俳句の歳時記は面白い。奥が深いと言うべきか。
春の季語でも、「亀鳴く」、「山笑ふ」、「蛙の目借り時」など、興味が尽きない。
私は「風光る」が好きだ。
柔らかい風の中で、綿毛が日を受けて光っていた。風が光っているとも言えた。
しかし、地面では、風をイメージしにくい。風が光っている感じはしない。
新芽を吹いた柳が、柔らかい風に吹かれ、ふわふわ揺らいでいた。
とは言え、「柳」が全面に出過ぎる感じ。ピンと来なかった。
考えてみれば、どれもこれも同じようなもの。単なるこだわりに過ぎない。
楓の若葉が、赤い花をつけていた。
弱い風ににも、ふわふわと吹かれていて、頼りなげな風情ではあった。
しかしそこには、初々しい明るさがあった。
風光る居心地悪しき老ひが恋 鵯 一平
決して私自身のことではない。念のため。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
ご覧いただけると嬉しいです。
→ こちら
写真と俳句が相俟って、一つの作品となって楽しませていただいています。
季語、ネットで調べてみましたが、多くて意味が面白いものもありますね。それを充分にこなして作句できればよいのですが、今のところ四苦八苦しています。
そんな注意書きをなさらなくても、
もう句にしてしまったのですから
後は読み手にお任せください。
あれこれ勝手に想像して楽しめます。
カフェテラス異国の街に風光る 蘭子
毎日、句を見させて頂いていながら、何も閃かない、文才のなさを嘆いて居ります。
「風光る」は私も好きな季語です。
春寒しの時期も完全に払拭され、春爛漫に喜びが満たされる時期ですが、実際はまだ実感が湧きません。
若さの象徴のような季語ですが、年齢と共に段々薄れて来るような気がします。
高校生などは、あの憧れのアイドルと同じクラスになれれば、などと期待しているのでしょうか。
そんな時期もありました。
お褒め下さり嬉しいです。
写真から引き込まれるような具合で、俳句の真似をはじめました。
今はどちらも中途半端です。
一層の精進に努めます。
「句にしてからは、あとは読み手にまかせること」とのこと、俳句の一つの姿であろうと思います。
「言い訳をしない」、「解説をしない」、「断言する」が俳句であろうと、私も思います。
万事は好きずきの話です。
ブログを書くこと、写真を撮ること、俳句を作ることなどが、好きなのでやっています。
厚かましいことに、それを読んで頂こうとしております。
厚面皮を超えて鉄面皮の部類に入っています。
これからしばらくの間、「風光る」の季節でしょうね。
具体的なモノもイメージがハッキリしますが、「春愁」や「風光る」もありがたい季語です。
明るい爽やかな季語のもと、老人の恋を詠むのですから、かなり違和感がありましたし、反面、逆転の面白みがないかと模索しました。
句としては品位がなく、恥ずかしいです。
ざんねん!
>決して私自身のことではない。念のため。
そうであって 欲しいわぁ~
3枚の写真が春めいて
とても素敵です
写真か俳句か、訳が分からない状況になっています。
これからの季節、どんどん外へでたいですね。
ワクワクしています。