新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

同情という淵

2015年12月11日 18時57分31秒 | 身辺雑記

 司法試験問題漏洩事件の裁判があった。

 問題作成に当たっていた教授が、交際関係にあった教え子に、試験問題を教えたという事案だ。

 裁判のニュースを見ていて、おかしくなって少しだけ笑った。

 「娘に対するような気持ちになり、なんとか助けてあげたいと思った」

 その教授の弁である。

 まさか此の期に及んで、「私たちは父娘のような関係です」と言い逃れを言っているとは思えない。

 当初、教授はそのように思っていたのではないか。

 ところが、男と女の場合、そのような感情がそのまま持続するとは限らない。同情は恋慕に突っ走りかねないのだ。

 夏目漱石か誰かのジョークに、「可哀想だってことは、惚れたってことだ」というのがあったが、まさにその通り。

 一対一の男女関係において、間合いの取り方は難しい。

 同情は危なっかしい淵なのだ。

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東京裁判史観でいいのか?

2015年12月11日 15時09分17秒 | 身辺雑記

                  

 昭和16年(1941年)12月8日の未明、日本海軍の航空機と潜航艇の真珠湾攻撃により、大東亜戦争が勃発した。 

 宣戦布告が遅れたため、日本国によるだまし討ちという非難は受けたが、日本側の無線は丸々傍受されていたらしいから、易々と引っかかったという説がないわけではない。

 昭和20年(1945年)8月15日、「ポツダム宣言受諾」という形によって、日本は降伏した。

 私にとっては、国民学校1年生の冬に戦争が勃発し、小学校5年生の夏休み中に敗戦となった。 

 その後「極東軍事裁判」が開かれ、事後に設けられた「平和を乱した罪」によって、東条被告ほかの指導者が死刑判決を受け、即刻執行された。

 「平和を乱した罪」などの事後法によって裁くなど、勝者が敗者を裁く見せしめ裁判であったが、日本側はその判決を受諾し、昭和27年(1952年)4月28日 に講和条約が発効し、日本は独立を果たした。

 以来現在に到るも「極東軍事裁判 (東京裁判)」 史観が我が国の精神構造を支配し続けている。

 「東京裁判史観」を盲目的に信じ、「ほんに日本は悪者よのう~」と思いながら、戦後復興に精を出し、国際貢献に努めてきた。

 「あの戦争は日本だけが悪かったのです」と言っているだけでは、戦争に駆り出されて散った兵士たちの心に対し、何らの敬意も表せない。

 真珠湾攻撃は「だまし討ち」であり、広島、長崎の原子爆弾投下は戦争を早期に終わらせるための『正義」だったのか。

 現在における国際社会の状況を見れば、「日本だけが悪かったのです」と詫び続けることの愚かさが分かるではないか。

 それにしても、このように欺瞞だらけの国際社会にあって、「よくもここまでやって来たものだ」と思う。

 

  

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