新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

鵯 一平氏の生活と意見

2009年01月26日 06時22分12秒 | コラム・エッセー

 ブログという表現方法を知ってから、ほぼ2年弱が経ちました。

 病気で臥せっていた期間を除けば、ほぼ毎日のように更新していたように思います。まるで「毎日更新」が、「自己目的化」したような状態であったかもしれません。

 内容の是非を反省することもせず、せっせと投稿し続けました。読んで下さっている方々にとっては、迷惑この上ないことだったでしょう。お付き合いいただき、衷心よりお礼を申しあげる次第です。

 ブログについては、人それぞれの目的や活用方法があるのではないでしょうか。

 私にとってのブログは、簡単な「自己表現」方法の一つでありました。比較的簡単なところがありがたいですね。

「自己表現」は、受け止めて下さる方がいて成立します。書きっぱなしでは中途半端です。読んで下さった方の反応があろうとなかろうと、読んで下さる方の存在を一方的に信じて書いておりました。

「表現する」行為は、「受け止める」行為があって完結します。書き手は、「受け止める」行為を期待して書いています。傲慢とも言える行為ですね。「受け止める」行為を信じなければ、きっと虚しいものになってしまうように思います。

 コメントをいただければ、「受け止める」行為を具体的に確認できたことになります。だから、とても嬉しいことです。嬉しくて嬉しくて……。

「ランキング」も同様です。上位であろうと下位であろうと、ボタンを押して下さる方がいればこそ、「受け止める」行為を確認できたことになります。これもまた、とても嬉しいのです。

 しかも上位にランキングされたりすれば目立ちます。目立てば、「受け止める」行為をして下さる方が増えるかもしれない。きっと増えるに違いない。「自己表現」を目指す私にとっては、これ以上の喜びはないのです。

 そのようなことから、「ランキング」についても精を出すことになりました。賞金をいただけるわけではないのですから、そのような理由のはずです。もちろん、競争心や虚栄心ではありません。なにしろ、見ず知らずの空間なのです。

 しかし、「ランキング」の上位キープ自体を、自己目的化させない配慮は必要です。「ランキング」の意識過剰は、記事の内容にも影響が出るかもしれません。自戒しております。

 その点、私の「ほろ酔い気分」は、「受け止め」て下さる方にとって魅力がある内容なのだろうか。我ながら、疑問を抱きます。「ためになる情報」はほとんどないからです。

「鵯 一平氏の生活と意見」を、くだくだと書いているに過ぎない内容です。しかも時には、本気とも思えない偏った内容だったりします。またある時には、ひどく過激だったりもします。そんな時にいただくコメントで、実はホッと胸を撫で下ろしているのです。

 これからも、「鵯一平氏の生活と意見」を書き続けたいと思っております。とは言いながらも、毎日更新ができるかどうかは、とても微妙です。無理かなあ?

 読者のみなさんのご指導とご鞭撻を心から願ってやみません。

 私も幾人かの方々のブログにお邪魔をしております。

 日頃の私とは異なる生活の方々が多く、とても刺激的で参考になります。私には思いもよらない記事もあり、触発されています。お礼心の意味合いから、ポチをして戻ることにしています。

