったのです。会場にいらしたのは1987年のその当時、贛楡県で副県長をなさっていたZさんです。県長のあいさつに合わせて学生に1枚1枚写真を配ったのはZさんであったことを思い出してくださって、それはもうリップサービスではなく、「あなたのことを覚えている、その時に一緒にいた学生が体調を壊して入院したわね」などなど、しっかり覚えていてくださったのでした。翌日の常熟への小旅行はバスも隣に座って、いろんな話をしました(筆談)。Zさんは現在は常熟に暮らしてみえるそうで、所々で知り合いに会うたびに私のことを話し、何度も抱きしめてくださいました。覚えの悪い私ですが、確かにその当時、中国は幹部に女性が多いなあとZさんのこともそんな風に見ていたことを思い出しました。今は本当に素敵なおばあちゃんになって、習っている絵を帰りにプレゼントしてくださいました。

そして、もう一人、私が1985年に初めて憧れの中国に降り立った時に空港出迎えてくださった全線随行のGさんとも再会することができました。その当時は空港で出迎えて帰るまで世話してくださる通訳の方があり、つまりその方が私にとって初めて出会った中国人になったわけです。
そしてその後何回中国に来ても何十年たっても、私にとって初めて出会った方であることに変わりません。私にとってこの出会いは本当に良い思い出となりました。Gさんは学生の私たちと全身でぶつかってくださって、忘れられないのは帰る日の朝、半月がたって、私たちもGさんも感傷的になっている時、みなさんにプレゼントがあると言って朝のホテルの庭でGさんはバック転をしてくれました。何かを手渡してくれるプレゼントではなくて、この朝に合わせて毎朝練習してくれていたGさんの思いに感動したことを今も忘れていません。
そのGさんとは10数年前に思いがけず再会したことがありました。中国徐福会の準備委員会設立の大会が北京の人民大会堂で行われていたとき、通訳として呼ばれていたのがGさんだったのです。それ以来10数年がたっています。
今回蘇州に行くことになり、Gさんは南京で大きな旅行社の副総経理でお忙しいのはわかっていたのですが、もしお時間あったら会える時間はありますかという私のメールに、私の会議の都合で動けるように最終日に泊まりがけで行きますよと言ってくださいました。200キロ以上離れたところから会いに来てくれる、ただただ感激でした。
主催者の蘇州市徐福研究会のみなさんも、ならば夕食は一緒にとりましょうと言ってくださって、招待くださいました。蘇州最後の晩は本当に懐かしく楽しい夕食となりました。
さてさてGさんとはそれから蘇州の晩の観光にも連れていっていただき、一緒に青島ビールと小籠包で再会の乾杯をしました。当日は10代の私と30代のGさん、それが良いおじちゃんになり、私もおばちゃんになり、なんだか本当にあのころの自分にもう一度会えたような気持ちになりました。
そう、あのころ、江蘇省の句容県だったでしょうか。晩に中国の学生と一緒に映画「将軍と孤女」という残留孤児の映画を見ました。私は「日中友好のために仕事がしたい」と市政府の方に覚えたばかりの中国語で話したのでした。
あれから20数年、自分の研究がどこかでその願いを実現させている様な気がしています。

今ここで話した再会、出会いだけではありません。今回会えないことを連絡くださった方もたくさんありました。北京オリンピックの開会式ではありませんが「朋遠方より来たる、また悦ばしからずや」の世界が中国にはあふれるほどあって、私は中国でそのたくさんの想いをいただいて帰ってきました。
もちろん帰国前はもう一度上海でレイアンと会って、二人で最近できたショッピング街を冷やかしながらあれこれと食べて、また一人で空港に向かいました。

私がこれだけは自慢に思うのは、自分にとって大切な出会いには、必ずその種まきの後も水遣りを忘れないこと。よく続いているねと言われることが多いのですが、自分の人生で出会う人なんてそんなにいるわけじゃない。その出会いを相手も大切に思ってくれれば、必ずその種は育っていくように思います。
最後に、上記Gさんが帰国後に下さったメールでうれしかったのは

 日本の方々だけではなく、中国の会議主催者も参加者も、みんなあなたに対して、
 大変尊重し、信頼していることに私はとても感心しました。

という文面でした。私にはわからない言葉のやりとりの中で感じてくださったその感想にはGさんが思う「あの時の高校生が」という温かな眼があるように思います。
本当に親切にしてくださった蘇州市徐福会のみなさまに改めて感謝するとともに、次に会ったその時にも恥ずかしくない自分でありたいとちょっぴり決意したのでした。
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