私は太宰治が好きだった。
「好きだった」のであって、現在進行形の「好き」ではない。
太宰治から「卒業」したのは、60代以降だった。私は「おくて」だったのだ。
「山本周五郎と太宰治が好き」というのが何を意味するのか。
まァそんなことはどうでもいい。
太宰治が愛人と入水自殺したのは、昭和23年(1948年)6月13日だった。
それ以降、私は太宰治の愛読者になった。まさしく変な少年だったようだ。
女子会の甲高き声桜桃忌 ひよどり 一平
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太宰ファンは今も多いですよね。女性も多いのでしょうか。
周五郎は結構読みましたが太宰は数冊ですからファンとは言えませんね。
こういう日こそが大切なはずなのに。
奥手の少年? だから今もオワカイのかもしれませんね。
三年ぐらい前主人と東北に旅行した時に生家の斜陽館に行きました。歴史を感じて当時としては現代でも贅沢な感じがした家でした
桜桃忌に相応しい佳句となりました。
「山本周五郎と太宰治」
ワタシも共鳴するところありますよ♪
あの文体がたまらないのかも知れません。
今の私は、周五郎に移っています。
やっとです。
なんとも締まりのない日になってしまいます。
奥手は老化のスピードが鈍いのでしょうか?
そんならありがたいのですが。
太宰はそれがいやだったらしいのです。
だから共産党へ入ったりしていました。
嬉しいです。
太宰治と山本周五郎、なにか繋がっているのでしょうか。そうですねえ、私もそれを感じております。
人間は哀しいですよねえ。
そうか、ひよどりさんは、桜桃忌の真っただ中の青春だったのですね。
多感な時期にそれに接しられたことが、今のひよどりさんの底流にあるんですね。
甲高き女子会の声に、隔世の感を強くされること、さもありなんと思います。
多感な時代の事件は衝撃でした。
太宰の小説は隠れて読みましたねえ。
女子会は隔世を感じます。
いい世の中になりました。