新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

若葉が萌えて

2009年04月19日 00時31分42秒 | 身辺雑記

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 先日の恵比寿駅前。

 大きな樹木が、天に向かって枝を伸ばし、若緑が陽に映えていた。

 私はこの季節の樹木が大好きだ。

 伸びようとする息吹に圧倒され、時には元気がもらえる。

 老木であっても、神経や細胞の隅々にまで、意欲が音を立てて流れている。頼もしい。

 私は間もなく後期高齢者だ。どんな体調に陥るか、見当もつかない。社会的にはどのような立場になるのかも、まだ不勉強な面が多い。

 そんな私だが、自然の力強い呼びかけには、可能な限り応えたいと思っている。

 そのために何をしたらいいのか。

 それが問題だ。

 一日一日を大切にして、燃えていたい。

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人を育てる

2009年04月17日 07時55分47秒 | 身辺雑記

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 一週間ほど前に撮った春の小川です。

 雪柳と連翹が満開でした。 

 政治の話にしても、会社経営の話にしても、よく人材不足の声を聞きます。

「麻生太郎さんが辞めたら、あとはいないじゃあないか!」

 話はそんな風に展開します。

 そうなのです。どこの世界でも、どんな渡世でも、人材不足で嘆いています。

 気がついてみたら、育てていないからでした。

 政治家はいい見本です。

 小選挙区制になったせいか、ほかにも理由があるのか知りませんが、自民党の派閥は弱くなりました。

 きれい事で言えば、切磋琢磨の場が少なくなったのです。

 その上悪いことに、マスコミが叩けば喝采が沸き起こります。

 新聞が売れ、テレビの視聴率が高くなります。

 出れば叩きます。出なければ踏んづけます。

 これでは人は育たない。

 どんな社会でも、育てなければ人は育ちません。

 人を育てるには、金と時間が必要です。

 有権者意識の課題でもあります。経営者意識の課題でもあります。

「ノウハウは盗んで自分のものにしろ!」

 そのようにハッパをかける時代ではなくなって久しいのです。 

 そこらあたりを、もう一度考えるべきかもしれません。

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後輩と一杯

2009年04月16日 06時30分53秒 | 写真俳句・エッセー

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 一昨夜は雨が激しかった。久しぶりに宇都宮へ。

 宇都宮と言えば、行く店は小体な居酒屋に決まっている。

 後輩が二人、待っていてくれた。とても嬉しかった。持つべきは友だ。

 いつの間にか日本酒になってしまった。やはり日本酒は旨い。

 おかみさんも呑んだ。もともと呑めるクチだ。ぐい呑みでは小さすぎる。

「女の酒は、茶碗で冷や酒だね。立て膝の裾が割れて、赤い蹴だしが・・・。こんなとき、まさか股引では恰好がつかないねえ」

 嬉しくなって大きな声を出してしまった。

「ケッケッケッ・・・」  女性の笑い声。いけない!別席に女性の客がいたのだ。

「私、今夜は雨降ってるので、股引なのよー。見えたの!」

 これには参った。見たとも言えず見なかったとも言えず、

「いやー、これで桜は終わりですねー・・・」 と、妙な言葉で締めくくった。

  観もせずに唄ふもせずに花疲れ   鵯 一平

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デジタル化

2009年04月15日 01時03分45秒 | 写真俳句・エッセー

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 すべてを「0」か「1」かに区別して処理するのがデジタルだ。

「ある」が「1」で、「ない」は「0」。

 これはよく分かる。

「きみはこの人、好きかい?」

「うん、好きだよ」 そう答えれば「1」で、「嫌いだねえ」となると「0」。

「どちらとも言えないなあ。概して言えばー」 なんて答えは許されない。

 かつて臓器移植に関し、「生と死」の「判定基準」で揉めたことがあった。

 どこまでが「生」でどこからが「死」か?

 つまり、どこまでが「1」でどこからが「0」の論議だった。

 医学的なことは知らないが、「人の尊厳」にかかわる議論だったように思う。

 識者の議論はブレていた。「1」でもない「0」でもない状態があるとでも言うのか。

 今はどんな結論になっているのだろうか。

   0と1の間ひを彷徨ふ朧かな   鵯 一平

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いいぞ日本人!

2009年04月14日 07時06分09秒 | 身辺雑記

 4月9日の記事で、「保守の気骨」を書いた。

 あの記事は、雑誌「諸君!」の中の対談記事を引用した。

 書き落としたことで、どうしても書きたいことがあった。

 対談者の一人で司会的な立場だった宮崎哲弥氏(評論家)の話だった。

 NHK放送文化研究所では1973年から5年ごとに、「日本人としての意識」という調査を発表しているとのこと。全国5400人を対象に、「価値観やものの考え方の推移」を検証したものらしい。

 宗教観から婚前交渉の是非に至るまでの幅広い調査となっている。

 この調査の「権利」に関する項目の調査では、「言論・表現の自由」を権利とする人よりも、「納税」を権利と見ている人のほうが多いのだそうだ。

 1993年の調査から逆転し、その後は一貫して「納税」の優位が続いているとのこと。

 2008年の調査では、「言論・表現の自由」を権利として見ている人が、34.8パーセントだったのに対し、「納税」を権利と見ている人が42.8パーセントだったというのだ。

 私は「納税」は義務だと考えていた。しかし、権利と考えていた人がいたのだ。

 しかも、「言論・表現の自由」を権利としている人よりも多かった。とても衝撃的だった。

「納税」が権利か義務かの議論は、この際さておくこととする。果たして権利と考えるべきかについては異論もありそうだ。私も俄には賛成できない。

 私が言いたいことは、権利と考えている人が多いことに驚いたということだ。 

 先般の「定額給付金」について、60パーセント以上の人が反対に回ったが、政治的な思惑だけで反対した人ばかりではなかったらしい。

 調査方法や設問内容を詳しく承知してはいない。だから即断は出来ないが、日本人のメンタリテイー には、不思議な面がありそうだ。とても嬉しいことだった。

 このような行動意識をよく考えて、日本人らしい政治を行えば、悲観論ばかりではないかもしれない。私は今、少し元気を取り戻しつつある。

 いいぞ日本人!

 そんな感じを持ち始めている。

 まだ人から聞いた話の段階だ。機会を得て、NHK放送文化研究所の調査内容を精査してみたい。

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