あの頃 この海で
私の少年期が 広がっていた
あの頃 この浜辺で
私の少年期が 光っていた
都会の片隅で 六十年余りが過ぎた
いろいろなものを 拾ったり 捨てたり
そんなことの繰り返し
いつの間にか 「私」が何処かへ消えてしまった
この海に 「私」がいるかもしれない
誰かが言ったので 密かにやって来た
だが そんなことはなかった
そんなはずはなかったのだ
海は わざとらしく波を打ち続け
浜は 神経質に砂を鳴らした
そんな中 浜昼顔が 薄い眼差しを向けてくれた
温かい顔だった
ふと あの日の少女を 思い出した
「そんなもの 捨てておしまい!」
耳元で 険しい鬼の声
振り返ったら あれっ、あの日の母がいた
(写真は旧友H.I君の提供による)
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
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最期のセリフはどなたなのかしら?
最後のセリフは女鬼。
険しさの陰に、優しさがありました。
ここのところ、推敲します。
ありがとうございました。
ひよどりさんに取っての優しい海・・・懐かしいでしょうね。海はさまざまなことを思い出させてくれますね。
浜昼顔は、あの日の少女だったのでしょうか?
それとも優しいお母様だったのでしょうか?
うらやましいと思います。
浜昼顔、あの日の少女に似ていました。
私は昼顔系がすきですね。
諦めの色をしているからでしょうか。
私の母は、きっと大根の花です。
お言葉、嬉しいです。
でも、私の感性は、もともと干からびていました。
なんとかしたいです。
白い砂に青い海
青い空に大きな白波
ここに ひよどりさんがいるようにみえます
あっ
あの森の向こうに
誰かいる
ほら
見えますよ~
私には
この海が私の本籍地です。
でも今は、本籍を移してしまいました。
あれっ、見えましたか?
ずいぶんと遠目が利きますね。
でもあれは、頭の禿げたカラスなんですよ。
拍車がかかる地球環境の変化、この地には及ばないようにと祈ってます、(この写真の右側「南」には、テトラポットが並んでる)。
俎上の鯉へ準備着々と…、術前栄養管理に、免疫栄養剤を昨日処方して貰って参りました。
写真と詩がマッチしています。
母親の厳しさとやさしさ、まるで何でも呑みこんでくれる海のようです。
故郷の海は良いですね。