湖の夕景 2005.10.27裏磐梯にて
おクラにあった写真を引っ張り出しているのでは情けないのだが、怠けぐせの結果がこんな仕儀を生んでいる。
反省するところしきり。
「悲しいから泣くのではない、泣くから悲しくなるのだ」。
そんな話を聞いたことがある。
「悲しくなったら笑いなさいよ。笑えば悲しみなんか吹き飛ぶよ」、とでも言いたいのだろうか。
心と身体はつながっている。悲しくなったら泣くし、泣けばさらに悲しみがつのる。
「いっそのこと、悲しくなったら笑い飛ばして、悲しみの連鎖を断ち切ったほうがいい」
と、言いたいのだろうが、人間なんぞ、そんなに都合良くできていない。
悲しいのに笑えるか?
笑おうとしたら、きっと心は、キリキリ舞いをするに違いない。
できる人はいるかも知れない。だが、私にできるかなあ。
だからと言って、悲しみに襲われるたび、泣きくれてばかりもいられない。
「心済むまで泣いて、泣き疲れるのを待とうよ」、というのでは、それこそ身がもたない。
心が潰れてしまうかもしれないよ。
さあ、そこが問題だね。
夕日のほうがもっと好きです。
夕日があともうちょっとで沈みそうですね。
じっと見ていると、早くうちに帰ろうという気になります。
悲しい時は声を出して泣きます。
思い出してはまた泣きます。
泣きたいときはいっぱいありましたよう。遠慮無く泣きました。涙を流すのって精神衛生上とても良いのですって。無理は禁物。大いに泣きましょうよ。その先には笑いが待っているのでしょうから。
私も夕日に惹かれます。懐かしさというか、もの悲しさというか。
心には逆らわず、柔らかに生きたいと思います。
このごろになって、やっと、そんな心境です。
ビジュアル的には、朝日のほうがとっつき易いのですが、夕日のもの悲しさは、心に伝えてくれるものがありそうに思います。
大いに泣き、大いに笑う。
事態を柔らかく受け止めて生きたいものです。
悲しいときに私は笑いました。
そのことについて、そのうちに記事を書きます。
お読みくださいね。
私の好きな言葉。
「明るくすること。心の中はそうでなくても、外見だけでも明るくすること。」
曽野綾子の「戒朗録」の中にありました。
悲しい時に笑ったとのこと、なかなか出来ないことだと思います。
私もそう思っている時期がありましたが、そのうち出来なくなって、今は、せめて事態を柔らかく受け止めるように努めています。
のそっとさんの記事を楽しみにしております。
良い写真はいつ見ても良いものです
裏磐梯 良い所ですね
ババロアも何度か行っていますが また行って見たいところです
言葉ないならない悲しみを経験しています
悲しみの度合いはそれぞれに違いますが その最中にあるときは 泣けないものですね
ある時堰を切ったように涙があふれます
誰も止める事はできません いいんです泣きたい時は
泣けば それで心が癒されると聞きました
人それぞれですが もうやせ我慢しなくていいんじゃないでしょうか
週末お天気悪そうですが 楽しく過ごせると良いですね
裏磐梯は被写体の宝庫、ヘボでも探せるので、セッセと通いました。このごろは億劫で行ってません。億劫になってはダメなのですが。
「悲しみの処理」を、小手先で考えてはいけないのかも知れませんね。むしろ流されたほうが上手い処理になるのかも?
夕日は物寂しげな処、秋の季節にぴったりです。
今度裏磐梯へいって見たくなりました。
悲しいときは泣き、笑いたければ笑い、自然体で
いきますね。写真の様に暗さの中に写る幽かかな
太陽みたいに!奥深い写真だな~!
前のコメントに変換ミスがありました。
「戒朗録」ではなく「戒老録」でした。
お詫びいたします。