ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

2006年6月10日「2006秦皇島望海大会・第3回求仙節」

2006-06-17 17:06:35 | 徐福伝説
今回の中国の旅のレポートの最後に、この祭りのことを少し書いておこうと思います。
この始皇帝の祭りで、私たちは献花と献香をし、私は祭文を読むように言われていました。

祭りの開幕が宣言された後、韓国からいらした方(徐福とは関係ない)が先に祭文を読み、次に私が日本人として読みました。
実は前夜、祭文を完成させ、すぐに翻訳していただいたのですが、秦皇島徐福研究会会長から、祭りにふさわしい言葉で埋めたほうが良いと一部カット案が出て、私の祭文は少し変わりました。
やはり、祭りの場で言った方がいいこと、言わないほうがいいこと、それはその土地の人の肌でしかわかりません。祭文を読んだ後にカメラマンがその原稿に集まっていらしたのは、そのカット案が良かったからだろうと思います。

難しいものだなあと思っていたのですが、帰国後、たまたま検索で引っかかった祭りの記事に、私の原稿を見つけ、そこに私の言葉が間違いなく届けられていたことを知りました。
新華社ニュース河北チャンネル
記事の中の私の言葉は日本語ではこういうことです。
「海は中国と日本を隔てているものではなく、中国と日本をつなげているものなのだと思います。海を挟んだ日中両国が末永く友好な関係を続けていくことができるよう願っています。」

せっかくですから、最後に祭りにふさわしくないとしてカットさせられた部分も、ここに記念にしるしておくことにしましょう。わざわざ祭りに来て、この話は聞きたくないからとカットされたのですが、私の本心はここにあります。そしてカットして欲しいといわれたこともよく理解できています。
「わずか60年前、日本はこの海を敵意を持って渡ってきたことも事実です。若い世代の私たちは、その過去の蛮行の事実から目をそむけることなく、そして二度と過ちを繰り返すまいと、ここに改めて決意したいと思います。」

たくさんの出会いがありました。たくさんの優しさに触れました。
私にとっての中国は、広大な景色の中にではなく、出会った素敵な人たちの心の中にあるんです。
本当にありがとう!いつかまた会う日まで。

中国の徐福伝承地・秦皇島に行ってきました

2006-06-17 16:23:14 | 徐福伝説
今回、北京で国際シンポジウムが開催されることを知ったとき、その日程を見て先ず第一に、これで秦皇島に行ける!と思いました。旧暦の端午の節句に行われているという徐福にちなんだ祭りに一度出かけたいと思っていたからです。

私の中国の徐福の旅には相棒がいて、相棒なんて言っては失礼なのですが、いつも八丈島のS本さんと旅をしています。S本さんとは1991年、中国徐福会準備委員会の設立に出かけたときに北京でお会いしたのが始まりです。その後、S本さんは八丈島の町長になり、ほとんど徐福と関わることのできない時期がありましたが、私が八女の徐福伝説を調査したのは、S本さんが「八の字サミット」という地名つながりの会議に出かけて「八女に面白い徐福伝説があるよ」と教えてくださったのがきっかけです。
その後引退され、八丈島の漂流記を調べながら、私に「とにかく現場に立ってみなきゃ何もいえないから」と、伝承地を全て一緒に歩いてくださっています。申し訳ないのはその全てに既に足を運んでいるのです。でも一緒に旅をしながら、年齢も性別も違うのに、たぶん互いの人生の中で一番一緒に旅をした人になるのではないかと思います。気を使うことなく、時には一緒に怒り、笑い、悲しみ、本当に旅の相棒です。
そのS本さんが秦皇島の最後の宴会の席で「最後がここでよかったね」とおっしゃいました。本当に、各地を歩いてきて、今回の秦皇島が今になって来てよかったと思ったのは、秦皇島は始皇帝を祭っていて、始皇帝の求仙の思いに応えようとした一人として徐福を捉えていることです。そしてどうやら確かに旧暦の端午の節句に祭りは繰り返し行われている。これまで私のフィールドはあくまでも日本で、私は日本の調査を通して中国のフィールドを知ることができればいいと思っていたのですが、会話力のなさを忘れ、ここで日本でしてきた調査と同じことができるんじゃないかという思いを強く持ちました。

今回、7日22時過ぎに秦皇島に到着し、11日の朝に北京に向かうまで、北戴河や山海関にある始皇帝の行宮跡を専門の研究者の方に御案内いただき、しっかり観光もし、たくさん美味しいものをいただいてきました。
今回はハードなスケジュールで、今までにないくらいに疲れたけれど、私の研究をふりだしに戻してもらったような、達成感と新たな課題が生まれました。

写真は老龍頭。万里の長城の先っぽは海に入っていくのです。感激!

2010年、連雲港市でお会いしましょう

2006-06-17 15:21:36 | 徐福伝説
江蘇省連雲港市では、既に記した講演会のほかにも様々な行事が次から次にあり、
本当に正味2日間しかいなかったのだろうかと思うほど、忙しく過ごしました。
その中で徐福ファンには新たなニュースがあります。

2010年、江蘇省連雲港市では徐福東渡2220年を記念して、盛大な祭りを行うことが提案されました。テーマは「友好・協力・発展」。アジアの平和を願う祭りにしたいということです。
その会議の中で、既に佐賀市が2008年に徐福の国際フォーラムを企画することが知らされました。
私はブログ上でお聞きしていた堺市の2008年企画も同時に考えていったほうが良いだろうと提案しました。(佐賀と打ち合わせ、連雲港市からの訪日団が国内移動によって無駄なく行事参加できるのが良いだろうという話がそこで出ました。)

これまでそれぞれの地元ではこつこつと準備されてはいても、あるとき突然舞い込む案内に戸惑ったり、日程が重なっていたりということがあったのですが、こうして顔を付き合わせ、準備段階から打ち合わせしていくようになってきたことを、新たな一歩と感じました。
既に私たちの出会いそのものがネットワークとなって次の動きを始めている。そんな気がします。
私の土地の徐福から、私たちの土地の徐福へ。広がりながら、そこにいつでも人が入ってこれるような穏やかなつながりを作っていきたいと思います。

「日本の徐福研究‐東アジアのネットワークによる今後の徐福研究に向けて‐」

2006-06-17 14:37:32 | 研究業績ほか(2004年12月~)
研究業績
【口頭発表:その他】
2006年6月5日《中国》中日韓徐福文化研究会(江蘇省連雲港市・淮海工学院)
講演「日本の徐福研究‐東アジアのネットワークによる今後の徐福研究に向けて‐」

【外部資金獲得状況】
2006年6月5日《中国》中日韓徐福文化研究会(江蘇省連雲港市・淮海工学院)
(招聘:渡航費を除く旅費)