 今後も「ほろ酔い気分」を書き続けるのであれば、きちんとした生活を送り、正鵠を射た意見を述べなければなりません。しかし、それは無理でしょうね、きっと。悪しからず。

 偏りがあってこその私であるようです。結局のところ、自然体しかないようです。

 写真および写真俳句は、少し異なる思いを抱いて取り組んでいるのですが、機会を捉えて述べさせていただく所存です。

 写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

 よろしかったら、そちらも覗いて下さればと存じます。

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恋愛対象の年齢について

2009年01月25日 08時49分08秒 | 身辺雑記

 過日のこと、若いママさん社員と雑談をした。

 彼女には女の子が2人。上は小1で下の子は保育園へ通っている。

 小1女児が通っている小学校でも、「不審者情報」は徹底している様子だった。

 そんな話題の中、子供たちが言っている「若い女の人」は何歳程度かという質問を受けた。

「小1女児が言う若い女の人・・・?」 さあ、何歳くらいだろうか。答えられなかった。

「中学生か高校生ぐらいが、若い女の人なのだそうですよ。ガックリきましたわ」

 いかにも落胆した様子のママさん社員。

「へーえ、そんなものかねえ。私から言えば、中学生だって高校生だってまだ子供。若い女の人とは言わないねえ」 

 彼女も同感の様子。自分の子供から見て、自分が「若い女の人」でなくなっていることに、大いなる不満があったようだ。

 周囲にいた男性たちも、一様に驚いた。

 それにしても、小学生の目には、中学や高校のお姉さんも、「若い女の人」になるようだ。

「おばさん」と「おばあさん」や「おじさん」や「おじいさん」の表現も微妙だ。

 私から見て、かなり「おばあさん」年齢の人が、自分を「おばさん」と称している例は多い。

 この傾向は、男性よりも女性のほうが多いように思う。

 あるとき、同年配と思われる男性から、私は「おじいちゃん」と呼ばれた。あの時は少しばかり腹がたった。「君におじいちゃんと呼ばれる筋はねえや!」という感覚だった。

 そのような経緯を経て、話題が「恋愛対象年齢の範囲」へ飛んだ。

 そんな話題となれば、私は臆面もなく図々しくなっていく。自分の年齢のことは捨てる。

「もうこの歳になれば、あまり若い女性では鬱陶しいなあ。話題が合わないしね。多少無理をして、40歳前後から上の年齢だね」

「そりゃあ無理ですよ」 男性の声。

「実現性の話ではなく、願望だからいいでしょうに……」 私は未練がましく言った。

「それじゃあ、上は何歳くらいですか」 周囲の男性からの質問だ。

「うーん、言い難いなあ。あえて言えば、○○歳が限度かなあ」 これは私の回答だ。

「ええ・・・?!」 周囲の男性が声をあげた。私の答えが若すぎたようだ。

 驚くのは当然だ。実は私も、そんな希望を持っていない。単に強がりを言っただけ。

 ○○歳と言えば、カミさんよりも20歳も若い。

 従って、このブログでは○○がどんな数字であるかは、言わないことにしたい。

 我が身の実力をも顧みず、あまりにも身勝手な数字すぎる。

 真実の胸の内を言えば、もはや今さら恋愛はあり得ない。しかし、心は熱くありたい。

 心が熱く燃える限りにおいて、もはや年齢にこだわりはない。

 神聖であるべき朝、かくも不謹慎な話題でご免なさい。

 ついでにお知らせとお願いです。

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冬夕日

2009年01月24日 05時18分32秒 | 写真俳句・エッセー

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行く末は梢に映ゆる冬夕日

 早いもので、もう1月も下旬にはいりました。

 新しい年の初めにあたり、

   新たなる余白めくりて去年今年  鵯 一平

と詠み、多少は新鮮な気持ちで迎えた新年でした。

 だからと言って、特別な今年としての気負いはありませんでした。大晦日の夜から新年の朝にかけて、余りのページをめくったような感じだったのです。しかし、すこしばかり新鮮でしたね。

 孫が一緒だったので、気持ちが違っていたかもしれません。とても嬉しくて。

 余白と言っても、決して自棄っぱちな気分ではありませんよ。天からいただいた生命です。一日たりとも無駄にせず、愛おしみながら生きたい生命なのです。

 繰り返しますが、私は自分を愛おしみたいと思います。

 と同時に、妻や子や孫やそのほかの多くの生命をも、愛おしみたいと強く思っております。

 今朝は寒い日が戻るのだそうです。

 いいえ寒いのは、天候のことばかりではありません。なにしろ、不況は世界規模です。回復の気運も感じられません。だから、今のところ、とても寒い明け暮れですね。

 そのような日々ですが、ささやかな灯りを探しながら、いただいた生命を愛おしみ続けて生きたいのが願いです。

   行く末は梢に映ゆる冬夕日   鵯 一平

 樹木のテッペンなど、大言壮語過ぎましたね。気持ちとしては、草むらのささやかな一葉でもいいのです。

 夕日など、そんな晴れがましいものを望んでもおりません。寒さの中、少しでも温もりがあればとの思いです。

 昨日は暖かな一日でした。今日は寒さが戻ってきます。

 皆さま方には、お風邪など召しませぬように、お気をつけ下さいませ。

 今日の私は、朝早い外出です。マスクをつけて、風邪の予防につとめます。

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小さな日本

2009年01月23日 06時26分04秒 | コラム・エッセー

 オバマ氏が、アメリカ大統領に就任した。

 建国初の黒人大統領が誕生したので、ワシントンは湧きに湧いたようだ。

 しかし、マーケットは下げに入った。お陰で日本の株式も下がった。難しい因果関係など、私にはわからない。

 世界の目が、オバマ氏をじっと見詰めている。経済運営や安全保障などの今後を、世界中がじっと見ているのだ。果たしてどうなるか。

 一方の日本。 

 一昨日の参院予算委のことである。民主党の石井一副代表が、質問に立った。

 大物の質問なので、大統領就任直後でもあり、国際的な視点での質疑を期待した。

 ところが案に相違して、麻生首相に対する「漢字のテスト」だった。

 民主党内においても、非難が起きたようだ。経済対策が遅いの早いのと批判している野党の副代表が、このような愚問で時間を浪費していいのか。

 呆れ果てた話だ。怒りを通り越して、悲しくなった。これが我らが選良の実態なのだ。

 石井副代表は、先の国会においても、失礼極まりない質問をしていた。野党とはいえ、何を言ってもいいわけではない。国会軽視も甚だしく、国民を愚弄した仕儀だ。もっと時宜に適した、効率的な国会運営を望みたい。

