前の航空幕僚長の田母神氏が、「日本は侵略国家ではない」旨の論文を書いた。それを咎められて職を追われた。職を追われたといっても、更迭されでその後に定年退職となった。
日本が侵略国家であったかどうか、公開の面前で官僚は論議する立場にない。意見があるのなら、内部で十分に論議すればいいのだ。
(ちなみに、私は村山談話にかなりの違和感を持っている。自民党が政権ほしさの結果、村山内閣ができ、そんなドサクサの中で村山談話は出た。こんな国際情勢なのに、あんな談話がいいはずがない。論議も不十分だった。日本だけの純情一途な思いは、世界には通じない)
軍は総指揮官たる総理大臣の命に従い、粛々と行動するのみだ。
仮に村山談話があるため、軍が弱いのであれば、日本人としては諦めるしかない。それが困るのなら、政治家をはじめ国民が力を合わせ、村山談話を粉砕しなければならない。
それが出来ないなら、私たちは、弱い軍隊で諦める。その道を選んだのは国民だ。だから、自業自得。
もっとも、憲法九条がある以上、自衛隊は自衛隊であり、軍隊ではない。憲法問題も、ずっと棚上げにされたままだ。
言論の自由は一般人の話。もちろん田母神氏にも、言論の自由はある。言いたかったら、辞任してから言うべきだ。辞任の前に言ってもいいが、腹を切る覚悟で言わなければなるまい。軍人なのだから仕方がない。
人事院総裁の谷氏が、政府の公務員制度改革に反対し、麻生首相が議長を務める会議をボイコットした。改革に反対だったのだ。
反対なら反対でいい。出席して堂々と述べるべきであり、その時は職を賭すべきだ。それが官僚の立場だ。
谷総裁は民放のテレビ番組に出演し、何かを言ったとか言わなかったとか……。私は不愉快なので見ていない。マスコミとグルになって、政府を貶めようとしているのではなかったろうか。
田母神氏も谷氏も、日本の官僚だ。日本政府の属僚なのだ。
一国民としては、言論や行動の自由は認められている。しかし、組織に属している官僚としては、政府の命令には従うべき立場だ。
今の日本政府は弱い。外国にはもとより、国内においても発言力が乱れ、説得力もない。
しかし、そんな政府であっても、官僚はその命に従うべきだ。その命に背くときは、腹を切る覚悟でなければなるまい。
両氏の意見について、私は私なりの意見はある。このブログではその是非は問わない。
今日は、官僚としての彼らの身の処し方を問いたい。
田母神氏の場合、外部には「村山談話」を逸脱した意見を言ってはいけない。
谷氏の場合、委員会に出席して、意見開陳をすべきだった。欠席はもってのほか。
官僚としての規矩準縄を、両氏はどのように考えているのだろうか。
雇われ人は、雇われている限り、規矩を超えてはならないのだ。
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今日は快晴 寒さも厳しくありません
遠出をしたくなるような気分
でも朝から地域ボランティア
行ってきまーす
なんだかどうしようもない不甲斐なさを見ているようで情けないですね。しっかりしろよ。国民は辛抱ですね。言うことなすこと、不甲斐ない。不甲斐ない政治家、官僚。
このように話題を起す人間の人事考課などはどうしてるのでしょうね、知識不足の者には判らない。
「規矩準縄」恥ずかしながら初めて知りました。
今日は地域のボランテイアですか。
いい日になるといいですね。
行ってらっしゃーい。
「渡り」の実態を知れば知るほど、納税者としてはやりきれぬ思いですね。
政治と官僚のバランスのとれた緊張感を望みます。
組織と人間の関係は、大なり小なり重要な問題ですね。
「村山談話」は、事実かどうかは別とし、日本人の元気が出ない内容です。
その点、田母神氏の主張は、分からないでもないのです。
村山談義は、私は大方忘れましたが。
突然総理大臣になって、国際関係とは、国益とか考えたことがない人が、寧ろその反対をしてきた人が、国際的に全然通用しない言葉。そんな記憶があります。
今日のテレビでも言ってましたが、公務員が反対するとか、意見を持つとか、それを発表するとか、それ自体が可笑しいことである、といってました。
その通りだと思います。
公務員は、誰も辞めさせることができない。
従って、自分に利益に対して開き直ってもどうすることも出来ない。
公務員として資格にない人は、解雇するシステムがあればと思います。