昭和20年8月15日、我が国はポツダム宣言を受諾し、戦争に敗けた。
あの日以来、我が国は自分の国を、自分の言葉で語れなくなった。GHQによって言葉が制限された。つまり、GHQによる検閲を受ける仕組みとなったのだ。
確かに戦争は罪悪だ。これとて、どちらが仕掛けどちらが仕掛けられたか、一方的には断罪できない。喧嘩両成敗ということだってある。
しかし我が国は、戦勝国が敗戦国を裁く「東京裁判」を受け入れた。悪かったのはすべて日本。日本人はそのように思わされ、それ以外の言語は抹殺された。
爾来、日本人の心には、自らを貶める言葉しか残されなかった。
甲と乙の争いには、甲の言い分と乙の言い分がある。「盗人にも三分の理」と言うではないか。
押しつけられた憲法を押し戴き、とりわけ、「憲法九条が国を守ってくれている」と思い込み、ひたすら経済復興に奔走した。
自分の身は自分で守るという最低の感覚も残っていない。そんなことは論理ではなく感覚なのだ。つまり、本能と言ったほうがいい。
動物の本能を失った日本は、アメリカの傘の下で、惰眠を貪って過ごしてきた。
今後も、アメリカは自国民の血によって、日本を守ってくれるだろうか。
第二の経済大国であった日本は、その座を中国に奪われた。それでもアメリカは、日本の盟友であり続けるだろうか。
一方的に詫びた「村山談話」に引き続き、昨年の8月、菅総理も「首相談話」を発表した。
彼らは、いや日本人は、冷厳な国際社会を甘く見ているようだ。お詫びをすればお友達でいられると思っている。詫びれば詫びるほど、つけ込まれることを理解できていない。
民主党政権は怪しい。自衛隊を「暴力装置」と言いのけた官房長官がいた。
「学べば学ぶほど」なんぞと言って冷笑を買った元首相もいた。
その点、自民党だってあまり変わらない。腰がふらついていて言語も行動も定まらない。戦争直後の言語空間から、まだ抜け出せない議員が多い。
政治家を選ぶのは選挙民。やはり日本人がおかしいのだ。
何かを言えば、「そんなこと、学校で習わなかったもの」で済ませている。
日本はどのような国であったか。どのような国でありたいのか。
日本人自身の言葉で、よくよく考えるべきと思う。
水溶性の漂流国家でいいわけはない。
この國に雄ごころありや寒椿 鵯 一平
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お詫びをすれば、無関心を装えば、相手を非難せず、差しさわりの無いことさえ言っておれば、相手は自分のことを放っておいてくれる。
そのような歴史を戦後、延々と積み重ねてきた日本を信頼する国は殆どないと思います。
個人的な面でも、そのような人物は単に軽蔑に値するだけだとも思います。
歴史を学び、わが国を尊重する、外国ではどこでもおこなわれている基本的なことから始める必要なありそうです。
長い歴史が必要となりそうです。
ただ気づいてからのことですが。
寒椿がきれいです
どうなる日本!心配です
まだまだ ぬるま湯状態です
我々は惰眠を貪って過ごしてきました。
「学校で習わなかった・・・」のひと言で済ませていました。
「平和憲法なのだから、他国から攻撃されない」
そんな思いの人が、まだまだ沢山おります。
「尖閣諸島など遠いのだから、欲しい國に上げてしまえばいいのに」と思っている人もいるかも知れません。
もっとも菅総理は、かつて、「沖縄は独立すればいい」と言ったそうです。
国民の多くが気付いたときには、日本の国は、何処かの国の自治区になっているかもしれませんね。
民主党の多くは、左翼的な人たちですから、このようなことになっても仕方がありません。
自民党の中でも、国防意識の希薄な人がいます。
日本はもっと悪くなりますよ。
タコだって、自分のことは自分で守りますよ。
チッコイ権力闘争ばかりに神経をすり減らして、肝心の国民のための政治を本腰を入れてするのだということを、スッカリ忘れている始末。
国民は政治など当てにせず、自己防衛するしかないようです。
ひよどりさんは、良い新年を迎えられたことと存じます。
早速、辛口論法が冴え渡ってますね。
ゆっくり、噛んでふくめて読ませて頂きます。
我が家は、年明け早々から関西往復して。
今から夫婦の正月です。
私はイライラむかむかするのでチャンネルを変えようとしましたが、夫は「バカがどんな事を言っているのか見なきゃダメだ」と辛抱強く見ていました。
目をそらさずにというのは、忍耐がいります。
「チッコイ権力闘争」って、まったくその通りですね。
ハトチャンが軽いと思っていましたが、カンちゃんも思いつきが多すぎます。
この頃元気なのですが、言っていることが思いつきやご都合主義です。
国を任せられません。
今日からのお正月、どうぞゆっくりなさって下さい。
今年の冬は寒いので、私の行動はすっかり鈍っています。
元気なのは口先ばかり。
これでは嫌われますね。
私もそのテレビを、辛抱強く見ていました。
あの人は政治家ではありません。
自分が言っていることの意味が分かってないようです。
「内閣支持率が1%になっても辞めない」とか、今はまた、「心が萎えても辞めない」などと言っています。
誰のための政治なのか、とんとお分かりではないようです。