 にやにやして答弁している麻生首相にも、毅然とした態度を望みたい。

 あなたたちは、首相であり国会議員なのだ。選良に相応しい論議をしてくれ!

 これが国会の実情だ。議員の定数削減を、どうしても議論しなければなるまい。

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寒紅梅ちさき言葉の繰り返し

 国会の愚問愚答を念頭においた俳句ではない。

 ヘボ俳句の私。国会問答などは早く忘れたい。

 ああでもないこうでもないと繰り言をしていた庭先で、紅梅が小さな花をつけていたのだ。

 悩んだり落ち込んだりしている間にも、自然はきっちりと回っている。

 ああ、そうか。こんな寒い中、もう寒梅が咲いたんだ。

   寒紅梅ちさき言葉の繰り返し   鵯 一平

 今日は仕事場。時間はどんどん過ぎて行く。

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禁煙の難しさ

2009年01月22日 07時21分23秒 | 身辺雑記

 仕事場の幹部たちが、禁煙に取り組み始めてから、もう数ヶ月が経った。

 過去に幾度か、このブログで経過を記事にしてきた。

 今回をもって最終としたい。

 なぜかいい報告ができない結果となってしまった。とても残念。

 A氏が取り組み始めたことが、ブログに取り上げるスタートとなった。

 禁煙作戦の仕掛けは簡単だ。T製薬のNというガムを噛みながら、禁煙しようという話だ。

 Nには若干のニコチンが含んでいる。禁断症状が緩和される。禁煙できる作戦だった。

 A氏の取り組みは、B氏の禁煙がキッカケだった。そのころB氏の禁煙はほぼ順調で、すでに3週間ほど続行できていた。

「もう大丈夫ですよ」 その当時の自信満々たるB氏の弁。

 A氏はすぐに禁煙状態にはしなかった。12月1日をもって0本にするという作戦だった。どう考えても優柔不断。「大丈夫かなあ」と、私はそのころから懸念を感じていた。

 そのようなA,B氏の取り組みを眺めていたC,Dの両氏が、勢いよく参戦してきた。

「よかったなあ」 私は内心、心から彼らの成就を願った。

 ところが、一両日でC,D氏が白旗を掲げた。

「いやあ、禁煙する理由がありません」 そんな言葉があった。

 その後、B氏が栄転をした。仕事が忙しくもあり、責任がより重くなった。禁煙の挫折を人づてに聞いた。

 先日の賀詞交歓会で顔を合わせたら、

「仕事が順調になったら、また禁煙します」 と、B氏が照れくさそうに言っていた。

 ところで問題のA氏。

 やはり、キッパリとは止めていない。

 誰かに、「どうぞ」と奨められると、ひょいと吸ってしまうとのこと。もう不可能に近い。よほどの強い気持ちを持たない限り、これ以上の前進はできない。

 やはり禁煙は難しい。

 禁煙しなければならない身体的事情がないと成功しない。A氏は丈夫な人なので、逼迫感がない。「別に止めなくたって……」と、内心では思っている。これでは禁煙できない。

 B氏には、キッカケとなる身体的な事情があったはず。しかし、当面のストレスには勝てなかった。この挫折は大きい。

 こんなブログを書き始める前、実は2人が見事に禁煙に成功していた。

 彼らには、取り組む強い理由があった。

 いや、理由があったわけではない。煙草を止めたい理由は、幾つでもある。

 禁煙に成功した人たちは、何かを禁煙の理由と見立て、心を強くしたのだと思う。

 成功するも挫折するも、気持ち一つだ。覚悟が大事だ。

 私の禁煙成功までに、数多い挫折が繰り返された。なんとか成就できたのは、身体的事情があったからだ。それがなかったら、気持ちの弱い私には、成就できなかったかもしれない。

 喫煙者に考えてほしいことがある。周囲の者の苦痛だ。禁煙の動機には弱いだろうが。

 禁煙の難しさを、改めて感じた次第。

 その点私は、今になって自分を褒めている。

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