私の名前はひっつき虫。正式な名前は知らない。仮に知ったとしても、実生活に役に立つわけではない。
ここのところ数日、老人の座布団の上で息を潜めていた。いや、むしろ動きようがなかったのだ。
今日は旅立ちのチャンス。老人が、カメラやレンズを選び始めた。何処かへいくつもりらしい。
女性との長電話など、気になることは幾つかある。老人が手術のために入院するらしいことも懸念事項だ。
しかし、もはや逡巡すべきではない。来春に芽をだすため、新しい天地を求めなければならない。
敢然として、私は老人のズボンにひっついた。
着いたところは、自然公園であった。老人がよく行くところらしい。
最初の一枚は上の写真だ。老人の思惑どおり、公園の池には多くの水鳥集まって来ていた。
ワイワイガヤガヤと喧しいこと喧しいこと。
ところが老人は、一羽の鴨を追いかける。妙な習性だ。
上の写真はその内の一枚。群から離れ、なにやら思索を重ねている様子で、まるで哲学者だ。
付近の畑に、幾本かの柿の木があった。
今年は実が多い。野鳥も食べきれないらしく、まだまだ沢山の実がついていた。
にもかかわらず、老人は孤独な柿の実を選んで撮影している。妙な男だ。
老人が次に選んだのは、枯れ切ったカラスウリだ。
なぜこのような被写体を選ぶのだろうか。
気がついた。老人が選ぶ被写体は、彼の胸底の姿なのかもしれない。
烏瓜の辺りで、私は老人と別れることにした。
老人に関し、懸念事項は幾つかあった。しかし今は、それにかかわってはいられない。
私は私の生き方を生きなければならない。それが天命というものなのだ。
思い切って跳んだ。
遡って見るとこのひっつきむしの正体は「栴檀草」のようですね。
私も服にひっつけて何度帰ったことか・・・(笑)
そのひっつきむしの思惑に反して服から剥がしてはゴミ箱行きへ・・・
お気の毒ですが、家のあちこちへひっつけるわけにはいきません。
ひよどりさんにひっついたものは運良く他所で生き延びたわけですね。
それぞれの生き方をする植物にも運命があるわけで運が良ければ生き延び、悪けりゃそこで命尽きる・・・
人はどうでしょう?
やはり似たようなところあありますね。
節酒、減塩、大変でしょうが上手に対処なさってください。
私の部品は耐用年数をオーバーしているので、ときどき傷みます。
今度は脚ですが、問題はなさそうです。
恋の病ではなさそうですね。
お大事に。
病院でも句を捻るのでしょうね。
楽しみに待っています。