子供の頃から、私はこだわりが多かった。何事によらず、こだわりを持った。そのこだわりも、いい方向に向いたものならまだいい。ところが、褒められない妙なこだわりがかなりあった。
たとえば、中学校時代のマラソン大会。「絶対にビリになってやる!」と、愚かなことを公言し、頑張ったことがあった。「ビリになる頑張り」というのも不思議な言い方だが、実際にビリになった。
実はその前段があった。入賞するため、近所の同級生たちと、密かに練習をしていたのだ。
うろ覚えだが、マラソン大会は2月ごろ。練習は、星がきらめく冬空の下で行った。とにかく寒かった。今でもその寒さは覚えている。
ところが、短い距離の練習なのに、私は完走できなかった。途中でイヤになってしまうのだ。辛くなると、歩き出す。少し楽になると、走り始める。しかし、また苦しくなる。また歩くということを繰り返した。
こんなことでは、とても練習にはならなかった。自信をなくすために、寒い星空を走ったようなものだった。
この練習を提案したのは私だった。付き合ってくれた同級生たちの手前、もはや「止めようや」とは言い出せず、とんでもない一計を考えた。「一度ぐらいは、恰好のいい順位でゴールしたい」という思ったからだ。つまり、コースのショートカットを目論んだのだ。
練習コースは、小川に並行している農道。上流に向かって2キロほど走り、上流で橋を渡って向こう岸の道路を戻ってくるコースだ。途中に橋がなかったので、狡いことはできない仕組みとなっていた。
「一度くらいは早く戻ってきたい」と思った私の一計は、川幅の狭いところを飛び越そうとしたのだ。仲間が走り去ったあとで、しかも戻ってくる前に、ピョンと飛び越す算段だった。
ある練習の夜、その一計を実行することにした。幸い月はなく、星明かりの寒い夜だった。仲間たちが走り去ったので、狭いと見当をつけた場所で、ピョンとやっつけた。
バシャン!と、見事に落っこちてしまった。手は向こう岸の篠を掴んだのだが、片足が小川を飛び越せなかったのだ。
やがて上流から、仲間たちの跫音が聞こえ始めた。出るに出られず、通り過ぎるのを待ってから、とぼとぼとゴールを目指した。その時の寒かったこと。
その夜以来、私はマラソンの練習をやめた。「ビリになってやる」と公言したのは、その夜以降だった。
マラソン大会当日、案の定、私はビリになった。頑張って走ろうにも、足が動かなかったのだ。「意図的なビリ」ではなく、「正真正銘のビリ」だった。中途半端な遅れではなかったので、心配になった教師が、自転車で迎えに来てくれた。
自転車に乗っかってゴールに戻ったのは、私のほかにもう一人いた。H.H君だった。一緒に練習をしていた同級生だった。
H.H君は数年前に亡くなった。肝臓ガンであった。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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「急がば廻れ」なんて考えませんでしたね。
なにしろ、走らずにゴールしようとしたのです。
つまり、「手抜き」です。
今になって、「手抜き」を指弾できる過去ではありませんでした。
あなたは優しい人。
でも、熱はありませんでした。
いや、悪い知恵熱が出たかもしれませんね。
困った美少年(?)でした。
コメントが順不同となってしまいました。ご免なさい。
苦い思い出なので覚えて居るのですが、その時の仲間たちは、覚えていないようでした。
ホットしたような寂しいような気分です。
11月にまた同期会があり、出席のつもりです。
つまりは負けず嫌いが妙な行動になってしまいます。
同道と戦い、同道と負けることができなかったのですね。
屈折した男の子だったのです。
先の記事に対するコメント、ありがとうございました。
遅ればせながら、返信をしました。
私も中学時代の同窓会に、いろいろのものがあって、出席できませんでした。
昨年出てみて、よかったと思いました。
今年もまた通知が来ています。
体調がよかったら、出ようと思っています。
こちらが深刻に気にしているほど、相手は気にしていなかったようでした。
ブログを拝見し、上手く飛べると思った小川を飛べつ『バシャン!』と落ちてしまった姿を想像すると、笑ってしまいました。
大人になって知りましたが、「急がば回れ」納得です。
明日もブログ楽しみにしています。
「ビリになってやる!」
よーくわかる気がします
笑ってはいけませんよね
当日は熱でもあったんではないですか?
やっぱり ふふ
ですから、何事も他人と競うことはしません。
すべて、気儘にしています。
これって、逆から言えば、負けず嫌いなのかもしれませんね。
誰しも、このような体験の一つや二つあるでしょうが、
ひよどりさんのような文章が書けません。
鮮明に覚えていらっしゃるのは、当時の感性の鋭さ故でしょうか。
今もその感性は健在ですね。
またお邪魔しました!
内容は違っても、情けない企みごとの経験は大なり小なりあるんです。
中学卒業後、35年経って同窓会に初めて参加しました。
決心するまで、己自身の過去が怖かったのです。
今はどうでもよくなり、これが水に流すということかな、と…
訃報を目の当たりにする年齢になられたひよどりさん。
大先輩の心の有り様を、もっと伺いたく思います。