ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
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逵(つじ)志保のページです

同窓会・・・ちょっと昨日と似た話

2012-05-10 23:11:39 | シホのホ(雑記帳)
「もしもし、T高校のS藤です」
今夜突然かかってきたワタルの高校の先生からの電話に、つい
「お世話になっています」
と言ったが、あれ?と思ったら
「ちょっとちょっと教えてほしいことあるんだけど」
それは大昔、T東高校で一緒に正副で担任を組ませてもらったS藤さんだった。
そうそう、ワタルの担任はK藤さんだった。そんなに親しげに話すわけはない。

なんでもS藤さん、来週末の学年の大きな同窓会(あのときの高校1年生はもう38歳?)のはがきが
どこに行ったのかわからなくなってしまって、
元来負けず嫌いのS藤さん(「2の5」のみなさんもわかると思う)なので
手当たり次第に名古屋のホテルに電話して突き止めようかとも思ったけれど
私のことを思い出し、教えてくれーと電話してきたのだ。
診察券を間違う私といい、どこに行ったら良いかわからない同窓会のゲストといい、
ちょっと私たちまずいんじゃないのー?という感じだが、
わたしはもともと来週は中国だから諦めていてそのカードもとってはいない、
一番最近連絡をとったその学年のS辺くんに聞いてみようということになって電話を切った。
S辺くんは38歳にして小学校の新任教師!
留守電にその旨を伝えたが、これではいつになるかわからない。
年賀状をあさり始めた。
そう,結構連絡をとってくれている人で幹事がいたはずだ。

幹事でもあるF木さんに電話をしてみる。
私の電話が非通知設定だったため始めは警戒心100%という感じだったが、
「うわー、ポコちゃん!」と言われて、みるみる蘇ってきた20年ほど前の記憶。
私は子どもたち(当時)からポコちゃんと呼ばれていたのだった。
「そうそう!」と懐かしがって本題をそこそこに話をしていたら
留守電を聞いたS辺くんから電話。
「いま左耳でF木さんと話してるのー、そう連絡ついたの」
「聞こえるー?右耳はS辺くん」
多分これ聞こえてるのは私だけだと思う。

というわけでS辺くんがS藤さんに連絡をとってくれたこともわかったので、
電話を切り、F木さんから再就職の話などをきく。
看護士はブランクがあっても引く手あまただ。
嬉しいことに「私は今夜ラッキーだったね!ポコちゃんと話せたから!」
といわれて、こっちが嬉しくなった。
「ポコちゃん来るの?って問い合わせもあったんだよ」
嬉しいことだ。高校1年のときの副担任なんか、誰が覚えていてくれよう!
そういえばあの「1-2」
明日からも同じ学校にみんなはいるはずなのに,クラス解散と言って、修了式にお別れ会やったよね。

思えば本当に私はいつだってクラスに恵まれてきた。
「にのご」も「いちのに」も本当に楽しかった。

というわけで私は同窓会には行けないけれど、またの機会を作ってねと話して受話器を置いた。
そう、こうして書きながら、さっき出なかった人の名前を思い出した。
なんですぐに思い出せないのだろうか?
いやいや会場がわからないと泣きつく人に比べたら?
愉快な晩だった。